第八十八話 見なかったことに
村は痩せ、教会だけが太っている。
何も見なかったことにすれば、すべて丸く収まる。
少なくとも、契約書に署名するまでは。
そして。わたしたちは、目的の教会へと、通された。
中は。外に輪をかけて、ゴージャスだった。
天井まで届く、巨大なパイプオルガン。陽の光を浴びて、七色に輝く、ステンドグラス。
よくもまあ。あんな痩せこけた村の真ん中で。これだけのものを、建てたものだ。
あきれを通り越して、いっそ、感心する。
貴賓室に至っては、もっと、ひどい。壁にも、棚にも、床にも。わかりやすいくらいの、悪徳が、にじみ出ている。
……まあ。
見なかったことに、しよう。
わたしは、関係ない。わたしは、関係ない。
見てない。聞いてない。知らない。
村が痩せてるのも。教会が太ってるのも。ぜんぶ、気のせい。
そういうことに、しておけば。夜も、ぐっすり眠れるし。何より、借金の返済が、一歩進む。
良心より、返済計画。
これが、借金王妃の、生き方である。
* * *
「ようこそ、おいでくださいました。このようなところまで、大変だったでしょう」
出迎えてくれたのは、司祭だった。
(えぇ。もう二度と来ないことを。さっきの道端で、胃の中身と一緒に、誓いましたよ)
「いえいえ。風光明媚で、よいところですね」
「そう言っていただけると、嬉しい限りです」
にこやかな、笑顔。実に、穏やかである。
ただし。その背後の壁には、やたら高そうな、聖人画。机の上には、どう見ても上等な、銀細工。
窓の外で、くたびれている村との落差が。見ているだけで、胃に、きゅっとくる。
見てない。わたしは、何も、見ていない。
呪文のように、三回くらい唱えたところで。司祭が、本題に入った。
「それでは、まず、確認させてください。この村に、常駐の医師は?」
「おりません。薬草を扱う者は、おりますが。医師と呼べる者は。病人が出れば、隣町まで、運ぶことに、なります」
「隣町まで、馬車で、どれくらい?」
「道がよければ、半日ほどで」
道が、よければ。
その一言で、だいたい、察した。
だって、わたしは。ついさっき、まさに、その「よくない道」で。魂を、半分、置いてきたばかりである。
あのガタガタ道に、半日、揺られろ、というのは。健康な人間でも、吐く。
病人なら。着く前に、往生する。
「……なるほど。出張所の必要性は、高そうですね」
そう言うと。司祭は、ここぞとばかりに。深々と、頭を下げた。
「王妃様に、そう言っていただけるとは。この地の者たちは、貧しく。信仰こそ篤いものの、医療には、恵まれておりません。王妃様の慈悲が、この地に及ぶなら。彼らも、どれほど、救われることでしょう」
言葉だけ聞けば。それはもう、立派なものである。涙が出そうなくらい、慈悲深い。
……それにしても。
さっきから、「王妃様の」「王妃様の」と。やけに、連呼するわね、この人。
慈悲だの、信仰だの、言っているけれど。
本当に欲しいのは、たぶん、そこじゃない。
わたしの、名前だ。
「マリー・アントワネット記念病院」という、立派な看板が。評判最悪の、自分の教会に、どんと立つ。それが。喉から手が出るほど、欲しいんでしょう。
まあ、いいけど。
売名でも、ハクづけでも。好きに使えばいい。こっちは、土地と金がもらえれば、文句はない。
名前の貸し賃だと思えば、安いもの、だ。
* * *
でも。
わたしの目には。さっき馬車の窓から見た景色が、まだ、焼きついていた。
実った作物。流れる川。広い畑。条件は、そろっている。
それなのに。村人は、骨と皮で。村のど真ん中の教会だけが、まるまると、太っている。
答えは、考えなくても、わかる。子供でも、わかる。
目の前のこの司祭が。村から搾り取れるだけ搾り取って。自分は、パイプオルガンを買っている。
それだけの、話だ。
……うん。
考えるの、やめよ。
わかったところで。わたしに、正義の鉄槌を下す気力は、ないし。
そもそも、この司祭は。これから出張所の、土地と建物と寄付を。まるごと差し出してくれる、スポンサー様、である。
スポンサーの台所事情を、詮索して。機嫌を損ねて。金づるを、逃がす。
そんな商売下手なこと。借金まみれのわたしに、できるわけが、ない。
正義は、お腹を、膨らませてくれない。
けど。この司祭の金は、膨らませてくれる。
だったら。答えは、一つだ。
見ない。気づかない。考えない。
その三点セットで。わたしは、この宮廷を、ここまで、生き延びてきたのだ。
今さら、良心に目覚めて。損をする趣味は、ない。
* * *
とはいえ。ここから先の、細かい交渉は。わたしの手には、とても、負えない。
土地の使用条件がどうの。継続支援がどうの。そういう話になった瞬間。わたしの脳みそは、貝になる。
こういうときは。
わたしが、しゃしゃり出て。余計な一言で、全部ぶち壊すより。できる人間に、任せるに限る。
過去の経験上。わたしが、口を出すと。
だいたい、ろくなことに、ならないので。
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