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第18話:【偽りの英雄、簒奪者の狂想曲】

スウェーデンの冷徹な夜気が、開け放たれた窓から自室へと流れ込んでくる。

私は、PCモニターの青白い光に照らされながら、無機質な打鍵音で孤独を埋めていた。


「Kento Igarashi」「五十嵐剣斗」「覚醒者 ケント」……。


何度その名を入力しても、画面に並ぶのは無関係なノイズばかりだ。

焦燥に駆られ指を動かすたび、指先から透明な波紋が広がる。私の中にだけ残った前世のギフト、『浄化』だ。

それはキーボードの皮脂すら塵一つ残さず消し去り、モニターの埃さえも色味のない白い燐光に変えていく。この「何も残さない」清浄な輝きだけが、私が私であることを証明する唯一のよすがだった。


カイルという名の少年に転生して十五年。

インフラも通信網も魔法技術を凌駕するほど発達した現代社会において、愛しい人の欠片すら見つからない絶望。


「……っ」


無意識に髪を耳にかけようとして、手が空を切る。今の私は男だ。男の身体は合理的で、動いても驚くほど疲れない。時折こぼれる前世の「女」としての所作を誰も指摘しないのが救いだった。


前世の支援魔法は失われたが、代わりに夢の中で雷と氷の「二つの属性精霊」と契約を結ぶことができた。この希少な力が、彼を探し出すための私の唯一の武器だ。


「今度は私が、お前を守ってみせる……」


指先から漏れ出した魔力がPC画面を白く結露させる。

その冷たい決意だけが、私をこの異郷の地で立たせ続けていた。



―――――――――――――――――――――――



さて。

場所は変わって、同じ時代の「どこか」にある真っ白な死後の空間。


そこで今まさに、とある男の魂が神に向かって唾を飛ばす勢いで喚き散らしていた。


「俺はチートな身体と、ハーレムを作れる特権を要求する! 英雄に対する正当な対価だろ!」


男の名は、便宜上「偽・五十嵐剣斗」とでも呼んでおこう。

前世では異世界を救った勇者パーティーの支援職。本人の功績で言えば、「まあいなくても勝てたが、被害は増えた」くらいの貢献度だった。

だが神というのは律儀な生き物で、「貢献した者の望みを一つ叶える」という約束を守った。


「チートな身体! ハーレム! あと、異世界で無双できるスキルも欲しい! 要求が多くてすまんな!」


空間が微かに震えた。神が頷いたのか、呆れて首を傾げただけなのか。

視線のない「肯定」のようなものを感じた瞬間、男はそれを勝手に全承認と解釈し、歓喜に震えた。


「よっしゃあああ! 英雄・五十嵐剣斗の肉体、いただきまーす!」


――ちなみに、その「英雄・五十嵐剣斗の肉体」が、本来の主である魂を失って空き家状態になっていたのは、純粋な偶然だった。

神としても、まさかこの男がピンポイントでその名を指定してくるとは思っていなかった。


「……(これ、後で絶対揉める案件じゃないかしら)」


神は小さく頭を抱えたが、約束は約束だ。


かくして偽剣斗は、日本の見慣れた自室のベッドで跳ね起きた。



―――――――――――――――――――――――



窓の外を見れば、魔力で空を飛ぶ車や、遠くにそびえ立つ覚醒者協会のビル。


「よっしゃあああ! 戻ってきたぜ!」


歓喜の声を上げ、念じてステータスボードを呼び出す。


【生体ステータス】

レベル: 70

体力: 180 / 敏捷: 160 / 筋力: 120

知力: 34 / 魔力: 12


【スキル】

・剣聖剣術Lv4(※型・姿勢・刃筋の自己補正機能)


【ギフト】

・アイテムボックス


「おおおっ……! レベル70!? 体力180!? 完璧じゃねえか!」


ガッツポーズをした。


異世界では後方でビクビクしながらバフを配るだけだった俺に、神が「戦士の肉体」を授けてくれた。これで無双できる。ハーレムも夢じゃない。


――ふと、ステータスボードの下の方に目が止まった。


知力:34。魔力:12。


「……まあ、戦士に知力はいらないよな!」


完璧なポジティブシンキングで、俺は二行を華麗に無視した。


ふと左手首に目をやると、金属製の無骨なブレスレット型デバイスが青く発光していた。

覚醒者協会が発行する『覚醒者認証デバイス』。

ニートだった三年前、記憶の中の俺が「いつか覚醒するから」と親に泣きついて買わせた、これまではただの重りだった無用の長物だ。


「……光ってる。ようやくこのガラクタも、俺の格に追いついたか」


ニヤニヤとその輝きを眺めていた、その時。


バンッ! と、乱暴に部屋のドアが開いた。


「……ちょっと。さっきからドタバタとうるさいんだけど。何してんの、二十歳にもなって」


そこに立っていたのは、今世での妹、五十嵐瑠奈るなだった。

相変わらず、ゴミを見るような冷たい視線を俺に向けている。


「お、おう、瑠奈か! 悪いな、いやさ、俺ついに『覚醒』したんだ! 見てくれよ、このステータス!」


俺は鼻高々に、空中に浮かぶステータスボードを彼女の方へぐいっと押し出した。

驚愕に顔を歪める妹を想像して、笑いを堪える。


だが。


瑠奈の眉間がピクッと跳ね、その顔は驚愕というより、何か深いところで「やっぱりこいつはダメだ」と確信した人間の顔になった。


「……アンタ、本気で言ってるの? そのステータスボード、今すぐ消しなさいよ」


「あ? なんだよ、この数字にビビったか?」


「ビビったのはアンタの頭の中身よ」


瑠奈は俺の手首を指差し、静かに、しかし容赦なく言った。


「その左手首のデバイス、協会と直結してるって忘れたの? 三年前、働かずに『俺はいつか覚醒するから必要だ』って泣きついて買わせたそのガラクタ……。今この瞬間、アンタの異常なレベルをリアルタイムで協会に垂れ流してるよ。未登録でこの数値を無防備に晒してたら、不正ツール使用の疑いで今夜には調査員が来るんじゃない?」


「え、あ、いや……」


「それとね」


瑠奈は淡々と続けた。


「ステータスボードを人前で開くのは、銀行の暗証番号を大声で叫ぶのと同じよ。セキュリティの基本。……あ、あと知力34ってなに。戦士の身体もらったのに頭だけ据え置きなの。神様も詰めが甘いわね」


「そ、そこは関係ないだろ!」


「大いに関係あるわよ」


瑠奈は一切の感情を込めずにそう断言し、踵を返した。


「出かけてくるから。調査員が来たら自分でなんとかしなさい。あと、晩ご飯くらい作っといて。三年間ニートだったんだから、その分くらいは働けるでしょ」


ドアが静かに閉まった。


「……チッ。強者の数値に圧倒されて、余裕をなくしたんだろうな」


俺は一人で納得し、机の上の身分証を確認した。「五十嵐剣斗」。

英雄の名前。英雄の肉体。


完璧だ。


「よし。とりあえず、この身体の試運転と行くか!」


着替えて家を飛び出し、軽く走り出した。

それだけで、景色が爆発するように後ろへ流れていく。


速い。とんでもなく速い。


(こ、これが戦士の身体か……! 支援職だった前世では考えられない……!)


だが、走り始めてものの三十秒。


「……あれ」


身体は時速百キロ近いリズムを刻もうとしているのに、内側の脳みそがついてこない。加速に視界が追いつかず、重心の取り方が一瞬分からなくなり、胃の底からせり上がる不快感が全身に広がる。


(これは……もしかして……)


「……俺の脳みそ、戦士の身体に対応してない……?」


考えてみれば当然だった。

身体がいくら剣聖でも、それを動かす脳みそは前世から丸ごと持ち込んだ支援職のものだ。脳は「走れ」と命令を出す。身体は「分かった、全力で走る」と返す。だが脳は全力で走った身体の情報を処理しきれず、パニックを起こす。


要するに、F1マシンに軽自動車のドライバーが乗っているような状態だった。


「ま、まあ! 慣れの問題だよな! 最強ムーブの反動なんてこんなもんだ!」


自分自身の身体が上げる微かな悲鳴をポジティブシンキングで握り潰し、俺は再び全速力で駆け出した。


後ろで何かが「ドガッ」と倒れる音がしたが、振り返らなかった。


電柱だ。たぶん電柱だ。腕が当たっただけだ。


俺の伝説は、ここから始まるのだ。


……晩ご飯を作るのは、すっかり忘れていた。

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