第17話 町工場の猛特訓と、傲慢なる査察官
第16話では、魔導学院を追放された実直な少年トビアスを弟子として迎え入れました。
第17話では、ロディによる職人の基礎指導と、トビアスを連れ戻そうと乗り込んできた傲慢な魔導学院の査察官との対決をお届けします!
朝の冷たい空気が、工房の土間を白く包み込んでいた。
まだ夜明け前の薄暗い時間帯。
作業台のランプの下で、トビアスは息を殺しながら、一本の細い真鍮棒をヤスリで磨いていた。
サリ、サリ、サリ……。
静かな部屋に、一定のリズムで金属を削る乾いた音が響く。
額には大粒の汗が浮かび、息を吐くたびに白い蒸気が立ち上っていた。
「……角度が〇・五度、右に寝ている」
背後からかけられた低い声に、トビアスは弾かれたように背筋を伸ばした。
「お、親方! おはようございます!」
作業着の腕をまくったロディが、湯気の立つマグカップを片手に立っていた。
無精髭を撫でながら、作業台の上に置かれた真鍮棒に視線を落とす。
「朝の五時から削ってたのか。精が出るな」
「は、はい! 親方にいただいた革エプロンを汚さないように、まず自分の道具の芯出しをしておこうと思いまして……!」
「気合が入ってるのはいいが、指先に力が入りすぎだ。……ほら、貸してみろ」
ロディは手元のマグカップを置くと、トビアスの手からヤスリを受け取った。
真鍮棒の端を素手で軽く支え、ヤスリの腹を当てる。
――サッ、サッ、サッ。
ロディの手首は、まるで滑らかなバネのように柔らかく動いていた。
金属を削っているはずなのに、耳障りな摩擦音は一切しない。
撫でるような一振りごとに、真鍮の表面が鏡のように平らな光沢を帯びていく。
「金属を削る時はな、力でねじ伏せるんじゃない。ヤスリの目と、削られる金属の粒が噛み合う感触を、指の腹で聞くんだ。……道具の呼吸に自分の呼吸を合わせりゃ、無駄な力は一滴もいらん」
「道具の……呼吸……」
トビアスは息を呑み、ロディの指先を食い入るように見つめた。
学院の授業では、ただ「規定の数値になるまで魔法研磨機で削れ」と教えられていただけだった。
素材の癖や手の感触に耳を傾けるという概念そのものが、少年には新鮮な衝撃だった。
「マスター・ロディ、トビアス殿。朝食の準備が完了しました」
奥の台所から、湯気の立つ大皿を両手に持ったアリアが歩み出てきた。
焼き立ての黒パンに、カリカリに焼いた塩豚、そして野菜たっぷりの温かいポトフが並べられる。
「うわぁ……! アリアさん、これ全部作ったんですか!?」
「肯定。マスターの栄養管理データに基づき、タンパク質とビタミンを最適配分しました。……トビアス殿の筋力増強用として、炭水化物量を二〇パーセント増量してあります」
「あ、ありがとうございます……! いただきます!」
トビアスは深々と頭を下げ、夢中でスープを口に運んだ。
貧民街の粗末な食事と、学院での冷遇に耐えてきた少年の目に、思わず温かい涙が滲む。
「……うまいです。こんなに温かくて美味しいご飯、何年ぶりだろう……」
「美味い飯を食うのも職人の仕事のうちだ。しっかり食って、午前の依頼を片付けるぞ」
ロディが笑い、パンをちぎって口に運んだ。
◇
朝食を終え、下町の八百屋や食堂から持ち込まれた壊れた道具の修理が始まった。
トビアスに任されたのは、パン屋から持ち込まれた『パン生地発酵器』の温度調整弁の修理だった。
古い魔石を使った旧式の機械だ。
「トビアス、どこが悪いか分かるか?」
「ええと……学院の教科書通りなら、魔石の出力低下か、温度感知の術式回路の断線だと思います」
トビアスがおずおずと答えると、ロディは首を横に振った。
「教科書を捨てろ。まず目で見て、耳を澄ませて、手で触れろ」
ロディはトビアスの手を引いて、発酵器の側面に触れさせた。
「……何が聞こえる?」
「え……? あ……小さな、カタカタっていう振動が……?」
「そうだ。中に入っている熱を循環させる真鍮のファン《羽根車》の軸が、油切れでブレてるんだよ。ファンがブレるから熱が一点に偏り、安全弁が『過熱』と誤認して魔力を遮断していた。魔石も回路も、どこも壊れちゃいねえ」
「な……! 魔法の故障じゃなくて、ただの油切れ……!?」
「そうだ。魔導具の不調の八割は、魔法じゃなく物理的な歪みと手入れ不足から来る。……軸受けのネジを外して、古いグリスを拭き取り、新しい耐熱油を注せ」
「はいっ!」
トビアスは迷いなくドライバーを手に取り、作業に取り掛かった。
ロディに教わった通り、金属の噛み合わせを確かめながら慎重に油を注し、ネジを締め直す。
カチリ、とスイッチを入れると――。
――フォォォォン……。
先ほどまでの耳障りなカタカタ音が嘘のように消え、滑らかな温風が静かに吹き出し始めた。
「直った……! 俺の手で、直せました親方!」
トビアスがパッと顔を輝かせる。
『トビアス殿の作業手順を評価。作業時間、標準値より一五パーセント短縮。……職人見習いとしての適性は極めて良好です』
アリアが淡々と、だがどこか嬉しそうに頷いた。
その時だった。
ガラガラガラ……!
工房の前の静かな通りに、豪奢な二頭立ての馬車がけたたましい車輪の音を立てて乗り付けた。
車体には、帝都の権威を象徴する『中央魔導学院』の金色の紋章が大きく描かれている。
御者が飛び降りて工房の扉を乱暴に開け放つと、中から香水と高価な絹の匂いを漂わせた中年男が姿を現した。
豪奢な紫色の教授ローブを纏い、丸眼鏡の奥から細い目を吊り上げた男――中央魔導学院・工技科の主任査察官、ベルガー教授だ。
その後ろには、武装した学院の警衛兵四名が威圧的に控えている。
「ふん……やはりこんな薄汚い掃き溜めの豚小屋に逃げ込んでいたか、落ちこぼれのトビアスめ」
ベルガーはハンカチで鼻口を押さえながら、蔑むような視線を工房内に投げかけた。
「ヒッ……ベ、ベルガー教授……!?」
トビアスの顔から一瞬で血の気が引き、持っていた工具を取り落としそうになる。
「学院を放逐された分際で、研究室の機密図面を持ち逃げするとはいい度胸だな。……おい警衛兵、その泥棒小僧を拘束しろ! 学院の牢へぶち込んでやる!」
警衛兵たちが一斉に踏み込もうとした。
――だが。
トン。
ロディが手にした万能工具槍の石突きを、土間の敷居の真ん中に静かに突いた。
ただそれだけの動作だったが、研ぎ澄まされた威圧感が空気を凍りつかせ、警衛兵たちの足がピタリと止まった。
「……人の工房に土足で踏み込んで、朝から喚くんじゃねえよ。耳障りだ」
ロディは煙管を取り出し、カチリと火を灯した。
紫煙をゆっくりと吹き出し、ベルガーを冷ややかに見据える。
「何だ貴様は……! 平民の修理屋風情が、魔導学院の教授たる私を遮る気か!」
「ここは『ロディ魔導修繕店』だ。トビアスはうちの正式な見習い弟子だぞ。……言いがかりで俺の弟子を連れて行こうってんなら、近衛騎士団の特認プレートを拝ませてやるが?」
ロディが作業台の隅に置かれた、帝国近衛騎士団の紋章入り真鍮プレートを顎で示した。
「なっ……近衛の特認……!? 元宮廷の主任ロディだと……!? 貴様が、アルフレッド殿を陥れたという老害職人か……!」
ベルガーの顔が屈辱と怒りで赤黒く染まった。
「ふん、所詮は現場叩き上げの粗野な修理屋か! トビアスのような魔力もないゴミクズがお似合いの職場だな! 我が学院が進める次世代の『全自動魔導配給網』の崇高な理論など、貴様らのような下賤な職人に理解できるはずもない!」
「崇高な理論、ねえ」
ロディはせせら笑い、ベルガーの腰に下げられた豪奢な魔導具を一瞥した。
それは、金メッキの装甲板で覆われた、最新式の『全自動自己調光魔導ランタン』だった。
学院が自慢する自動配給網の端末試作品だ。
「その腰のピカピカした置物が、あんたの崇高な理論の結晶かい?」
「そうだ! 周囲の魔力を自動で検知し、使用者の魔力を一切使わずに永久点灯する我が工技科の最高傑作だ! 貴様らが手作業で作る旧時代のゴミとは格が違う!」
「へえ。……じゃあ教授先生、その最高傑作を今ここで点けてみせてくれよ。俺たちの前で自慢の光を見せてくれ」
「言われるまでもない! 田舎職人どもに最新理論の神髄を見せてやる!」
ベルガーは勝ち誇った笑みを浮かべ、ランタンの起動スイッチを誇らしげに押し込んだ。
――キィィィィン……!
ランタンの内部から高周波の駆動音が響き、眩い光が放たれた。
警衛兵たちから歓声が上がる。
だが――。
「あ……れ?」
トビアスが眉をひそめ、ランタンをじっと見つめた。
「親方……あのランタン、音が変です。光の奥から、チリチリって乾いた金属の擦れる音が聞こえます……」
「ほう」
ロディがニヤリと口元を歪めた。
朝一番に教えた「道具の呼吸を聞く」手ほどきを、トビアスはすでに実践していたのだ。
「トビアス、次は何が起きる?」
「え……っと、吸気弁の隙間から、青い煙が……! 排熱が間に合っていません! 熱感知の回路がショートして、魔力が暴走します!」
「何をごちゃごちゃとデタラメを――」
ベルガーが怒鳴りつけた、まさにその瞬間だった。
――バシュゥゥゥッ!
「ぎゃあああっ!?」
ランタンの金メッキ装甲の隙間から、猛烈な黒煙と火花が吹き上がった。
過熱した外装が赤黒く変色し、ベルガーの高級な絹のローブの袖に燃え移る。
「あ、熱い! 火を消せ! なぜだ、私の計算式は完璧だったはずだぁぁっ!」
ベルガーがみっともなく床を転がり回る。
「アリア、冷却だ」
「了解――極小冷凍波を展開」
アリアが指先をひと振りすると、冷涼な冷気がベルガーの袖を包み込み、火を一瞬で鎮火させた。
床には、黒焦げになって異臭を放つ最新式ランタンが転がっている。
「……ひ、火が……私の最高傑作が……」
煤まみれになってへたり込むベルガーを見下ろし、ロディは冷たく言い放った。
「周囲の魔力を自動吸収する構造のくせに、過剰な魔力を逃がす『安全バイパス』をケチって削ってやがる。おまけに装甲の密閉性を高めすぎて、内部に熱が籠もって自爆したんだよ。……うちの見習い弟子ですら一瞬で見抜いた欠陥だぞ、教授先生」
「な……っ!?」
ベルガーは顔を蒼白にしてトビアスとロディを交互に見つめた。
「お前らが進めてる『全自動魔導配給網』とやらも、同じ構造なんだろ。現場の環境や熱の逃げ場を完全に無視して、机の上の数式だけで街中に魔力を垂れ流そうとしてる。……そんな欠陥品を帝都中に張り巡らせてみろ。三ヶ月もしねえうちに、帝都中の魔導具が一斉に火を噴くぞ」
「だ、黙れぇっ……! 無学な町修理屋と落ちこぼれの分際でぇっ!」
ベルガーは屈辱と恐怖に震えながら立ち上がり、警衛兵たちに支えられながら馬車へと逃げ戻った。
「覚えていろ……! 大貴族連合の計画を侮辱した罪、必ず後悔させてやるぞぉぉっ!」
けたたましい馬車の車輪の音が、逃げるように遠ざかっていった。
◇
「……ふぅ。朝から騒がしい客だったな」
ロディは煙管の灰をトントンと落とし、作業台の前の椅子に腰を下ろした。
「親方……俺、言えました。機械の悪いところ、ちゃんと自分の目と耳で分かりました……!」
トビアスが興奮に頬を紅潮させ、震える両手を見つめていた。
学院で「無能」と蔑まれていた自分が、最高位の教授の欠陥を完璧に言い当てたのだ。
「よくやった。お前の耳は確かだ。……だが、浮かれるなよ。見抜くだけなら誰でもできる。見抜いた上で、その歪みを正してやれるのが本物の職人だ」
「はいっ! 親方!」
トビアスは力強く頷き、再び真鍮棒を磨くヤスリを握り直した。
その隣で、アリアが静かにロディの袖を引いた。
『マスター・ロディ。先ほどのランタンの残骸より、大貴族連合のメインサーバーの周波数データを抽出完了しました』
「よし。セリアに渡して、裏で動いてる貴族の名前を洗わせろ」
『了解。……しかし、懸念事項が存在します。あの構造の配給網が帝都の地下に敷設された場合、防衛結界の動力炉と干渉し、帝都全域の大規模停電および魔力暴走を引き起こす確率は――八七パーセントです』
アリアの藍色の瞳に、深刻な警告光が宿る。
ロディは作業台の上の工具槍を手に取り、窓の外の帝都中央区を見据えた。
「ハイネ公爵が消えても、同じ穴のムジナが次から次へと湧いて出やがる。……トビアス、腕を磨くのを急ぐぞ。帝都中の道具が悲鳴を上げる前に、俺たちの手で直してやらなきゃならんからな」
「はい、親方!」
小さな町工場の朝に、師弟の確かな絆と、帝都の新たな危機に立ち向かう静かな闘志が満ちていた。
お読みいただきありがとうございました!
見習い少年トビアスの成長と、傲慢なベルガー教授への痛快なざまぁ劇でした!
ロディの手ほどきによって、トビアスが職人としての才能を開花させ始めています。
次回:『第18話 暴走のカウントダウンと、下町の防波堤』
大貴族連合の全自動インフラがついに試験稼働を開始! 帝都中で魔導具の異常が発生する中、ロディ工房が立ち上がります。お楽しみに!




