3045/05/01 宿直室と畳
「例えば病気になってしまった時、マナを支払いその病気を祓うことができます」
「……病気だけですか?」
「いえ、仕事で怪我などした際も、マナが十分にあるようであればその怪我した個所を一瞬で治すことができたり、失ったものを取り戻すことができたりします。私も、歯の一部を」
ハクロは具体的な例を用いて、マナについて説明してきた。
昔、何かの本かネット記事で読んだことがあるが、原始的な生活、何も石器でマンモスを狩っていた時代まで遡らなくても、江戸時代、明治、大正、昭和の初期の頃、現代といわれる時代に近い時代でも、医療が十分に発達していない地方での死因の多くは怪我や病気であったらしい。
そもそも免疫能力が低い幼子、抵抗力の衰えた老人、若い人であっても逆らえない不治の病、それらの恐怖を祓うために医療の発展していない地方では、祈祷、呪いが盛んだったらしい。時たまに、それらの行為がうまく作用して、回復に向かえば、それは奇跡的なことで信仰に値することになる。
そして、ハクロの話だけでは分かりづらいが、おそらくこの世界では私が知るよりも高度な医療が受け取れる可能性が高い。それはかつての医療技術を知っている私でも分からないことなのだから、なぜか何も知らないまま生きているハクロたちにとっては、驚異的なものでしかないだろう。
マナというよく分からなものを支払うことでその不安を取り除くことができる。だから彼らはそれを大切にするべきだと考えている。これは偶然なのかもしれないが、そういった風につながったことでマナを生命力と考えるのは、実に筋が通った自然な考えであった。
だから、子供たちのためとはいえ、いつ襲われるか分からないケガや病気という不測の事態に備えて蓄えたマナを使うことをためらったと理解できた。
だが同時に、疑問が残った。
ハクロの話では、マナは月々決まった金額、数量をもらうはずである。いくらか不測に備える必要があっても、病気怪我のリスクと比べて、マナは十分に残るはずである。どうして、ハクロ達はあそこまで支払いで困惑をしたのか。
「すみません。もう一つ、月々、マナはいくらほど頂けるのですか?」
「人によって違いますが、私は、」
「到着いたしました」
ハクロの声とタイミングよく重なるようにランタンの声が響いた。それと同時にボールはピタリと動くのやめた。
そのあまりのタイミングの良さに一瞬、私と通信越しのハクロは共に体を硬直させたがランタンはそれ以上、こちらに何か話すことはなかった。ハクロからの話で聞きたいことはまだあったが、とりあえず話を一旦切り上げると伝え、ハクロもそれを了解した。
私は停止したボールの中で左右にゆっくりと首を動かした。360度全面がガラス張りのようなボールの中からそこを見た。そこは確かに今までの景色と全く違う場所であった。
ここに来るまで通ってきた道のりは、全体的に暗く、道とは思えないような場所であった。
今まで施設の案内として通ってきた道も十分に明るい場所であったとはいえないが、それにもまして通ってきた道は暗かった。均等な間隔で設置された光源はあるもののそれは夜空の星よりも遠くかすかなものと思えるほど弱かった。
そんな頼りない光の中、見えるものは、壁に張り巡らせられたパイプと天井のダクト、それらがあらゆるところに存在し、どこまでも伸びていた。そのパイプなり、ダクトなりの中をごうごうと何かが流れる音が聞こえたが、ランタンはそれがなんであるかを説明することはなく、ボールに身を任せてここまで案内された。
おそらく、ボールから放り出されればほぼ確実に私はここで骨と皮になるしかない。それほど、ここに来るまでの道のりは複雑で怪奇だった。
そんな道のりの果て、ランタンが着いたという場所を見て、私は少し固まった。
「畳だ」
部屋の大きさは十畳と程度、一人で過ごすには広いと感じる空間であり、自分を含めて五人で過ごそうには全く足らない広さの部屋に畳が敷かれていた。
「はい。こちらは管理守衛の宿直室となります。多田様の個人情報から部屋の内装をこちらに変更いたしました。本来、畳は土足厳禁ですが、こちらは使用後全て廃棄処理いたしますのでご自由にお使いください」
私のつぶやきが聞こえたのか、ランタンはそう補足の説明をしてきた。
それまで見てきた金属とむき出しなパイプだらけの、無機質で冷たい世界とは違うその世界に私の興味は完全に囚われていた。
「出てもいいのか?」
「はい。ですが、先にご注意を申し上げます。以前も申し上げましたか、あくまでも、体を休めるのはボールの中でとなります。こちらの宿直室は体を伸ばされたり、軽いストレッチを行う程度の場所とご理解ください。また宿直室から外に出る際はボールに必ず乗ってください。バックヤード内は供給配線が露出している箇所もありますため大変危険です。原則的に宿直室から外に出ることはお勧めいたしません。何かしら、」
再度のランタンからの説明を聞きながら、私の意識は久しぶりに見た畳に横になりたいという気持ちを懸命に抑え込んだ。




