第15話:【今日だけは、日常という殻に隠れさせて】
鏡の前で、私は深々と溜息を吐いた。
映っているのは、淡いブルーのワンピースを着こなした超絶美少女だ。
(最近、こういう格好に抵抗がなくなっている自分が一番怖い。
脳がこの『美少女スペック』に最適化され始めてる……)
中身は英雄と呼ばれた男だというのに、
外見に引っ張られてどんどん女の子らしくなっている。
このままでは「自分」が消えてしまいそうで、危機感しかない。
「よし、行くか」
一階へ降りると、ソファで紅茶を飲んでいた母・希が、ニコリと笑いかけてきた。
「あら、お出かけ? 随分と気合が入っているわね」
「……ちょっと友達と買い物に」
私が目を逸らして答えると、母はコップを卓に置いた。コン、という硬い音が響く。
「そう。……前みたいに事件に巻き込まれて、帰りが遅くなるなんてことは
もう無しにしてね? 心配しているのよ」
「……分かってる。気をつけるよ!」
母の言葉に含まれた「次は許さない」という無言の圧に、私は背筋を伸ばして頷いた。
***
駅前の待ち合わせ場所。
約束の5分前に着くと、そこにはすでに修平の姿があった。
「修くん!」
私が駆け寄ると、彼は雷に打たれたように動きを止めた。
「…………」
「修くん? どうしたの?」
「あ、……」
数秒の沈黙。修平は顔を真っ赤にして、視線を泳がせた。
「……すごく綺麗だ。正直、直視できない」
(……雑誌の『困ったら笑顔』テクニック、効きすぎだろ)
おっさん脳で冷静に分析しつつ、私は少し茶化すように言った。
「ありがとう。ねえ修くん。今日は1日、私を『普通の女の子』として扱ってほしいの。
色々なことに疲れて……今はただ、何も考えずに過ごしたいから」
その時、背後にチリッとした微かな殺気を感じた。
(……? 誰か見てる? いや、敵意じゃない。もっとこう、粘着質な……)
周囲を見渡すが、休日の人混みがあるだけだ。気のせいか、とおっさんは思考を切り替えた。
「……わかった。有希がそうしたいなら。今日は俺が、君を退屈させないよ」
修平はそう言って、頼もしく頷いた。
歩き出すと、周囲の視線が突き刺さるのを感じる。
(あー、めんどくさい。これだから目立つのは嫌なんだよ)
私は内心で舌打ちしつつ、隣を歩く修平の右手をガシッと握り込んだ。
「っ!? 有希!?」
「いいから。こうしてれば、みんな私じゃなくて『君』を睨んでくれるでしょ?」
「お、俺を避雷針にする気か!」
「そういうこと。彼氏の役目、しっかり果たしてね?」
赤面する修平を見て、私は意地悪くニヤリと笑った。
その瞬間。
「カシャッ」
(……今、カメラのシャッター音が聞こえなかったか?)
戦場での聴覚が反応したが
修平の「わ、わかったよ、避雷針でもなんでもやってやるよ!」という大声にかき消された。
***
カフェで休憩中、修平が声を潜めて聞いてきた。
「……なあ。ヤクザの件、本当に大丈夫だったのか?」
私はストローをいじりながら、視線を落とした。
「ええ。彼らは私の力を過信していただけ。
でも、まだ何かが終わっていないような、嫌な予感がするの」
思わず漏れた本音に、修平が力強く私の手を握り返してくれた。
その時だ。
ガタッ! と隣の席のパーティションが激しく揺れた。
「……? 風かしら」
「いや、室内だろ」
不審に思いつつも、デートは続く。
その後、私たちは屋上庭園へ向かった。夕陽が街をオレンジ色に染めていく。
「……有希、これ」
修平が差し出したのは、小さな猫のキーホルダーだった。
そこには、音の鳴らない銀の鈴が付いている。
「今の俺には、君を守るとか大きなことは言えない。
でも、これを見て今日を思い出して、少しでも笑ってくれたら嬉しい」
「…………」
不器用な優しさが、胸の奥を少しだけ熱くする。
私は彼に甘えるように、肩に頭を預けた。
(あー、落ち着くわ。おっさんの荒んだ心が洗われる……)
だが、その感動をぶち壊すように、
背後の植え込みから「ブフォッ」という鼻血を堪えるような音が聞こえた気がした。
***
夜の駅前。
「今日は楽しかった。ありがとう、修くん」
笑顔で別れを告げた直後、やはり確信した。
誰かが、執拗に私の背後を狙っている。
それも、英雄時代に経験した暗殺者の視線より、ある意味で恐ろしい執念を感じる視線だ。
私は修平と別れたふりをして、すぐさま電柱の影に身を隠した。
気配を殺し、獲物を待つ。……来た。
「……ふふ、ふふふふ。今日の有希様も最高に尊かったわ……
特にあの『避雷針』に甘える上目遣い、あれは国宝に指定すべきね……。
さて、さっさと実況スレに投下して……」
ブツブツと呟きながら、スマホを猛スピードで操作している人影。
私は音もなくその背後に立ち、優しく、しかし逃がさない力でその肩を掴んだ。
「……花梨ちゃん? こんなところで、何をしてるのかなー?」
「ひゃぅあ!?!?!?!?」
飛び上がったのは、クラスメイトの花梨だった。彼女はスマホを隠そうとして
激しく動揺している。
「あ、あはは! 有希! 奇遇ね! いやあ、今日はいい天気ね!?」
「……もう真っ暗だけど?」
「そ、そうね! 夜風が気持ちいいね! あ、門限だから帰るね! さよならッ!」
脱兎のごとく逃げ出そうとする花梨の襟首を、私はガシッと掴んだ。
「ちょっと待って? ……少し、お話しましょうか?」
「ひ、ひぎゃあああああああああああ!? ごめんなさいいいいいいいいい!!」
夜の駅前に、花梨の絶叫が虚しくこだました。
今回は2話更新となります。




