第65話・鏡よ、鏡・もう一歩、踏み込む
第65話・鏡よ、鏡・もう一歩、踏み込む
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ーー星野雪菜の場合ーー
夢の中の遊園地で、わたしの目の前にあった影の球体が、ゆっくりと影に溶けてゆく。
楽奈ちゃんはお姫様抱っこの形で、元に戻ったお兄さんを連れて戻ってきた。……身長差がすごくて、かなりアンバランスな姿だけど。
魔人化から戻ったばかりだから、意識はまだ戻っていない。本来なら数日の休養が必要だろうけど……今は夢の中だ。シミュレーションを止めれば、すぐに戻れるはず。
でも、なんだか……楽奈ちゃんのマントが乱れている。普段ならしっかりガードしているのに、今は異常なほど強く引き寄せて、下に着ている水着のような戦闘服を欠片も見せまいとしていた。
「……元に戻れた」
「これで一件落着……って、あちこちに噛み跡じゃないですか。信じ難い。もしかして、楽奈ちゃんは暴走した?」
「………………ない」
あー!気まずそうに、そっと視線をそらした。……なんか、明らかに怪しい。
「あれれ、おかしいな~。今の楽奈ちゃん、怪しすぎるよ~。アヤネはそう思った~。マントの下は~?」
「まさか、やらしいことをしたんじゃないよね」
先ほど奏ちゃんに放った言葉が、ブーメランのように楽奈ちゃんへ返ってきた。その瞳はさらに気まずそうに、視線を泳がせている。
「他の先輩たちも凄いけど、楽奈先輩は~……あわわ、あわわわわーー」
「あら、これは……あの楽奈ちゃんが人間味のある反応をするなんて、私は感動します……!」
葵ちゃんは顔を真っ赤にしながら両手で顔を覆い、指の隙間からそっと覗き込んでいる。久那ちゃんはと言うと……感動したように少し涙を浮かべ、火を灯した指でそれを蒸発させていた。
「なるほど……わたしの未来の仲間の中で、影の魔法少女はクール系だと思っていたけど、実は……書けます」
『昔のわたし』は何かを考察するように、サラリとペンを走らせ、素早くメモを取った。
「…………しー」
「『しー』?」
楽奈ちゃんの、あの色素の薄い顔が徐々に赤く染まっていく。羽虫のような小さな声が、ポツリと漏れた。
「……仕方ないじゃない。……あの鎖と二、三度交えれば、ティルフィングじゃない、ぼくが創った影の武器は簡単に砕け散る。……だから、予想以上の魔力を使った。……自然回復できないぼくの保有魔力は、一割しか残っていなかったから……うっかり…………」
「一割!?あんだけ余裕をかましてたくせに、実際はそこまで危ない状態だったってこと!?」
精神は魔力と深く繋がっている。そこまで体内の魔力を消耗したら、精神状態がおかしくなるのも当然だ。
楽奈ちゃんの状況を考えれば、SAN値はもう、わずかな糸一本しか残っていない状態だったのだろう。
「それは……むしろ、正気を保っていた楽奈ちゃんの方がおかしいな。アヤネなら絶対に無理だよね~」
「面目ないです。わたくしはまったく気付けませんでした。一割とは……うん、なんだか悲しい事故のようですね」
「……うん。『あと少し、あと少しだけ、もう少しだけ深く触れ合いたい』――そう頭の中で繰り返しているうちに、ハッと我に返ったら、繋がっていた理性が切れていたみたいで……気付けたときには、もう終わっていた。……ぼくは絶対に、エロいっ子ではありません……!」
『魔力切れ』ーーそれは魔法少女が激しい戦況の中で限界を超えて戦い続けた際に、時折陥る状態だ。
魔力が完全に空っぽになって昏睡状態に陥る方が、まだましなくらいである。
もしも精神を維持する程度の魔力だけが残されてしまった場合、すべての理性を失い、より深刻な状態に陥りかねない。……ある意味、魔人や魔女と同じく、欲望のままに動いてしまうのだ。
「それなら、仕方ないよな……」
だから、楽奈ちゃんのことが完全に理解できる古参組のわたしたちと比べて――葵ちゃんと久那ちゃん、そして『昔のわたし』の顔には、疑問が浮かんでいた。
「ふえー!?『魔法少女』って、こんな危険のリスクがあるんですか!?……うちも、いつかこうなるんですか!?」
「へぇー?そんなんです」
……え?久那ちゃんも知らないの?
「そういえば、久那ちゃんは『魔力切れ』を経験したことないの?」
わたしの質問に、久那ちゃんは少し考えてから答えた。
「あぁ~、あの狂人団体に拉致されたときのことでしょ?あのマッドサイエンティストの連中は、そんなに優しい存在じゃないよ、特に火傷を吸収して再生できる火属性の魔法少女の私なら。当たり前のように、限界まで魔力を絞り出すんだ。もし気絶したら、錆びた鉄の臭いがする朱色の液体を無理やり飲ませて、魔力を全快させるんだよ」
「……うん。ぼくも、そういうことを経験したことがある。……その赤色の液体は、『ち――」
「もういいです、楽奈ちゃん。あれはもう昔のことだから」
「……分かった」
なんだか、雰囲気が一瞬で暗くなった気がする。
わたしのミスで、嫌な思い出を思い出させてしまった。早く気を変えなければ……。
「あ、その……えっと……そう!そういえば手合わせも終わったし、このまま待っていてもお兄さんは起きないだろうし、そろそろ夢の世界から現実に戻ろうか」
「それなー!戻ろうよ~。一体どれくらいの時間が経過してるかな~?もし時間があるなら、早く創作したいな~」
「そうですね。用事がないなら、シミュレーションを終わらせましょう。わたくしも少し精神疲労が溜まっているようです」
「そ、そうですね!うちも早く現実に戻りましょう、あはは」
彩音ちゃんは相変わらずの平常運転だったけど、ナイスフォロー!
さらに察しの良い奏ちゃんと葵ちゃんも、自然にわたしに続いてくれた。
ありがとう、お二人。
「そうですね。ずっと過去に囚われてるのは良くないです。うん、前向きにいきましょう!」
「……早く現実に戻ろう。夢だから、ぼくは何もしていないことに戻れる」
何となく久那ちゃんから広がった暗い雰囲気が薄れたせいか、楽奈ちゃんも早く戻りたがっている様子だ。これで全員が同意した。
この夢の世界から、もう少ししたら出ることになる――だが、ここから出るその前に、残されたことがあと一つだけあるーー
*
言えないけれど、みんなは少しだけわたしに時間を残してくれて、そっと距離を取ってくれた。
「――『昔のわたし』」
「なに――『未来のわたし』」
わたしは、わたしとそっくりな、もう一人のわたしと向き合った。
たとえ、このわたしが過去の幻影だとしても、言いたいことがある。
この出会いの原因は分からないし、また会えるかどうかも分からない。だから、言うなら今しかない。
「あなたは、自分がどんな存在か、もう分かっているかな」
「うん。わたしはきっと、その時はまだ知らない対策局の秘密道具で再現された存在……魔法の造物みたいなもの、かな?」
やっぱり、わたしはわたしだ。まるで鏡に映ったよう。
「あの時、わたしはお兄さんと一緒にあのタコ野郎を討伐した。……ほとんどわたしが邪魔みたいだったけど、討伐した。偶然に正解を掴んで、今と同じようにわたしはお兄さんの魔力を吸い出してしまった。記念すべき初キスだった。……今の状況は、あなたのチャンスを奪ってしまったみたいだから」
あの時は、わたしの人生と、お兄さんとの関係が天地をひっくり返すように激変した。
だから、わたしは自分の機会を奪われたくなかった。
『昔のわたし』は少し考え、首を横に振った。
「……うん、いいのです。ここにいるお兄さんはお兄さんだけど、わたしのお兄さんではない。……少し残念だけど、それでいいです。『未来のわたし』がお兄さんとずっと、永劫に傍にいるという事実だけで、満足しています」
「そっか。なら、あなたの目から見て、わたし……あなたの未来は、どんな感じ?教えてくれる?」
少しの沈黙の後、彼女はわたしとそっくりな笑顔で答えた。
「うん!『未来のわたし』は、わたしの期待から歪んでいない。真っ直ぐに望んでいた未来へ辿り着いているよ!覚醒の時に願った夢、覚えてるかな?」
「……もちろん。『あの人との距離を縮めたい』」
『昔のわたし』の答えに、わたしは少し安心した。……五年。長くも短くもない時間。わたしはあの時と同じ道を選んだのだろうか。それとも、知らないうちに歪んでしまっているのだろうか。知りたかった。
「うん!わたしなら、そう願ったはずだと信じてる!でも、今はその願いも叶ったなら、もっと一歩前に進んで!そう――『距離を縮める』から、『いつも側に寄り添わせて』に、変わってしまえ!」
「それは……良かった。ありがとう。この言葉で、安心できた。……これで、もうお別れの時間だね」
「うん。まだ『また明日』とは言えないけど、わたしの未来と会えて良かったよ!これからはずっと、ずっと~!お兄さんの傍にいてあげてね!さよなら!」
わたしたちは手を振り合い、コントロールパネルを操作して全員をログアウトした。
目の前の景色が暗転し、夢の世界から出た。
――たとえ泡沫のような夢でも、純真無垢なわたしと会えて奇跡、本当に良かった。
そう言えば、そう言えば、あの時はわたし一人でお兄さんを元に戻したはずなのに、今回は四人で力を合わせてやっと戻せる程度だった……まさか、魔法少女と同じ、時間経過で魔力の量が増えているですが!?
それに、お兄さんと彩音の周囲に見えた赤い糸は、一体なんだったのだろう。きっと、危険な存在に間違いない。




