110 地底湖
110
「死ぬかと思ったわい」
地底湖のほぼど真ん中から、気絶した成人女性を抱えて、疲労困憊のまま着衣水泳。
なんとか湖畔まで辿り着いてみれば浅瀬もなければ浜もなし。
見慣れてしもうた断崖がぐるりと囲んでいる仕様。
息も絶え絶えで登りきって、危険な生物が見当たらないと確認して今に至るわけじゃな。
エマを背負ったまま大の字に寝転んで、やっと一息つけた。
「あほか」
愚痴のひとつぐらい漏らしても罰は当たらんじゃろう。
儂は特殊部隊のエリート兵かとつっこみたいわ。
ちっとは老人をいたわってほしいものじゃ。
まあ、肉体はぴちぴちの十代なわけだが。
このまま意識を手放して眠ってしまいたいところじゃが、そうもいかんな。
心の中でシャンテの姿を思い出し、『お兄ちゃん、頑張って』とリピートで脳内再生すれば気力も湧いてくるわい。
まずはエマの様態じゃ。
「ふむ」
頭の傷はもう出血も止まっておるのう。
もっと酷い傷じゃったような気がしたが、落下の最中での事だから見間違えておったのかのう。
腰のポーチに収まった竜卵を見させてもらえば、五層のアームズ。
なるほど、傷の治りも早いはずじゃな。
呼吸も安定しておるし、眠っているだけと考えてよいかのう。
だが、傷が頭部となると油断もできんが、儂とて医療に詳しいわけではない。
応急処置程度ならともかく、脳となるとお手上げじゃ。
せめて無事を祈るとしよう。
となると、濡れた格好が問題か。
「許せよ」
頭をできるだけ揺らさないように気をつけながら服を剥いだ。
儂の中で俺が慌てているが知らん。
人命優先じゃ。
それにもうちっと小さい頃は孤児院でティレアさんやアリア姉とも一緒にお風呂に入っておったじゃろうが。
女体ぐらいでうろたえるでない。
下着はいいじゃろう。
うむ。
アリア姉やマリー先輩以下、ヴィオラに届かず、ティレアさん以上、越えられない絶壁の向こう側のリィナ、といったところか。
他意はないぞ?
客観的な考察じゃからな?
紳士として振る舞うに決まっておろう。
脱がした服にロープを通して、乾かしつつも簡単な目隠しにしておこう。
儂も服を脱いで、背中の傷を確認してみるが……
「治っておるのう」
背中の事なので実際に見たわけじゃないのだが、そんなにすぐに治るような状態ではなかったはずじゃが。
いくら七層の竜卵でも一時間は痛むと思っておったのだが、はて。
それにロープもじゃ。
一度は半分まで焼き切れておったのが既に七割ぐらいまで回復しておる。
地底湖に落ちてからここに上がってくるまで十分程度。
直りが早すぎやせんか?
「今はありがたいと思っておくかのう」
荷物から加熱と水生成の魔導具を取り出して、暖を取りつつお湯を沸かす。
まあ、寒さげ凍える心配はないがの。
どれだけ下ってきたのか、体感温度としては夏のそれに近い。
服もすぐに乾いてくれるじゃろうて。
沸騰したお湯をカップに注いで、簡単に洗ってから再度注ぐ。
あいにく茶葉は用意しておらんからただの湯じゃが、水分補給しとかんとな。
他の荷物も取り出して確認してみるが、ヴィオラが用意してくれたバッグは耐水性だったおかげで被害は最小限じゃな。
湿っている毛布や予備の服をロープで引っ掛け、エマの服と一緒に乾かし、ほとんど濡れておらん携帯食料を口に入れて、体力を回復させておく。
今更じゃが、エマは荷物を持っておらんかったな。
上で何があったか知らんが、夕食のタイミングで荷物を置いておったんじゃろう。
「その辺りは、エマが起きてから聞くかのう」
双角の犀は心配じゃが、こうなってはできる事もない。
エマが吹き抜けに投げ出された以上、不測の事態に陥ったのだろうが、彼らならきっと切り抜けてくれたはずじゃ。
だから、儂は今、儂にできる事をするとしよう。
浮遊の魔導具のための魔晶石と動力核を手に入れねばならんのだが、偶然とはいえ目的を達してしもうたな。
もしかすると脇道が隠されておるかもしれんが、ここがオド・ネメニファーラ大空洞の最深部で相違あるまい。
実際、辺りには巨大な魔晶石があちこちにできておる。
適当に砕いてみるが、よい輝きを見れば高純度なのは間違いあるまい。
これなら使えるじゃろう。
動力核になりそうな鉱物も少し探せば見つかるはずじゃ。
なので、採掘するのは問題ない。
エマが目を覚ましたらめぼしい物を採掘する。
するのだが、
「やはり地底湖が気になるのう」
岸壁に立って、地底湖を見下ろす。
大空洞の底を満たした濃厚な青色。
群青の湖面が静かに薙いでおる。
広さにして直径百メートルはありそうじゃし、十メートルほどの高飛び込みをしても湖底にはぶつからんかったのだから、深さも相当なものじゃな。
「ただの水ではないか」
なにせ、あの水、光っておるからのう。
最初は空中のマナの輝きが照り返しているのかと思ったが、違っておった。
地底湖を満たしているのは淡く輝く青い水。
水、そのものが青い光を放っておる。
まるで、マナと同じように。
「高純度のマナが液体化した、と?」
いや、逆かもしれんな。
こここそがオド・ネメニファーラ大空洞のマナの源泉。
大空洞を満たしておるマナは、この地底湖のマナが気化したもので、それらの気化したマナが再結晶した物が魔晶石。
そんな仮説が思い浮かぶ。
もっとも、液状化したマナが気化したり、結晶化する条件もわからんから机上の空論だがのう。
この辺りの考察は魔導学の専門家に任せねばわからんか。
「こちらも採取して帰らねばな。水筒にでも入れるしかないが、変質せねば良いのだがのう」
岩石を掘る支度はしてきたが、密閉容器なんぞありゃせんわい。
まあ、いくつか考えらえる手段はあるのだが、それを確かめる時間があればよいのう。
「……ん。あ、れ? わたし……きゃあああああああっ!」
そんな事を考えていると、目隠しの向こう側で悲鳴が上がった。
バタバタと物音が続き、下着姿のエマが飛び出してきおった。
涙目の彼女とばっちり目が合う。
「おはようございます」
「か、カルロ、くん?」
かなり混乱しているようじゃな。
無理もない。
彼女の視点を想像して同情する。
痛む頭。
記憶の混濁。
意識の空白。
下着姿。
ひと気のない場所。
カップを片手に風景を眺める、同じく半裸の男。
……む?
なんか、ドラマや漫画で見た事のある状況ではないかのう。
主に大人向けの内容で。
そんな事がぼんやりと思い浮かんだ。
果たして彼女の方は何を思い、何を考えたのか、エマはパクパクと口を開いて、
「は、はじめてだったのにいいいいいいいっ!」
泣き崩れてしもうた。
おいおい、ナニを想像したんじゃ。
儂は誓ってナニもしておらんからな?




