第28話:【戦場帰りの眼力】と【新たなる刺客】
暗闇からヌルリと現れたのは、仕立ての良いスーツを着崩した細身の男だった。
顔に浮かべた笑みは穏やかだが
その奥にある目は爬虫類のように冷たく、粘着質だ。
「……はぁ」
私は本日何度目か分からない、深〜い溜息を吐き出した。
(また来たわ。一番面倒な方向から、一番面倒なものが)
「真正面からノコノコやって来るなんて、随分な自信家ね。
その不快な魔力の質……以前、襲ってきた覆面の男でしょ?」
(……ハッタリ込みで八割正解。まあ、外れたところで私にはどうでもいいけど)
私は表面上は飄々としながらも、全神経を尖らせて男を分析していた。
肌を撫でるようなこのネットリとした魔力の波動。
三十年、前線で嗅ぎ続けた「人殺しを日常業務にしている手練れ」の匂いだ。
(厄介ね。でも、わざわざ向こうから出向いてくれたのは助かるわ。
こちらの領域なら分析しやすい)
「相手を舐め腐ってる奴ほど
足元をすくわれてあっけなく散るのよね。前だってそうだったでしょ?」
さも「お前の手口は全部お見通しよ」と言わんばかりのトーンでカマをかける。
(ハッタリだけど)
「おや、何のことやら」
男は胡散臭い笑みを崩さずにとぼけた。
「それにしても妙ですねえ。私の可愛い部下たちは
あなた方のような学生のお遊びパーティより、数段実力が上だったはずなんですが」
「単に、あなたが思っていた以上に部下の実力が低かっただけじゃない?
私なんて、一歩も動かずに終わっちゃったし」
私が鼻で笑うと、男の片眉がピクリと動いた。
「……なかなか言いますねえ」
ヒュッ、と風を切る音。
男が手を振った動作すら見えなかったのに
私の首筋めがけてナイフが飛来していた。
ただし、正面からではなく――「右にズレた空間」から唐突に出現した。
カキンッ。
私はあらかじめ展開していた障壁で
それをあっさりと弾き落とした。
動作は最小限。表情は変えない。
欠伸をかみ殺すくらいの余裕のポーズを作る。
(なるほど、ようやく理解できたわ。
空間魔法を使った位置偽装ね。初見殺しのチープな手品だわ)
視覚情報を信じれば、次の瞬間に死角から喉元を裂かれるだろう。
だが、この周囲一帯はすでに私の魔力で充満した
いわば『私の私有地』だ。空間が歪めば、そこに魔力の空白ができる。
長年、最前線で魔力知覚を研ぎ澄ませてきた私を騙すには
あまりに子供騙しすぎる。
「ねえ、そんなどんぐりコロコロみたいな手品で遊んでていいの?
あなたのツレ、瀕死よ? ここはダンジョンなんだから
さっさと止血しないと魔物のオーガニックなエサになるわよ」
「……優しいですねえ。私に無事回収させてくれるのかな?」
「私たちが平和に帰るまで、二度と絡んでこないと約束するならいいわよ?」
「ゆ、有希ちゃん!? お怪我はない!?」
背後から、血相を変えた花梨と香澄が駆け寄ってきた。
特に花梨の勢いが凄まじい。
「あんな薄汚いドブネズミの暗器が、万が一にも有希ちゃんの神聖な御肌に触れでもしたらどうするの!? 大罪よ!? そもそも
あんな泥水みたいな奴と会話するだけでも穢れちゃうわ!
さあ、早く私達の後ろへ!!」
「駄目よ有希! あいつらは約束なんて絶対に守らない!」
熱狂的な過保護(花梨)と、冷静な忠告(香澄)が両脇を固める。
男はクスクスと笑い出した。
「それで、私たちが本当に守るとでも?」
「別に守らなくてもいいわよ。
あなたの『やり方』はもう分かったし、対策も済んだ。
もう私にとっては脅威じゃないから。それに……」
私は腰の魔道銃を愛おしげに撫でながら、冷徹なベテラン兵士の目で言い放った。
「『レベル1でステータスオール1の無能』に
手も足も出ずに敗走したなんて世間に言いふらされたら
困るのはそっちのメンツじゃない?」
「……本当に脅威ではないのか。試してみましょうか」
男の姿が蜃気楼のように揺らいだ。
(来る。ただし、本体は「そこ」じゃない)
私はあえて男の姿から外れた方向――
本体が潜む何もない虚空に向けて、魔道銃の照準をピタリと合わせた。
「視線が合ってませんよ。私はこちらですが?」
「知ってるわ」
引き金を絞る。
『拡散・追尾弾』
放たれた魔力弾は途中で拡散し、何もない空間へと吸い込まれていく。
「――グァッ!?」
くぐもった苦痛の声が漏れ、男が腹を押さえて実体化した。
「だから言ったでしょ? あなたはもう脅威じゃないって。
いいわよねぇ、この世界は。
『次がある』と思い込んでるおバカさんがいっぱいで。
おかげで、この二度目の人生は楽に生きていけそうだわ」
男が静かに私を見た。
顔から胡散臭い笑みが完全に消え失せている。
(……前世じゃ、一度負けたらそこが墓場だった。
平和ボケした暗殺術なんて、私の眼の前ではお遊戯会よ)
「……なるほど。底が見えない。これは一旦、引かせてもらいましょうか」
腹から血を流しながらも、男は冷静に状況を判断したらしい。
パチン、と指を鳴らすと
男の足元と倒れていた部下たちの下に転移魔法陣が浮かび上がった。
「この礼は、いずれ必ず」
負け惜しみを残し、男たちは空間ごと切り取られたように姿を消した。
「どうして行かせたの!?」と香澄が悔しがる。
「今は無理ね。あいつを追い詰めてなりふり構わなくなったら
私一人であなた達二人を無傷で守りきれる保証がないもの」
(……私の大事な手駒(ATM)が傷ついたら困るのよ)
(最前線で体を張ってくれる優秀な働き手の無事は
私の輝かしい不労所得ライフに直結するのだから)
(本音は以上だが、それとは別に
二人には本当に無事でいてほしいとも思っている)
(……なんとも面倒ね)
私はパンパンと手を叩いて、重苦しい空気を強制終了させた。
「さて、それじゃあ。邪魔者もいなくなったし、狩りを再開ね」
しーん、と。
静寂が落ちた。
花梨と香澄が、彫像のように固まっていた。
「今、何と言った?」香澄が呟いた。
「狩りを再開、よ。レベル上げでしょ?
邪魔者がいなくなったんだから貸し切り状態で好都合じゃない」
「……有希ちゃん、正気……?」
花梨が、熱狂的な信者らしからぬ完全にドン引きした顔で私を見た。
「あ、いえ! 有希ちゃんの御言葉は絶対だし
神の裁定に異議を唱える気は毛頭ないんだけど!
でも、流石にあのガチの殺し合いの直後に血塗られた迷宮探索を続行するのは
狂信者の私でも脳の処理が追いつかないっていうか……
有希ちゃん、ひょっとしてサイコパス……?」
「あなた、神経どうなってんのよ……絶対頭おかしいわよ!?」
香澄も花梨に便乗して吠える。
「私はずっとウィットの背中に乗ってて、一歩も動いてないし?
全然疲れてないわよ」
(本当は立っているだけで足腰がしんどくて
今すぐ帰ってベッドにダイブしたい。
でもここは我慢。将来の莫大な不労所得のために!)
私は二人のまっとうな反論を最高の笑顔で完全封殺し
半ば強引に回復魔法と支援魔法をかけ直して
容赦なく迷宮の奥へと彼女たちの背中をグイグイ押した。
(頑張れ、二人とも。私の将来の安定のために)
(……あと、あなた達自身のためにも)
***
それから数時間後。
スライムのようにボロボロになった二人を引きずってダンジョンを出た
私たちの前に、一人の老執事が静かに立っていた。
白手袋。完璧な姿勢。品のある白髪。
その真っ直ぐな視線が私を捉えた瞬間
私の中の「また面倒が来た」センサーがけたたましく鳴り響いた。
「お待ちしておりました。――高橋有希様ですね?」
(……帰りたい)
どうやら、私の「悠々自適な二度目の人生」は、まだまだ波乱万丈になりそうね。




