第14話:【アンチ・マギ ―英雄の底が割れた日、そして最凶の母―】
激しい音を立てて、襖が左右に跳ね飛ばされた。
「聖女様!! 無事か!!」
転がり込んできた組長の怒号が、血の匂いが充満する部屋に響き渡る。
私は足の傷を指でそっと拭い
痛みを完璧に奥底へ押し殺して、のんびりとした声を作った。
「おかえり、おっさん。……早かったね」
「早かったね、じゃねえ! その血と、その傷はどうした!」
組長が部屋の惨状を見て顔を険しくする。
「外で見張ってた部下が、妙な戦闘音が聞こえるって知らせてきやがって……
何があった?」
「覆面の男に襲われたの。
……まあ、あなたたちが戻ってきたからか、逃げていったけどね」
私は魔導銃を隠し、あくまで「運良く助かった」ように装う。
「あいつら……。シマの奪い合いに
あんな得体の知れない殺し屋まで引っ張り出したってのか……!」
悔しさと怒りを滲ませる組長を見て、私はわざとらしく肩をすくめた。
「あら、私を心配してくれるなんて。極道のくせに、随分と優しいじゃないの」
「当たり前だ。聖女様には恩がある。恩には恩を返すのが、うちの流儀だ」
組長が言い放つと、背後の黒服たちが一斉に深く頭を下げた。
『聖女様!! ありがとうございます!!』
怒号のような感謝の合唱。近所迷惑極まりない。
「いいのよ。……おかげで、自分の弱点も知れたからね」
「しかし、肝が据わってやがる。これだけの襲撃を受けて、怖がる素振り一つ見せねえとはな」
「この程度で怖がってたら、とっくにこの世にいないわよ」
私が鼻で笑うと、組長は豪快に笑った。
「そうでもないわよ。強がってるだけ。……母親から、顔に出すなと教育されてるのよ」
「そいつは恐ろしいお袋さんだ。……巻き込んじまって済まねえ。協力しよう。何でも言ってくれ」
「……条件が良すぎるわね。どういうこと?」
組長はニヤリと笑った。
「聖女様はもう、完全に『うちらの関係者』だと認識されちまった。
うちの若い衆が迎えに行き、ここに入れた時点でな。連中からすれば敵対勢力だ」
「……はぁ、そういうわけね」
私は深い溜息を吐いた。
「わかったわ。じゃあ、私に関する情報があれば頂戴。
その代わり、治療はしてやるわ。あと、『聖女』はやめて。
のんびり自堕落に暮らすのが夢なの。持ち上げるなら治療しないわよ」
「カカカッ! 了解した!」
組長は機嫌よく了承し、強面の男、沢井を紹介した。
「こいつが連絡役だ。専用のツールで連絡するから、常に持っててくれ」
「必要になったら、いつでも護衛に行きます。姐さん」
「……私みたいな年下に『姐さん』とか、抵抗ないわけ?」
「オジキの恩人に失礼なことはできやせん。
しかも、お強いときた。姐さんと呼ぶのにふさわしい。部下も皆納得してます」
「……そう。ならいいけど」
私は溜息をつきつつ、沢井を魔力眼で見る。
違和感に気づき、胸ぐらを掴んで【浄化】を流し込んだ。
「……へ? 姐さん?」
「サービスよ。……さ、途中まで連れてって」
驚愕する沢井を尻目に、私は屋敷を後にした。
(帰り道、組長の苗字を聞いて絶句したが、ウィットは助手席で暢気に欠伸をしていた)
***
「……ただいまー」
深夜の自宅。玄関には仁王立ちした母――希がいた。
「おかえりなさい、有希。……何か言うことは?」
笑顔。だが、目が一切笑っていない。
「ないよ! 今日も平和だったね! 素晴らしい一日だったよ!」
私が引きつった笑顔で応えると、希は一歩も動かず、じっと私を見つめた。
……その視線が、私の「右腕」の袖口で止まる。
「あら、有希。その袖……。ほんの少しだけ、『線香の匂い』と『薬品の匂い』がするわね?」
「……っ!」
心臓が跳ねた。ヤクザの屋敷で焚かれていた香と、消毒液の匂いだ。
「あ、ああ、これ? 帰りにちょっと古い薬局に寄っただけだよ!」
「そう。……じゃあ、なぜ足が少しよごれているのかしら?」
……絶句した。
魔力でもスキルでもない。ただの、異常なまでの観察力。
私が治療の際に足についたわずかな血
「そ、それは……」
「いいのよ、有希。……さっき、組長さんから連絡があったわ」
希は、にっこりと完璧な笑みを浮かべた。
「私(S級ヒーラー)が匙を投げた案件を
娘が鮮やかに解決したって。……沢井さんも、すごく感謝してたわよ?」
(……詰んだ)
ヤクザのトップから直接電話が来る母親。そのネットワークの広さに、私は震えるしかなかった。
「ひっ……! け、怪我もしてるし、疲れたから寝るよ!」
逃げようとした私の肩を、希の細い手がガシッと掴んだ。
凄まじい握力。……身体能力だけは、今の私より遥か格上だ。
「だめよ? まだ教育が足りなかったみたいね。
お母さんの招待を断ってまでヤクザの治療に行くなんて。
アンチ・マギ(魔法無効化)の現場で、どう振る舞うべきか
たっぷりレッスンしましょうか?」
希は一転して真剣な顔になり、私の耳元で囁いた。
「……魔法が通じない世界で、あなたの『顔』は一番の隙だったわよ。
さあ、リビングへ行きましょう?」
「いやああああ! 助けてウィット!」
廊下へ逃げようとしたが、ウィットはスッと目を逸らした。
『……無理だな、諦めろ。こいつは我でも対抗できん』
ウィットはそそくさと子供の寝室へと消えていった。
「うらぎりものおおおおおぉぉ……!!」
私の叫び声が響く中、私は母親という名の絶対者によって
無慈悲にリビングへと連行されていった。
……その頃。
騒がしい日常を終えようとする我が家から少し離れた電柱の影。
暗闇に溶け込むような視線が、じっと有希の家を監視し続けていた。
丸くなったウィットだけが、その不気味な気配に耳をピクッと動かし
夜の静寂の中に鋭い目を向けていた。




