第30話:【リーダーの責任】と【園児未満の容疑者】
オレンジ色に染まる夕焼け空の下
迷宮の入り口ゲートを抜けた私たちの前に立っていたのは
見事な白髪をオールバックに撫で付けた、執事服の初老の男性だった。
「お待ちしておりました。――高橋有希様ですね?」
「……はぁ」
私は本日何度目かもわからない、深くて重い溜息を吐き出した。
全身の関節がギシギシと悲鳴を上げている。
(……前世で三十年、泥水すすって最前線を生き延びてきた私の感覚からしても
今日の労働はブラックの領域だわ。魔王軍との決戦より疲れてる気がする。
あっちは死ぬ覚悟が一回で済んだけど、今日は何度も死にかけたからかしら)
「……で、何の用なの? こっちは見ての通り、ヘトヘトなんだけど」
「私、『覚醒者協会』の橘と申します。……お疲れのところ恐縮ですが
少々お耳に入れたい『ご依頼』がありましてな」
「覚醒者協会? 精霊協会じゃなくて?」
「おやおや、ご存じありませんか。
この国には二つの組織があることを。
国から補助金をもらって運営される、官僚的な公的機関『精霊協会』。
そして、我々のように民間資本で運営され、実力を正当に評価する国際組織『覚醒者協会』です」
(……利権にまみれた国内組織と、実利を追う民間組織か。
面倒な構図だわ。そしてこの橘という男、話し方が丁寧すぎる。
丁寧すぎる人間ほど、腹の中が見えない)
私がその説明を脳内で整理しようとした、その時だった。
(……ん?)
遠くからサイレンの音が近づいてくる。複数台。速い。
(あ、来るな、これ)
「――そこまでだ! 動くな!」
けたたましいサイレンの音と共に、数台のパトカーがゲート周辺を包囲した。
中から降りてきたのは、殺気立った表情の警察官たちだ。
「高橋有希! 迷宮内での暴行および殺人未遂の容疑で同行を願う!」
「……はあ?」
橘が冷ややかな視線を警察官たちに向けた。
「……おやおや。所轄の警察が、我々の大事な商談を邪魔するのですか?」
「黙れ、民間人が! これは被害届が出ている緊急事案だ。……おい、連れて行け!」
橘を突き飛ばさんばかりの勢いで、警察官が私に詰め寄る。
(……焦ってるわね。
精霊協会から「今すぐこの娘を社会的に抹殺しろ」とでも特急指令が出たのかしら)
「わかったわ、大人しく行くわよ。ただし――」
私はガチャリとかけられた「魔力封じの特殊手錠」の重さに顔を顰めた。
「これ、めちゃくちゃ重いんだけど。私の筋力は『1』よ?
一歩歩くごとに手首が悲鳴を上げてるわ。……幼稚園児を連行するのに、そんな重い鎖が必要なの?」
「うるさい。つべこべ言わず歩け」
「いや、本当に重いのよ。これ、私の体重の何割かしら。
引きずらないと歩けないんだけど」
「……」
警察官が一瞬だけ手錠を見て、私の細腕を見て、また手錠を見た。
「……歩け」
「歩いてるわよ。ゆっくりしか歩けないけど」
***
無機質な警察署の取調室。
パイプ椅子に座らされた私の前に、強面の刑事がドカッと座り、バンッ! と机を強く叩いた。
(うわっ、大きな音立てないでよ。今の私の体力は限界に近いのよ。
ショック死したらどう責任とるつもり? 「取調室でFランク覚醒者を音に驚かせて殺した」って事案、前代未聞よ)
「ふざけるな。被害者のパーティを襲撃し、全治数ヶ月の重傷を負わせたのは間違いないか!」
「……あのさぁ、刑事さん」
私ははぁ、と溜息をついて、机の上に細腕を乗せた。
「私は先日覚醒したばかりで、ステータスは全部『1』の無能なんですよ?
刑事さんは、幼稚園児……それもお遊戯会で寝ちゃうような3歳児とタイマン張って
ボコボコにされて負けるんですか?」
「っ……!」
「お遊戯会で寝ちゃうような3歳児」という表現が思いのほか刺さったのか
刑事の顔に一瞬「えっ」という表情が浮かんだ。
「そ、そういう屁理屈を言っているんじゃない!」
「現実的な話をしてるんです。そんなので泣きついてくるC級覚醒者なんて
ただの豆腐か何かじゃないですか。物理的に不可能な事案を立件して、恥ずかしくないんですか?」
「ぐっ……!」
刑事が言葉を詰まらせた。
私はさらに続けた。
「今すぐ私を釈放しないと、警察の信頼性が暴落しますよ?
『Fランク覚醒者を殺人未遂で逮捕した結果、物理的に不可能と判明して釈放』って
報道されたら、どこの署ですか、ってなるわよ」
「黙れ! いいからやったと認め――」
刑事が顔を真っ赤にして机を叩こうとした、その時だ。
(……さて。そろそろかしら)
バタンッ!!
取調室のドアが乱暴に開き、署長らしき男が慌てた様子で転がり込んできた。
「……っ、高橋有希を、ただちに釈放しろ!!」
その顔は、ギリギリと歯を食いしばり、尋常ではない恐怖と焦りが滲み出ていた。
「は? 署長、何を言って……!」
「いいから釈放しろ!! 今すぐ!! 丁重に!! 謝罪付きで!!」
刑事が呆然としている間に、手錠が外された。
「……あ、軽い。よかった」
私は素直に感想を述べた。
「大変失礼いたしました、高橋様……! どうかご容赦を……!」
署長が深々と頭を下げる。
「いいわよ、別に」
(……橘さん、何をしたのかしら。五分もかからなかったわね。さすがに早い。
民間組織の方が動きが早いというのは本当なのね)
「お疲れ様でした」
警察署の門を抜けると、そこには案の定、橘が涼しい顔で車に寄りかかって待っていた。
「あんた、私が連行されるのをニヤニヤ見てたでしょ」
「さて、何のことでしょう」
「見てたでしょ」
「それより、お車にどうぞ。我々のスポンサー……
つまり、今回の依頼主があなたに直接お会いしたいと
ある場所でお待ちでしてな。続きは車内で。少し、お時間をいただけますかな?」
橘が恭しく車のドアを開ける。
「……まったく」
私は頭の中で今日一日を振り返った。
ダンジョンで戦って、魔物を倒して、謎の組織と対峙して、警察に連行されて
取調室で刑事と言い合って、釈放されて、今また知らない車に乗ろうとしている。
(……前世の魔王討伐の最終決戦より、今日の方が目まぐるしかった気がする)
(いや、あっちは一回死んでるから比較が難しいわね)
「……冗談じゃないわよ」
私は深くため息をついて、車に乗り込んだ。
(早く家に帰って、家のふかふかのベッドでゴロゴロしたい。麦茶も飲みたい。
お風呂も入りたい。)
(……引退って、難しいわね)
最強の英雄の、絶対安静への道は遠い。




