第13話:【刺客の影と、見えない刃】
第13話:【刺客の影と、見えない刃】
「……あいつら、ついに来やがったか」
布団から立ち上がった組長の背中は、
数分前までの死相が嘘のように、巨大な威圧感を放っていた。
「ちょっと、大丈夫なの? おっさん。……次は高額医療費を取るわよ」
私がわざとらしく肩をすくめると、組長は不敵に口角を上げた。
「万全とはいかねえが……あんな野良犬どもを蹴散らすにゃ、十分すぎる体だ。
行ってくるぜ、嬢ちゃん」
組長が部屋を飛び出していく。
直後、廊下の先から地鳴りのような怒号が響いたが、それはすぐに一方的な蹂躙へと変わった。
「……ふぅ。これでひと段落ね」
私が緊張の糸を解いた――その瞬間。
『――有希!!』
視界の端で、ウィットが弾丸のような速さで私に体当たりをした。
「きゃっ!?」
突き飛ばされ、床を転がる。
直後、私が今まで立っていた場所を、黒いナイフが音もなく通り過ぎた。
「なっ……」
視線を上げると、窓際に覆面の男が立っていた。
気配すらもない、ただそこにある「空洞」のような不気味さ。
『有希、下がれ!』
ウィットが魔物形態へと変化し、男へ躍りかかる。
だが、男は柳のように回避すると、ありえない角度から反撃のナイフを放った。
(――!? 右……?)
男の手元から放たれたはずのナイフが、なぜか私の「右側」から迫る。
咄嗟に身を捩ったが、一本が私の肩を浅く切り裂いた。
(……ただの屈折魔法じゃない。空間の『基準点』をいじられてる……!)
「【盾】!」
防御を展開しようとした瞬間、私の心臓が凍りついた。
目の前に展開されるはずの魔力膜が、磁石に弾かれるように「右に半歩分」ずれて出現したのだ。
「……っ!?」
防御が間に合わない。男が放った三本目のナイフが、私の左足を無慈避に貫通した。
「あ、ぐ……っ!!」
激痛が走る。だがそれ以上に、脳が悲鳴を上げていた。
「左」を狙えば「右」にズレ、「右」に修正すればさらにその「外側」を叩かれる。
まるで、私という存在そのものが世界のパズルから弾き出されているような、吐き気を催す違和感。
(……空間干渉、座標のリアルタイム書き換え。
……これ、一介の暗殺者が使っていい術じゃないわよ)
廊下の奥から組長の配下たちの足音が近づいてくる。
覆面の男は追撃を止め、窓枠に足をかけた。
去り際、男は私ではなく、私の「左隣」――本来の私がいるべき位置から
やはり右に半歩ずれた虚空へと、冷徹な視線を落とした。
――ターゲットに、空間干渉への適応能力なし。
男の佇まいが、無言でそう断定していた。
「逃がす、もんか……っ!」
私は震える手で太ももに隠していた魔導銃を取り出し、トリガーを引いた。
過負荷で赤く焼けた銃身が掌を焼き、華奢な腕の血管が悲鳴を上げる。
だが、放たれた光弾は男の影の「右側」を虚しく通り抜け、夜の闇を裂いただけだった。
男の姿が水泡のように掻き消える。
あとに残されたのは、男の体温すら感じさせない、静まり返った部屋。
「消えた……?」
私は魔導銃を握ったまま、男が消えた虚空を呆然と見つめることしかできなかった。
たった「半歩」のズレに翻弄され、指一本触れられずに逃げられた。
理解不能な現象への困惑と
それ以上に、底知れない「何か」が自分の喉元に触れて去っていったような
拭い去れない寒気が背筋を駆け抜ける。
「……っ、は、は……」
乾いた呼吸が喉を震わせ、畳にポタポタと血が落ちる音だけが異様に大きく響く。
「聖女様!! 無事か!!」
激しい音を立てて、襖が左右に跳ね飛ばされた。
転がり込んできた組長たちの怒号が部屋を埋め尽くすが、
私の目には、月明かりに照らされた無人の窓辺が、不気味なほど鮮明に焼き付いたまま離れなかった。




