第20話:【尊厳の安売り】と【聖女の派閥戦争】
第20話:【尊厳の安売り】と【聖女の派閥戦争】
登校するだけで、世界からHPを削り取られている気がする。
昨夜のフォーラム騒動を脳内でリプレイしながら
私は教室の自分の席に辿り着き、机に突っ伏した。
「……ねえ、花梨。世の中って、もっとこう……悪意に満ちていて
外見だけで中身のない女には厳しいものじゃないの?」
「いきなりどうしたの有希! ああっ、机に突っ伏すその儚げな姿も最高に尊い……!
息が絶え絶えなのも、世界中の罪を背負って疲労しているから……!?
待って、今すぐ特製ドリンク買ってくるから!」
「いらない、聞いて」
私は切実に訴えた。
三十年以上の経験と「元・英雄」としての自負がある私にとって
「無能な美少女」という評価は隠れ蓑として最高のはずだった。だが現実は残酷だ。
「なんで私が何をやっても、全部『尊い』方向に変換されるわけ!?
昨日の丸投げだって、普通なら『卑怯者』って後ろ指刺されるでしょ!?」
「後ろ指!? 誰が!? もし刺す輩がいたら私がそいつの指をへし折るから安心して!
だって昨日のあれは『仲間の成長を信じて、あえて試練を与える慈愛の聖女』って解釈が校内の常識だよ!」
「……そうなの?」
「うん! 私も有希の深いお考えを五千文字で考察して、布教しておいたから!」
「……五千文字」
「五千文字」
私はゆっくりと顔を上げ、花梨を見た。
「花梨、一つ確認させて。五千文字って……どのくらいの量かしら」
「えーと、原稿用紙十二枚半くらいかな」
「それを、昨日一晩で」
「うん! 有希のためなら余裕だよ!」
ガシャン、と心の中で何かが崩れ落ちる音がした。
(……原稿用紙十二枚半。昨日一晩で。私の「丸投げ」の考察のために)
(この子、本当に大丈夫? 私じゃなくて花梨の将来が心配になってきた)
「花梨……お願いがあるんだけど」
「なに!? 有希からのお願いなら何でも聞くよ!」
「私のパーティに入って」
「入る!!」
「理由を聞かないの?」
「有希のパーティなら理由は要らない! むしろ今まで誘ってくれなかったことの方が疑問だった!」
「……ありがとう。あなたが前衛を担ってくれれば
私は自宅から遠隔で支援するだけで済む。究極のテレワーク完成よ」
「前衛!? 有希の盾になれるってこと!?
私、前世でどれだけ徳を積んだの!? むしろ私の命を削って有希の安眠を守らせて!!」
「……うん、その熱量の三割くらいを自分に向けてあげてね」
私は心の中で花梨の将来に黙祷を捧げながら、「ありがとう、頼りにしてる」とだけ言った。
これで前衛は確保した。
あとは「自宅から全戦線を支援できる魔道具」が完成すれば、私の引きこもりライフは盤石になる。
問題は、その魔道具を作るために旧校舎の五階まで通い続けなければならないことだ。
***
放課後。
「はぁ……はぁ……三階……三階まで来た……あと二階……あと二階だけ……」
私は旧校舎の踊り場で壁にもたれ、肺の現状を確認した。
(……現代には登山という概念がある。これは登山だ。
私は今、部活動という名目で登山をしている)
(しかも毎日)
(なんのためにサボり環境を整備しようとしているのか、本末転倒すぎて笑えない)
這うようにして部室に辿り着いた私は、床で三分ほど死んだ後、ようやく口を開いた。
「……はぁ、はぁ……部長。提案があります」
「高橋先生!? また吐血してますよ!?」
「平気です……。私の秘蔵の異世界付与技術を全て教える代わりに……
現代の最新理論を教えてください。対等な技術交換です」
御子柴部長が眼鏡を押し上げ、少し考えてから言った。
「……いいよ。でも、それなら正式な形にしようか。
『シブリング(義兄弟)制度』を結ばないか? 技術の継承と相互の庇護を約束する
公式契約だ」
「シブリング制度……」
「ただし条件がある。僕のことを『兄さん』と呼ばなきゃいけない」
その瞬間、私の中の「三十代・元英雄」としての魂が、猛烈に反旗を翻した。
(……待て。三十路のおっさんが、十代の男子高校生を「お兄ちゃん」と呼ぶ?
これは尊厳の問題だ。いや、もはや魂への冒涜だ。いくらなんでも安売りが過ぎる)
(断れ。断るべきだ。英雄の矜持がそう言っている)
だが。
私の脳内の「不労所得計算機」が、コンマ一秒で回答を出した。
(待て。この契約を結べば、部長という強力なバックを得られる。
私の技術を部長名義で普及させれば、私は目立たず、働かず、しかし確実に恩恵を享受できる)
(尊厳と、「一生働かずに食える権利」)
(どちらが重いか)
天秤は、〇・一秒で「欲望」へ振り切れた。
「……喜んで」
私は柔らかく微笑んだ。
「よろしく、巧兄さん」
「っ……! あ、ああ……よろしく、有希」
部長がどぎまぎしながら手を差し出す。私は握手した。
(よし。これで合法的なニート環境が一つ増えた。英雄の矜持よ、少しの間だけ眠っていてくれ)
私は満足して帰路についた。
……一つだけ、知らないことがあった。
この学園における『シブリング制度』とは、単なる部内の技術継承契約などではない。
学園の慣習上、実質的な「絶対の庇護下に入ること」を意味し
外部からは「婚約に準ずる関係」として認識される、極めて重い契約だということを。
私はまったく知らなかった。
翌朝、知ることになるのだが、それはもう少し後の話だ。
***
その頃、校内の匿名掲示板は、有希が預かり知らぬところで戦場と化していた。
【速報】旧校舎の聖女、御子柴部長の『妹』に
1:名無しの覚醒者
終わった。高橋が御子柴の「妹」になった。公式のシブリング制度だ。
2:名無しの覚醒者
ちょっと待て。昨日「俺が盾だ」って
血文字スタンプ送ってた修平はどうなるんだよ。
3:修平の友人
修平、スマホ見ながら白目剥いて倒れてるぞ。
「なんで……俺は盾なのに……あいつは兄さんなの……」ってうわ言言ってる。
4:名無しの覚醒者
【悲報】修平派(ガーディアン派)vs 御子柴派(シブリング派)、校庭で睨み合い開始。
5:名無しの覚醒者
当の本人は「巧兄さん」って笑顔で呼んで握手してたらしいけど
あれ絶対に分かってやってるよな?
6:名無しの覚醒者
分かってるに決まってる。修平に前衛を任せつつ、背後は部長に守らせる。
学園の権力構造を一人で塗り替えやがった……。
7:名無しの覚醒者
しかもシブリング制度の意味、絶対知らないよあの人。
8:名無しの覚醒者
え、知らないでやったの?
9:名無しの覚醒者
たぶん。
10:名無しの覚醒者
知らないでこの状況を作り出してるの、ある意味一番怖いな。
11:修平の友人
修平が「有希は全部分かっててやってるんだ……
だから俺は盾であり続けないといけないんだ……」って立ち上がって木刀持ち出した。
誰か止めて。
12:名無しの覚醒者
「知らずに全員を掌の上で転がしている」か「本当に何も知らない」か
どっちの可能性でも怖すぎる。
13:名無しの覚醒者
これが聖女……。
***
その頃、当の聖女は。
「……ふぁ」
自室のベッドで、修平の送ってきた「泣いてる顔のスタンプ」を一瞥し
通知をミュートにして、そのまま眠りについていた。
(今日も疲れた。旧校舎、五階まで登ったし)
絶対安静のスローライフは、今日もまた一歩、彼方へと遠ざかっていった。




