第八十七話 ゲロイン、爆誕
優雅な田舎旅行になるはずでした。
しかし十八世紀の馬車は、王妃にも胃袋にも容赦がありません。
そして到着した村には、馬車酔いより嫌なものが待っていました。
「王妃様、大丈夫ですか?」
シャルティエが、心配そうに、こちらを覗き込んでいる。
その隣で。わたしは。
「うー……げろげろげろ……」
田舎の、道端で。盛大に、吐いていた。
……おかしい。
おかしいでしょ、これ。
わたしは、正統派の悪役令嬢。改め、悪役王妃。この世界の、ヒロインのはずで。
間違っても。ゲロインなんて呼ばれる、うす汚い、ギャグ漫画の登場人物では、ないはずなのに。
なぜか今。十八世紀フランスの、田舎道の、ど真ん中で。四つん這いになって。胃の中身を、草むらに、ぶちまけている。
なんで。どうして。わたしの華麗な、異世界転生ライフは、どこへ行った。
原因は、はっきりしている。
馬車だ。
アニメや乙女ゲームに出てくる馬車といえば。それはもう、優雅で、メルヘンな乗り物で。まったく揺れず。せいぜい馬のひづめが、パカパカと心地よく響くくらいの。移動する応接間みたいなものだと。
わたしは、信じていた。
大嘘だった。
この世界の馬車は。乗り心地が、最悪である。
揺れる。跳ねる。ガッコン。
椅子から、直接、突き上げてくる衝撃。常に、震度五くらいの地震の中に、閉じ込められているような。終わりのない、揺れ。
気持ち悪いし。お尻も、痛い。
それでも。舗装された街道なら、まだ、我慢できた。
地獄は、田舎道だった。
整備されていない、でこぼこ道に入った瞬間。揺れが、本気を出した。
ガッコン。ガッコン。ズドン。
内臓が、浮く。胃が、反乱を起こす。
そうして、わたしは。さっきから何度も、馬車を止めてもらっては。道端の草むらと、深い深い、親交を結んでいるのである。
「うっぷ……。ねぇ、シャルティエ。あと、どれくらい?」
「もう少しです、王妃様」
「いっそ、ここに出張所、建てちゃわない? もう十分、来たじゃない。わたし、頑張ったわよ。超、頑張った」
「何を馬鹿なこと、言ってるんですか。村まで、あと半時です」
なんの解決にもならない、励ましを受けて。わたしは、しぶしぶ。遊園地のアトラクション、もとい馬車に、乗り込んだ。
……本来なら。こういう地方視察は、ヴァロワが、行くべきなのだ。
けれど、実質的に病院を回しているのは、あいつで。あいつが抜けたら、経営が止まる。
だから、暇な看板であるわたしが。お目付け役の舎弟一号を引き連れて。行くことに、なった。
正直に、白状すると。最初は、ちょっと、浮かれていた。
息苦しい王宮や、ごみごみした都を離れて。たまには大自然の中で、優雅な小旅行も、悪くない、なんて。
その浮かれた自分を。今すぐ、馬車から、突き落としてやりたい。
「もう、いやだぁ……。村ごと、こっちに、引っ越してきてくれないかな……」
恨み節を、ぶつぶつ言っているうちに。
ようやく。馬車が、止まった。
村に、着いたらしい。
* * *
ふらつく足で、馬車を降りて。わたしは、村を見回した。
……おや。
意外と、悪くない。
大きな畑があって。作物も、割と、実っている。すぐそばには、川も、流れている。
あまり裕福ではないと、聞いていたけれど。これだけの畑と川と実りが、あるなら。
「貧しい」なんてのは、誰かの大げさな噂だったんじゃ――
と。思ったのは。
ほんの、数歩ぶん、だった。
村の中へ、足を踏み入れて。
わたしは、言葉を、失った。
家々は、ぼろぼろ。道は、ぬかるみ。すれ違う子供は、痩せこけ。大人たちの目には、生気がない。
豊かな畑の、すぐ隣で。人間だけが、干からびている。
そんな村人たちが。わたしたちの立派な馬車に気づいて。一人、また一人と。遠巻きに、集まってきた。
「王妃様だ」
「あの、王都の病院の」
ざわめきが。さざ波みたいに、広がっていく。
その目を見て。わたしは、ぎくりと、した。
物珍しさだけじゃ、ない。
痩せこけた目の奥に。すがるような、色が、混じっている。
この人なら、なんとかしてくれるかも、しれない。――そんな。勝手な、期待の色が。
うっ。
やめて。そういう目で、見ないで。
人の期待というやつが。わたしは、この世で、一番、こわい。
応えられなかったときの、掌返しを。前世のSNSで、嫌というほど、見てきたのだ。
だから。そっと、目を逸らした。
気づかなければ。裏切ることも、ない。
* * *
そして。その寂れた村の、ど真ん中に。一つだけ。
異様に立派な建物が、でんと、そびえていた。
教会、である。
ぴかぴかの白壁。これ見よがしの、装飾。村のみすぼらしさとは。まるで、別の国だ。
「……まじかよぉ」
本音が、漏れた。
豊かな畑。流れる川。それなのに、痩せた村。そして、丸々と太った、教会。
答えなんて。足し算もできないわたしでも、わかる。
村から搾れるだけ搾った金が。ぜんぶ。あのぴかぴかの壁に、化けているのだ。
……でも、まあ。
こちとら。首が回らないどころか、回りすぎて取れそうなほどの、借金を抱えた身である。
設置先の領主が、善人だろうが、悪党だろうが。はっきり言って、どうでもいい。
しいて、言うなら。
金を出す奴が、いい奴だ。
そう結論づけた瞬間。自分まで、悪徳領主の仲間入りをしたような気がして。胃が、また、しくりと、痛んだ。
「……考えるの、やめよ」
わたしは、そっと。教会から、目を逸らした。
これから、たっぷり世話になる、スポンサー様の悪事なんて。見えたところで。見なかったことにするに、限る。
……なのに。
なぜだろう。さっきから。胃の奥が、また、あのいやな感じに、そわそわしている。
馬車酔いとは、ちょっと、違う。もっと、嫌な予感、みたいな。
絶好調の直後には、必ず、ろくでもないことが起きる。
一年かけて学んだ、その法則が。
今、静かに。こっちを見て、笑っている気が、した。
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