第3話 ガラクタ通りの小さな看板と、商会の少女
第2話では、ガルバの協力を得て裏倉庫を新拠点とし、警邏隊の車輌トラブルを鮮やかに解決しました。
第3話では、工房の立ち上げと、商売の匂いを嗅ぎつけた下町の少女セリアとの出会いをお届けします。
ガルバの鍛冶場の裏手に広がる一画は、かつて軍用の予備資材を保管していたという古い石造りの倉庫だった。
屋根瓦の一部が割れ、外壁には蔦が絡みついていたが、天井が高く、床の石畳も分厚い。
大型の魔導具や工作機械を運び込むには、これ以上ない物件だった。
「よし、梁の補強と作業台の設置はこんなところか」
ロディは手にした金槌を腰のベルトに差し込み、額の汗を作業着の袖でぬぐった。
足元には、長年溜まっていた煤や蜘蛛の巣を掃き出した木箱の山がある。
作業開始からわずか半日。
崩れかけていた廃倉庫は、すでに小ざっぱりとした修理工房の体裁を整えつつあった。
『マスター・ロディ。
重量資材の運搬、ならびに外装看板の固定が完了しました』
声の主はアリアだ。
彼女は自分の体重の三倍はある樫の木の作業机を両手で軽々と持ち上げ、ロディが指定した床の窪みへ寸分の狂いもなく設置した。
重厚な木材が床に触れる瞬間、衝撃音すら立てない。
驚異的なトルク制御と荷重バランスの賜物だった。
「助かったよ、アリア。お前がいなけりゃ、この机を運ぶだけで腰をやられるところだった」
『肯定。
私の骨格構造は、最大三・二トンの垂直負荷に耐えうるよう設計されています。
マスターの筋骨格系への負荷軽減は、専属補佐ユニットとしての優先事項です』
アリアは表情を変えずに淡々と告げると、出入口の上部を指差した。
そこには、ロディが端材に焼きゴテで文字を刻んだ粗末な木製看板が掲げられていた。
――『ロディ魔導修繕店』。
飾り気のない、実用性だけを求めた看板だ。
宮廷の研究所にあった豪奢な真鍮の銘板とは比べものにならないが、ロディにとっては自分の腕一本で生きていくための誇らしい城の証だった。
「さあて、あとは客が来てくれるかどうかだが……」
ロディが煙管を取り出し、火をつけようとしたその時だった。
裏通りの埃っぽい石畳を、慌ただしく駆け抜けてくる足音が響いた。
「お願いです、開いてますか!? さっきの警邏隊の車を直した職人さんって、ここにいるんですか!?」
跳ね上がるようにして工房の木製扉が押し開けられた。
飛び込んできたのは、赤褐色の髪をポニーテールに結わえた小柄な少女だった。
仕立てのいい、だが所々が擦り切れた商人のローブを羽織り、肩で大きく息を切らしている。
年齢は十七かそこら。
その両腕には、分厚い布で厳重に包まれた長方形の重そうな金属塊が抱えられていた。
『警告。
接近する生体反応を確認。
心拍数上昇、呼吸促迫。
……敵対意図は検知されません』
アリアが静かにロディの半歩前に進み出ようとしたのを、ロディは軽く手で制した。
「ここがロディ魔導修繕店だが……お嬢さん、そんなに慌ててどうした。強盗にでも追われてるのか?」
「違います! あ、いえ、商売敵に首を絞められてるようなものだから、ある意味では強盗みたいなものですけど……!」
少女は乱れた息を整えながら、抱えていた金属の塊を作業台の上へ慎重に、かつ切羽詰まった様子で置いた。
布が滑り落ち、中から現れたのは、黒ずんだ真鍮と銅パイプが複雑に絡み合った円筒形の機械だった。
「私、下町で小さな交易をやっている『シルフィード商会』のセリアと申します! 鍛冶屋のガルバ頭領から聞きました。宮廷の主任技師だった凄い職人さんが、ここに工房を開いたって!」
「ガルバの爺さんか……。余計な触れ込みをしやがって」
ロディは頭を掻きながら、作業台の上の機械に視線を落とした。
上部に開閉式の蓋があり、側面には不揃いな魔力注入孔が三つ並んでいる。
「これは……携帯用の魔導加熱炉だな。冒険者や遠征隊が野営で使うやつだ」
「はい! 帝都の大手である『ハイネ魔導商会』から、うちの商会が全財産をはたいて仕入れた最新型なんです! 小型で高火力、魔石一個で丸一日燃え続けるっていう触れ込みで……下町の猟師や採掘ギルドに三十台納品する契約を結んでいたんです」
セリアの瞳に、焦りと悔しさが滲んでいた。
彼女は小さな拳をぎゅっと握りしめる。
「でも、届いた実物をギルドの前で試運転したら……三台が点火した瞬間に火を噴いて煙突が破裂して、残りの二十七台も魔力を注ぐと異常な異音がして火力が安定しないんです! ハイネ商会にクレームを入れたら『使い方が悪い、平民の小商人に返金などせん』と突っぱねられて……! 今日中にまともに動くものを納品できなければ、違約金でうちの商会は潰れてしまいます!」
セリアは深々と頭を下げた。
「お願いします! 一台でいい、どこが悪いのか原因を突き止めて、直してはもらえないでしょうか!? 全財産を仕入れに使ってしまって、今すぐ払えるお金はこれしかありませんが……!」
セリアが震える手で差し出した小袋の中には、銀貨が三枚入っていた。
新型魔導具の鑑定・修理費としては、明らかに相場を大きく下回る金額だ。
『マスター・ロディ。
提示された報酬額は、一般的な魔導具技師の基本工数単価に対して四二パーセント不足しています』
アリアが横から事実を客観的に指摘する。
セリアは顔を青ざめさせ、唇を噛んだ。
「う、うぅ……やっぱり無理ですよね……。こんな端金で、宮廷の技師長が関わってる最新魔導具を直せだなんて……」
「ハイネ魔導商会、ねえ」
ロディはアリアの言葉を聞き流し、作業台の加熱炉に手を触れた。
意識を奥底へと沈め、両目に魔力を集中させる。
(――『構造解読』)
淡い青紫の光が、機械の外郭を透過していく。
内部に張り巡らされた魔力伝導管の配置、熱変換セルの接続構造、そして使用されている金属の組成が、網目状の設計図となって脳内に浮かび上がった。
(……相変わらず、くだらない設計をしてやがるな)
ロディは思わず苦笑を漏らした。
ハイネ商会――アルフレッドの実家である公爵家が後ろ盾についている、帝都最大の魔導具販売組織だ。
加熱炉の内部には、アルフレッドの設計思想がこれでもかと詰め込まれていた。
魔石の力を無理やり引き出すために、吸気弁を極限まで小さくして熱量を一点に集中させている。
カタログスペック上の「瞬間最高温度」を跳ね上げて見栄えを良くするためだけの、愚劣極まる設計だった。
(長時間の燃焼を想定していない。
熱が抜けずに内部の蓄熱板が歪み、魔力ラインを押し潰して不完全燃焼を起こしている。
おまけに、パイプの接合部に使っているのは安物の鉛半田だ。
高熱で溶け出してショートするのは子供でも分かる道理だろうが)
見かけだけを華美にし、性能を誇大広告で飾り立て、不良品を立場の弱い小商人に押し付けて売り逃げる。
宮廷の連中がやっていることと、何一つ変わっていなかった。
「お嬢さん。頭を上げな」
ロディは引き出しから細身の平タガネと、使い慣れた真鍮のドライバーを取り出した。
「銀貨三枚でいい。引き受けた」
「えっ……!? ほ、本当ですか!?」
セリアが弾かれたように顔を上げた。
「ただし、直すだけじゃないぞ。この構造じゃ、たとえ新品に交換しても雪山で使えば一時間で凍傷送りだ。俺好みに中身を少し弄るが、文句はないな?」
「も、もちろん文句なんてありません! 動いて、危険がない状態になれば何でも……!」
ロディは手際よく外装の飾りネジを外し、炉の内部を露出させた。
「アリア、六番の耐熱グリスと、銀のシールテープ」
『了解。
資材を展開します』
アリアが無駄のない動きで必要な薬品と工具を作業台の上に並べていく。
ロディはタガネの先端を、歪んだ蓄熱板の隙間に滑り込ませた。
キン、キン、と澄んだ金属音が工房内に響く。
ロディの指先は、迷うことなく設計上の欠陥部分を削ぎ落としていった。
熱を無理に閉じ込めていた狭い燃焼室の仕切りを削り、空気の流れを三倍に広げる。
溶けかけた半田を拭い去り、熱伝導率の高い銀テープで回路を固定し直した。
さらにロディは、自前の魔導ヤスリを手に取ると、底面の吸気スリットに斜めの溝を刻み込んだ。
「……職人さん、その溝は何ですか?」
息を呑んで手元を見つめていたセリアが、思わず尋ねた。
「下から吸い込む空気に螺旋の渦を作ってやるんだよ。こうすると、魔力が少なくても炎が安定して回転する。無駄な燃料を食わずに、均等に熱が広がるようになる」
「そんな……空気の流れを物理的に変えるだけで、魔導具の効率が上がるんですか? 魔法の出力を上げるには、より強い魔石を使うしかないって、学校では習いましたけど……」
「机の上で数式をこねくり回してる連中の言うことだ。道具ってのはな、力任せにぶん回すもんじゃない。使われる場所の空気や、手入れする人間の癖に合わせて呼吸させてやるもんだ」
ロディは笑いながら、最後のネジを締め直した。
作業開始から、わずか十分足らず。
「アリア、初期点火用の魔力を極小で流してくれ」
『了解。
出力〇・五パーセントにて共振接続』
アリアが細い指先を炉の注入孔に触れさせると――。
――シュボッ。
低く力強い吸気音とともに、加熱炉の天板から青く透き通った炎が音もなく立ち上がった。
黒煙は一筋も出ない。
異音も振動もなく、ただただ柔らかく、だが芯から温まるような安定した熱気が、工房全体を包み込んだ。
「うそ……!? 煙が、全然出ない……!? それに、この熱……前の試運転の時よりずっと静かなのに、温まるスピードが段違いです!」
セリアは目を見開き、加熱炉の周囲に手をかざして息を呑んだ。
「これなら、粗悪な屑魔石でも十時間は余裕で持つぞ。雪山で汁物を煮込みながら、一晩中テントを温められる」
「す、凄いです……! これならギルドの人たちも絶対に大喜びします! ……あ、でも」
セリアはふと表情を曇らせ、申し訳なさそうに眉を下げた。
「残りの二十九台も……同じように直していただくことは可能でしょうか? もちろん、今日の納品でギルドから代金を受け取ったら、一台あたり銀貨二枚……いえ、三枚の修理代をきちんとお支払いします!」
「三十台か。まあ、構造は頭に入ったからな。一台あたり五分もあれば終わる」
ロディは平然と言ってのけた。
「商会の倉庫からここまで運ぶのは骨が折れるだろ。アリア、台車を持ってセリアさんの商会まで荷物を取りに行ってこれるか?」
『肯定。
シルフィード商会までの最短ルートを算出。
輸送任務を受諾します』
「あ、ありがとうございます……! ロディさん、本当にありがとうございます……!」
セリアは涙ぐみながら、何度もロディの手を握りしめた。
商人としての誇りを踏みにじられ、破滅の淵に立たされていた少女にとって、この四十路の職人はまさに絶望を打ち破る救世主だった。
◇
それから数時間後。
アリアが軽々と引いてきた荷車いっぱいの加熱炉は、ロディの神業のような手際によってすべて完璧な調整を施され、セリアの手によって無事に下町の冒険者ギルドへと納品された。
結果は――大絶賛だった。
試運転を見た冒険者や猟師たちは、「煙が出ない」「火力が安定している」「安物の魔石で倍以上長持ちする」と口々に驚嘆し、予定されていた三十台は即座に完売。
追加の注文まで殺到する事態となった。
夕暮れ時。
セリアは約束通りの修理代金――ずっしりと重い銀貨の詰まった革袋を携えて、再びロディの工房を訪れていた。
「ロディさん! ギルド長が『こんな素晴らしい器具を作った技師を紹介しろ』って大騒ぎでしたよ!」
「俺が作ったわけじゃない、手直ししただけだ。……ほら、受け取りな」
ロディは手渡された革袋から、約束の金額だけを抜き取ると、残りをセリアの手のひらに押し戻した。
「えっ? でも、これは追加の謝礼も入っているのに……」
「うちは定額制だ。ぼったくりもしなきゃ、余分な金も取らん。その代わり、これからも直したい魔導具があったら持ってきな」
「ロディさん……」
セリアは革袋を胸に抱き、真剣な眼差しでロディを見つめた。
彼女の商人としての勘が、この四十路の職人がどれほど規格外の存在であるかを告げていた。
「ロディさん。提案があります。……うちのシルフィード商会を、あなたの工房の『専属窓口』にさせていただけませんか?」
「専属窓口?」
「はい! ロディさんは修理と製作に専念してください。厄介な客の対応や素材の仕入れ、納品の交渉や代金回収は、全部私がやります! 宮廷や大手商会に邪魔されないよう、私が完璧に盾になってみせます!」
ロディは煙管の煙をくゆらせ、隣に立つアリアを見た。
アリアは小首を傾げ、淡々と告げた。
『シルフィード商会の経営状況およびセリア個人の信用度を推計。
……マスターが煩雑な対外交渉から解放されるメリットは、全体の業務効率を七八パーセント向上させると試算されます』
「アリアまでそう言うか」
ロディは苦笑し、セリアに向き直った。
「いいだろう。俺も事務仕事や営業は性に合わなくてな。よろしく頼むよ、セリア」
「はいっ! お任せください!」
セリアが満面の笑みを咲かせ、ロディと固い握手を交わした。
下町の片隅に、職人と古代兵器、そして若き商人の小さな同盟が結ばれた瞬間だった。
だが――その平和な夕暮れを切り裂くように。
帝都の中央区、宮廷魔導研究所の最上階から、けたたましい非常警報の鐘の音が鳴り響いた。
ゴォォォォン……!
ゴォォォォン……!
「な、何の音ですか……!? 宮廷の非常警報……?」
セリアが青ざめて帝都の中心部を見上げる。
ロディは煙管をくわえたまま、不穏な煙の立ち上る宮廷研究所の塔を冷たい目で見据えた。
(……早かったな。
俺が抜けて、まだ二日も経ってねえぞ)
アルフレッドが誇らしげに語っていた「最新鋭」の綻びが、いよいよ隠しきれない破滅となって噴き出そうとしていた。
お読みいただきありがとうございました!
商人少女セリアとの出会い、そしてロディの職人技による下町での大勝利でした。
そしてラストには、早くも宮廷で何かが起きた様子……?
次回:『第4話 燃える第一設計室と、届かぬ救難要請』
アルフレッドの最高傑作が、ついに牙を剥きます。お楽しみに!




