第90話:【吐血の女神(過労)】
「な、なんだアイツらは……!? 【黒いモンスター】だとぉっ!?」
突如として前線に現れた、漆黒の体毛と赤黒い瞳を持つ異質な魔物の群れ。
普通のゴブリンやオークとは明らかに違う、その禍々しいプレッシャーに
探索者たちが再びうろたえ、戦線が崩壊しかけた。
「怯むなァッ!!」
その混乱を切り裂くように、紅蓮のリーダーの怒号が響き渡った。
「敵の色が変わろうが、やることは同じだ! 落ち着いて敵の動きを見ろ!
今までの経験を思い出せ、お前たちなら絶対にやれる!!」
「っ……そうだ、相手が何だろうとやってやる!」
「A級ギルドが背中を預けてくれてるんだ、俺たちだって……!」
リーダーの的確な鼓舞により
パニックになりかけていた覚醒者たちの瞳に再び闘志が宿る。
(ほぉー……さすがA級ギルドのリーダー。士気を上げる術をよく心得てるわね。
あのマネジメント能力、私が会社を立ち上げる時に引き抜きたいくらいだわ)
後方で安全にヒールを配りながら、私はのんきに感心していた。
ドンッ!!
突如、私の展開していた【絶対障壁(見えない壁)】が激しく揺れた。
「……え?」
見れば、前線から放たれた『黒い魔法の矢』が
私の障壁に直撃して弾け飛んだのだ。
流れ弾ではない。明らかに、私という【回復の要】を
ピンポイントで狙い撃ちしてきた軌道だった。
(ちっ……敵が私の存在に気づいた? いや、それより知能が上がってる?
もしかして、群れを統率して指示を出している個体がいる……?)
私は推測を巡らせながら、自身の周囲を覆うように
より強固なドーム状の結界を展開し、治癒の作業に戻った。
「有希さん、治癒は助かるが……大丈夫か!?
誰か数人、迎撃と護衛に回そうか!?」
治療中の探索者が、結界にぶつかっては弾ける黒い矢を見て焦ったように聞いてくる。
「前線は手一杯でしょ? 大丈夫、この程度の攻撃は結界を抜けないから。ほら」
私は飛んできた火球を、結界が涼しい顔で弾き返すのを見せて安心させた。
「……そ、そうか。女神様には悪いが、耐えてくれ!
少しずつだが敵の数は減ってきている、あと少しの辛抱だ!」
「ふふ、期待しているわよ」
私は優雅に微笑んで彼を送り出し
次にやってきた血まみれの怪我人の治療に取り掛かった。
――その瞬間だった。
『主!! 危ないッ!!』
脳内に直接、ウィットの緊迫した念話が響いた。
「っ!?」
私は反射的に、治療中の怪我人をかばうように体を大きく右へ逸らした。
バリンッ!!!
絶対に破られないはずの私の結界が、ガラスのように砕け散る。
結界を【貫通】してきた漆黒の槍が、私の左腕の肉を容赦なく抉り、貫いた。
「ぐぅッ……!」
鮮血が舞い、私は苦悶のうめき声を漏らした。
「有希さん!? 大丈夫ですか!!?」
治療中の探索者が血相を変える。
「……これくらい、大丈夫よ。それより自分の心配をしていなさい」
私は震える手で治癒の光を出し続けながら、強気な笑みを浮かべてみせた。
「前線に戻ったら、これより危ないんでしょ? なら、こんなのかすり傷よ」
(痛い痛い痛い痛い痛いッ!! なによ今の攻撃!?
私の結界の構造を完全に理解して、弱点を突いて貫通してきた!?)
私は内心で涙を流しながらも、冷静に状況を分析し、焦りを募らせていた。
(私が怪我人の治療中で『動けない』ことを察知して狙撃してきた。
黒いモンスターの中には
確実に高い知能を持った魔法狙撃手がいる!)
視線を動かすと、ウィットは遠く離れた場所で
こちらに抜け込もうとする黒い魔物の群れを単騎で蹴散らしてくれていた。
私の『前線の網目を抜けた敵を倒せ』という命令を忠実に守り
経験値を処理してくれているのだ。
(ウィットはよくやってる。でも、遠距離からの狙撃には手が回らない。
……このままだと、本当に蜂の巣にされるわね)
「目立つとか、言ってられないわね……」
私は口の中の血をペッと吐き出し
以前から考えていた『奥の手』を切る覚悟を決めた。
実戦でできるか分からないから、絶対に使いたくなかった。
だが、ここで敵の狙撃手を放置すれば私は物理的に死ぬ。
かといって、私が直接敵を倒せば『経験値』が入ってレベルアップして死ぬ。
(なら、倒さずに【無力化】するしかない!)
私は、空間に漂う『他の探索者たちが放った魔力の残滓』に
自分の魔力を極細の糸のようにほんの少しだけ混ぜ込み
強制的にコントロールを奪った(ハイジャック)。
その魔力を圧縮し、無数の不可視の【魔弾】を作り出す。
(標的は、後方で狙撃魔法を練っている黒い魔物。
頭や心臓は狙うな。絶対に殺すな……狙うのは、『足』のみ!!)
――ターンッ!! ターンッ!! ターンッ!!
放たれた魔弾が、正確無比な軌道で黒い魔物たちの膝を撃ち抜き、粉砕する。
「ギィャァァァッ!?」
足を潰された魔物たちが悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる。
すかさず、隙だらけになったそいつらを
味方の前衛やウィットがトドメを刺してくれた。
(よし、経験値は入ってない! 完璧なアシスト!)
しかし、その代償は大きかった。
「……ッ、げほっ!」
口から、ドス黒い血がゴボッと吐き出された。
右脳で【精密な治癒魔法】を怪我人に施し。
左脳で【外部魔力の支配と超精密な狙撃(足抜き)】を行う。
思考と魔力を完全に2つに分断する異常なマルチタスク(並列処理)は
私の脳と魔力回路に限界以上の負荷をかけていたのだ。
治癒の精度もさっきまでとは違い、かなり大雑把になっている。
(きつい……脳みそが沸騰しそう……!
でも、私がサボるため(生き残るため)にはやるしかないのよぉぉっ!)
「め、女神様!? 腕から血が……それに吐血まで! もう休んでください!!」
「大丈夫、いつものことだから(適当)」
気にする余裕もない私は、血を吐きながら適当に返事をした。
だが、その適当な言葉は
極限状態の覚醒者たちに【最悪の勘違い】を巻き起こした。
「い、いつものこと……!? 女神様は、いつも身を粉にして
自分の命を削って俺たちを……ッ!」
「うおおおおおっ! 女神様にこれ以上無理をさせるなァァッ!
敵を殺せェェッ!!」
「女神様バンザイ!!」
(いや万歳じゃないんだけど。
なんか勝手に狂信者が増産されてるんだけど!?)
私の内心のツッコミは、戦場の熱狂にかき消された。
そして――。
戦場が異常な熱気に包まれたその時。
――ゴォォォォォォォォォンッ!!!!!
空気が爆発したかのような轟音と共に。
ダンジョンの最奥から、咆哮の主である【規格外のボス】が
その絶望的な姿をついに現したのだった。




