第27話:【聖女の苦悩】と【新たなる乱入者】
第27話:【聖女の苦悩】と【新たなる乱入者】
花梨と香澄が死闘を繰り広げていた、その数分前。
後に二人が目撃することになる「戦慄の光景」の中心では
私が盛大な溜息をついていた。
(……さて。二人が戦ってる間に、私も片付けますか)
「なあ、あんた。学園で『聖女』と呼ばれてるんだろ?
どうだ、うちにこないか? あんなガキ共とつるむより、もっといい思いをさせてやるぜ?」
顔に傷のあるリーダー格の男が、下卑た笑みを浮かべて提案を持ちかけてきた。
私はウィットの背中から渋々降りて立ち上がり、心底呆れた顔で男を見た。
(……実はこの時点で、行程の八割は終わっていた)
拠点に陣取った瞬間、私は不可視の「結界魔法」を周囲一帯に張り
内部を自分の魔力で完全に飽和させておいた。
要するに、この範囲内は全部「私の庭」だ。
誰がどこで何ミリ動いたか。呼吸のリズムが変わった瞬間。
踏み込みの角度。視線の先。魔力の揺らぎ一つで全部拾える。
前世で数十年、地獄のような前線を這いずり回ってきた。それ以来の習慣だ。
安全な「サボり」を成立させるためには、安全の確保が先決。これは鉄則である。
「あら? それが『交渉』のつもりなら、随分とお花畑な頭ね。
もっとマシな条件は提示できないの?
……ああ、ごめんなさい。あなたみたいな下っ端じゃ、権限がなくて無理か」
私は小首を傾げ、わざとらしく同情的な視線を送った。
しかし男は単細胞のチンピラのように激高することなく、逆に口角を深く吊り上げた。
「……ヘッ。乗ってこねえか。しかし、聖女様はずいぶん口が悪いな?
この本性が広まったら、お前の大切な評判が地に落ちちまうぜ?」
ニヤニヤと脅しをかけてくる男に、私は再び深く、心からの溜息を吐き出した。
「それで落ちるくらいなら、こんなに苦労してないわよ……」
「あ?」
「あなたに分かる? 何をやっても
ただ息をしてるだけでも勝手に神格化されて、右肩上がりに評判が上がっていく苦労が。
無能な信者に祭り上げられるリスク。
一度ついた『聖女』なんて看板、降ろすだけでも一苦労なのよ。
美少女っていうのも、本当に楽じゃないのよ」
「…………」
男が、黙った。
「俺に愚痴ってる……?」という顔をしていた。
「俺たちは今、脅迫の場面だよな……?」という顔もしていた。
(ああ、ごめんなさいね。でも本当に切実な悩みなのよ)
「前線あがりの身としては、この過剰な名声はただの重荷でしかないのよね。
引退して安静に暮らしたいのに、なぜ毎回こういうことに……」
「……ッ、俺はなァ、お前みたいに何もかも持ってる『恵まれた奴』が一番ムカつくんだよ!
仲間に引き入れてやろうと思ったがやめだ。お前はここで消えろッ!!」
あ、やっと怒った。
男が泥濘を蹴り、恐ろしいスピードで突っ込んでくる。
(おっ、予想以上に速い。まあ、予備動作から軌道まで全部筒抜けなんだけど)
(それより腰が痛い。早く終わってほしい)
私がそう思った瞬間、私の横から巨大な漆黒の影が弾丸のように飛び出した。
「なッ!?」
男は寸前で軌道を逸らし、鋭い爪の一撃をギリギリで躱して後退した。
「チッ! なんでこの魔物は、さっきから俺『だけ』を的確に狙ってきやがる!?」
当然だ。この領域内において、彼のステルスもフェイントも
解答の書かれた試験用紙を差し出しているも同然だからだ。
私はのほほんと突っ立ったまま、魔道銃でウィットに支援魔法を撃ち込んだ。
同時に、頭の中の全方位モニターが戦場全体を映す。
(香澄ちゃん方向。閃光弾が来る。座標はここ。障壁一枚、展開)
(花梨ちゃん方向。……捨て身の特攻か。信頼に免じて、最高の防御を)
(自分の方向。男がまた来る。あと三秒で踏み込む。腰、痛い)
視線を動かす必要すらない。欠伸をかみ殺しながら
三方向の「生死」を指先でコントロールする。
(……前線で三十年やってきた技術をこんなことに使うとは
昔の私が見たら泣くかもしれないが、まあいい。今は快適が最優先だ)
「そろそろ、寝る時間よ」
背中に隠していた左手から、ひそかに練り上げていた特大の魔力を男に向けて放った。
『ウィット、追撃。先回りして、仕留めて』
『やれやれ……御意』
ウィットが念話で返す声が、どこか呆れていた。
「クソッ、こんな大魔法……!」
男は横に跳んで躱したが、空中で体勢を完全に崩した。
そこへ、先回りしていたウィットの巨大な前足がハエを叩き落とすように振り下ろされた。
「ごばァッ!?」
鈍い音と共に、男が泥沼の地面に叩きつけられ、沈黙する。
「……ふぅ」
私は静かに息を吐いた。
第一の感想は「ようやく座れる」だった。
第二の感想は「腰が痛い」だった。
第三の感想は「お茶が飲みたい」だった。
男が泥まみれで沈黙しているのを尻目に
私はウィットのふかふかの背中によじ登り、空間ポーチから水筒を取り出して優雅に喉を潤した。
背景は戦場だ。泥と煙と、倒れた男がいる。
その中心で、私は水筒片手にくつろぎ、
ウィットにトドメを指示しよう、と思った――その時。
ゾワッ、と。
私の張り巡らせた結界を、外側から暴力的にこじ開けるような
圧倒的で冷たい魔力の波動が膨れ上がった。
(……ッ)
私は思わず水筒を止めた。
(これは、格が違う)
「知覚網」を物理的に踏み荒らしながら
暗闇の中から新たな乱入者が静かに歩み出てきた。
(……「安全」の再確認が必要ね)
私は水筒を静かにしまい、ウィットの背中の上で静かに座り直した。
「……ほう。うちの若いのが世話になったようですねぇ」
くつろいでいた空気が、音もなく変わった。




