第6話:【深淵変異】聖女の浄化、そして訪れる究極の絶望
ボコ、ボコボコ……。
オークの死体を突き破り、異形の骨が立ち上がる。
その足元から、森の緑が黒く変色し、ジュウジュウと音を立てて腐り落ちていった。
(……最悪だ)
前世の記憶が、目の前の絶望の正体を完全に理解していた。
『深淵変異』。
悪魔の力を過剰に取り込んだ者が死んだ後に起こる現象だ。
アレを完全に消滅させるには、『浄化』の魔法を撃ち込むしかない。
だが、それには致命的な問題があった。
(私が浄化でアレを単独撃破すれば、莫大な経験値を独り占めしてしまう。
ただでさえ【創造神の祝福】の代償で基礎ステータスが激減している私だ。
レベルアップの負荷が掛かれば、間違いなく全身の血管が破裂して即死する……!)
「ギガァァァッ!!」
骨の怪物が顎を鳴らして突進してきた。
オーク時代とは比較にならない俊敏性。
「ここは、通さねえええっ!!」
盾を構えた男子生徒が躍り出た
。圧倒的な質量を持つ斧の一撃に、彼の腕の骨が軋む音が響く。
一瞬で膝から崩れ落ちたが、彼が命懸けで受け止めたその「数秒」が
私に魔力を練るための初動を与えてくれた。
「そこを、どきなさいっ!」
横から花梨の全力の風の槍が、怪物の側面に直撃する。
ダメージは一切ない。
しかし、その凄まじい衝撃波によって
怪物は先ほどあの巨猫が消えていった森の奥へと大きく吹き飛ばされた。
(……馬鹿な、花梨の全力魔法が無傷!?)
その異常な再生力を見て、私の背筋に氷が滑り落ちた。
やはり、浄化以外は完全に無効化されている。
だが、怪物は立ち上がると私たちには目もくれず、森の奥へとズンズンと歩き出した。
(……しめた!)
アレの行動原理は「自分を殺した者への復讐」。
先ほど自分に致命傷を与えた存在――あの巨猫を殺しに行っているのだ。
標的が外れたこの数秒が、唯一の勝機。
私は魔導銃を構え、【回復(SS)】の神力に【浄化】のスキルを乗せ、銃身へと極限まで圧縮し始めた。
だが、森の奥から木々がなぎ倒される音と共に、あの骨の怪物と巨猫が「こちらへ押し戻されて」きた。
猫の銀毛は赤黒く汚れ、息も絶え絶えだ。
逃げ遅れた子猫を腹の下で庇いながら防戦していたため、逃げ切れずに追いつめられてしまったのだ。
「ギチッ……!」
怪物が、銃口に圧縮された「浄化」の神聖な気配に気づいた。
最優先の脅威と認識し、私へ向かって猛烈な速度で迫る。
そこへ、母猫が再び横入りし、苛烈な近接戦闘が始まった。
そして、怪物が大きく斧を振りかぶったその時。
「みゃあ……」
母猫の足元から、震える子猫がよろけ出てしまった。
怪物の濁った眼窩が子猫を捉える。容赦のない斧の軌道が振り下ろされた。
(避けろ!!)
私が叫びそうになった瞬間。母猫は避けるどころか、自ら斧と子猫の間に身を投げ出した。
ズバァァンッ!
斧が母猫の肩口に深く食い込む。
しかし、我が子を守ろうとするその肉と骨の抵抗が、怪物の斧の動きを完全に止めた。
(撃て! ……いや、ダメだ、まだ魔力圧縮率が95%! 今撃てば威力が足りずに全滅する……っ!)
引き金に掛けた指が震える。
あとほんの数秒、怪物を抑え込まなければ私の準備が間に合わない。
「高橋さんに、近づけるなァッ!!」
生き残った仲間たちが一斉に魔法を放った。
当然ダメージはゼロだ。
だが、彼らの決死の牽制魔法が怪物の顔面で爆発し
その衝撃が怪物の姿勢をわずかに崩し、私への「完璧な射線」をこじ開けた。
圧縮率、100%。
(……撃てば、私は死ぬ)
だが、身を挺して我が子を守ったあの母猫の姿を見た瞬間、私の中の迷いは完全に消え去っていた。
生き残るための打算なんかどうでもいい。
あの親子の命を、こんな理不尽な化物に奪わせるわけにはいかない。
「今だッ!! 消し飛べェェェッ!!」
私は、自らの死を覚悟し、「浄化」の引き金を引いた。
放たれた白銀の閃光。斧が抜けず回避できない怪物の胸部に、この空間で唯一有効な弾丸が直撃する。
「ギ、ガァァァァァァァァッ!!」
断末魔の叫びと共に、骨の怪物は光の粒子となって森の空気に溶けて消え去った。
「……やった……!」
「倒したぞ!!」
歓喜に沸く仲間たち。
だが、私はその歓声を聞きながら、冷徹な理性が告げる死の予感に震えていた。
(来る……。分配だろうが単独だろうが関係ない。
この規模の『経験』が流れ込めば、今の私の脆弱な肉体は一秒で内側から弾け飛んで死ぬわ)
私は血走った目で、魔力の残滓が舞う戦場を必死に凝視した。
「どこ……どこなの!? どこにいるのよッ!!」
(いた……!!)
視界の端、ボロボロになりながらも膝をついている、盾役の彼を見つけた。
彼でなければならない理由は二つ。
私の支援魔法を浴び続けて「魔力の指紋」が最も馴染んでいること。
そして、この場で最大の体力を持ち、あの怪物の猛攻を唯一耐え抜いた「最も頑丈な器」であること。
私は転がるように彼に駆け寄り、その肩を強く掴んで顔を至近距離まで寄せた。
「……っ、高橋、さん……?」
「聞いて! 今からあなたの体に、私の全経験値を叩き込む! 成功すれば二人とも生き残れる……
けど、死ぬほど、本当に死ぬほど痛いわよ!! 耐えられる!? それとも私と一緒にここで爆発する!?」
私の狂気じみた形相と、肌を焼くような魔力の熱気。
普通の人間なら怯むその圧力の中で、彼は血の混じった唾を吐き捨て、不敵に笑ってみせた。
「……は、やってやらぁ。
その代わり……成功したら、俺の願いを一つだけ聞いてもらうからな。文字通り、『なんでも』だぞ」
その眼光には、極限状態だからこそ剥き出しになった、男としての執着と意地が宿っていた。
「いいわよ。生き残れたら、なんでも聞いてあげるわ。だから、絶対に意識を離さないで……!!」
一瞬の沈黙。
彼は苦痛に顔を歪めながらも
私の手首を折れんばかりの力で握り返した。その瞳に、死を覚悟した男の覚悟が灯る。
「……ッ、その言葉、忘れるなよ。……やれッ!!」
「――愛してるわよ、その根性ッ!!」
彼の同意と同時に、私は暗転しかける意識を繋ぎ止めて「魔力バイパス」を強引に構築した。
私に注がれるはずの、世界の理を書き換えるほどの莫大な熱量。それを彼の肉体へと無理やり流し込む。
(生きるか、死ぬか。一か八かの大博打、いくわよ……ッ!!)
運命を無理やりねじ曲げる最後の一手を、今、彼の魂へと叩き込んだ。




