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第64話・鏡よ、鏡・ボーナスタイム

第64話・鏡よ、鏡・ボーナスタイム


読みやすくするため、彩音の一人称を「彩音」から「アヤネ」に変更しました。

==========

――星野雪菜の場合――


「よう~、雪菜ちゃん~!いい戦いでしたな?こちは満足でしたよ~?」


突然の爆撃で燃え上がっていた遊園地は、ようやく静けさを取り戻しつつあった。……とはいえ、まだ廃墟のあちこちに炎が残っているから、「戻った」とは言い切れないけれど。


そんな状況の中、彩音ちゃんのチームがこちらに集合してきた。


軽やかにわたしへ挨拶してくる彩音ちゃんと対照的に、その後ろに続く奏ちゃんと葵ちゃんは何も言えず、申し訳なさそうな顔で頭を下げている。


「ごめんなさい……うちの爆撃で先輩たちは怪我ない、よね?」


「本当に申し訳ございません。わたくしと彩音ちゃんのミスで、あちらの方にまで波及してしまって……ご無事でしょうか?」


「……ぼくたちはびっくりしただけだ。平気」


調子の良さと沈んだ空気の差が、あまりにも大きい。……まぁ、さっきのことがあった後なら、こういう反応も仕方ないか。


「ねぇねぇ~、あのタコの結末、見た?見たよね~、見たに決まってるよね~!なぁ、あれはどう~?雪菜ちゃんの目から見れば、アヤネの芸術は――?」


周囲の仲間たちの視線など意に介さず、彩音ちゃんはわたしだけに向けてくらくらと詰め寄ってくる。


このパターンは……彩音ちゃんが新たな芸術を完成させたときのパターンだ。しかも、かなりの自信作らしい。


奏ちゃんと葵ちゃんは同じチームにいたから、すでに感想は聞かされているだろう。楽奈ちゃんは芸術にあまり興味がなさそうだから、『……タコはタコ、それだけ?』みたいな評価しか返さないはずだ。久那ちゃんはわたしたちの小隊に入ったばかり。


だからこそ、一番一緒にいる時間が長いわたしに、評価を聞きに来たのだろう。


「いつもの、び、なんだけ?……あ、思い出せた!『美術批評』のことですね?ごめんなさい、わたしはお兄さんとの戦いに夢中すぎて、タコの方はあまりよく見えませんでした。そうね……あの光の柱が現れた後で見えましたから、これでも大丈夫ですか?」


「うんうん~!これでも大丈夫ですよ~。戦闘中のことは材料の下処理みたいなもんだから、見えてなくても平気だよ~」


それなら、タコが光に貫かれ、古代の絵巻のような青い炎に焼かれ、爆散していった光景……『爆発たこ焼き』かな?でも、こんな小学生みたいな感想はちょっと……。


「そうそう!昔の雪菜ちゃんも評価してください!」


「わたしですか!?えっと、その……『爆発したたこ焼き』かな――あはは……」


「恥ずかしがる必要ないよ~。素直な感想も素敵ですよ~」


うわ、『昔のわたし』も似たようなことを言った。しかも感想まで一緒なんて……ううう。彩音ちゃんが欲しがっている評価の方向なら――


「そうね、わたしはこう思います。怪獣が天の裁きを受けたまま、妖術のような鬼火と黒き焔に焼かれ、最後は戦艦の爆撃で粉砕される。つまり、『天』からの天罰、『地』から妖術のような魔法攻撃、『人』からのとどめ。三つの種類の攻撃で『天誅』を表現したイメージ。……それに、最後まで諦めない生命力もテーマの一つかな?」


彩音ちゃんは感心したように熱心に聞き入り、何度も大きく頷いていた。


「さーすがー、雪菜ちゃん!アヤネの考えてたことが見通されましたな!アヤネも同じことを考えてましたよ~!でもここは夢の世界のシミュレーションだから、作品は作れないけど、はっきり頭の中に記憶してるから、現実に戻ったらすぐに作りますよ~!アヤネ第三のマスターピースとして、『マスターピース:鬼火大蛸退治ノ妖怪絵巻』に名前を付けます!予想通りなら、召喚すると無差別に光が降り注ぐと同時に、山ほど大きな百目の大蛸妖怪が鬼火と一緒に襲ってくるぞ~!」


彩音ちゃんは調子よく両手を振りながら説明していたが、急に冷静な表情に戻った。……感情の波が激しいな。……あ、これは魔力低下による精神異常かな?


「――本来であれば『タコを焼ければたこ焼』に名前を付けるつもりだったんだけど、奏ちゃんが反対したからこの名前に切り替わったんですぅ。残念ですぅー」


「へぇー、なんか色々事情がありそうですね。まぁ、話はそこまでにしましょうか。とりあえず、魔人お兄さんを元に戻せるかどうか、ですね」


彩音ちゃんとの話が長くなってしまったが、わたしたち六人と『昔のわたし』は、すでにぞっとしながら、金色の鎖に縛られた魔人お兄さんの前に集まっていた。


「さんせー!みんなごめんね~、早くお楽しみのボーナスタイムを始めようよ~!」


彩音ちゃんのその言葉で、わたしたちは一斉に振り返り、魔人お兄さんへと視線を向けた。





*





わたしたちは遊園地の廃墟で、葵ちゃんの爆撃によって生まれた大穴の隣に、魔人お兄さんを囲むように立っていた。


先ほどまで彼はあちこちを飛び回っていたため、はっきりと姿を捉えられなかったが、今は動きを止め、鎖の鎧が解除されたことで、ようやくその全貌が見えるようになった。


魔人に堕ちたお兄さんは、見る影もなく変貌していた。


過剰な魔力によって肉体が異形と化し、身長は簡単に三メートルを超える巨躯となっている。両手は歪んで巨大な黒い爪へと変わり、足も同様に巨大な鉤爪へと変じていた。わたしたちは仲間だからその熱量が感じられないにもかかわらず、全身が魔力を燃焼させる黒き焔に包まれ、本来の肌はまったく見えない。

その変貌を元に戻すために最も重要な顔の部分さえも、黒き焔に燃え上がって完全に隠され、頭上には二本の欠けた角まで生えてしまっていた。


……これは、わたしが知っている魔人お兄さんの姿とは大きく違う。明らかに、異形の方向へと悪化している。


それにしても、いざ始めようとするのに、この巨体をどうやって扱えばいいのだろう?


「その、先輩たち……うち、少し話したいことがあるんだけど……あはは。いまの雰囲気を壊すようで悪いんだけど、このシミュレーションを停止すれば、リセットされるんじゃないの?」


「あ、そういえばここは夢の中でしたね。葵さんが言ったこと、私も同じ疑問を抱いていました」


ああ……もう気づいてしまったか。葵ちゃんと久那ちゃんがそう考えるのも、当たり前のことだよね。


でも、『昔のわたし』はそれを聞いても驚かなかった。むしろ、沈黙の中で何かを決意したような表情を浮かべているながら、手帳に書けます。


あれは……自分の存在がどのようなものか、気づいたのだろう。この点は『昔』でも、さすがわたしだな。


「それはアヤネたちが頑張ったご褒美だから、素直に受け入れればいいのよ~」


「……それに、兄さんが自我を失う前に言っていた。このミッションは『小隊だけで魔人化の完全対処』。……だから、元に戻すまでミッションは終わらない」


「その……恥ずかしいですけれど……これはやるべきことなのです。わたくしは決して変な意味ではありません。ただ、やるべきことをやるだけです。今回の件は、すべて暁お兄ちゃんが許してくださったことですから、最後まで頑張りましょう。――でも、初キスは大切で、一生の幸せな思い出になるものです。だから、必ずいい気持ちで、大切な人に捧げるべきです。ですから、葵ちゃんと久那ちゃんは参加しなくても大丈夫ですよ。わたくしたち四人で、暁お兄ちゃんを戻しましょう。必ず」


「へぇ~、そういう理由だったんだ……うち、わかりました。今回はしばらく参加しないかな」


「初キス、が……そうね。私も少し興味はあるし、恩人に恩返ししたい気持ちもある。楽奈ちゃんと同じことを体験してみたい気持ちもあるけど……初キスのことを考えると、いまは葵さんと一緒に、参加は控えておくわ」


わたしがどうすべきか考えあぐねていると、彩音ちゃんたちが先にフォローを入れ、葵ちゃんと久那ちゃんの参加を自然に見送る形にしてくれた。


でも、お兄さんが言っていた言葉に、そんな意味が込められていたなんて……わたしは気づけなかった。……楽奈ちゃんの勘の鋭さは、本当にすごいな。





*





――星野雪菜の場合――


「……やっと始められるね。先鋒は誰からいく?……魔法攻撃以外の方法で、魔人を元に戻した経験がある人は?」


楽奈ちゃんの言葉に、わたしは思考を巡らせながら周囲の仲間たちを見渡した。――やっぱり、その経験があるのはわたしだけみたいだ。


普通なら、使える全戦力を集めて一気に集中攻撃し、強制的な再生で魔人の魔力を消耗させるのが、魔物対策局のやり方だ。


「なら、経験があるわたしから始めようかな」


よし、反対する人はいないみたい。


……やるぞ――♪


今は邪魔な鎖が消えている。たとえ魔人お兄さんの身長がわたしの倍近くあっても、この距離なら簡単に越えられる。


――距離捕捉、この瞬間を消し去れ、『瞬刻』!


魔法が発動したと同時に、わたしはこの場から消え、魔人お兄さんの顔の前へと転移した。


自分を縛っていた鎖が、ちょうど良い足場になってくれている。これなら落ちる心配はない。


「その顔すら見えない状況……懐かしいな。あの頃のわたしは何も知らずに、ただ『おとぎ話みたいに、真実の愛のキスなら呪いが解ける』なんて考えてた。でも今は違った。わたしは、何をすべきで、どうすればいいのか……ぜーんぶ、知ってるから。魔法少女として、仲間として、幼馴染として――一刻も早く、戻ってきてください」


わたしはお兄さんの顔を、黒き焔の向こうに覗き込む。


普段は誰にでも優しくて、周りの人を守るためなら魔人に堕ちることまだ頑張ってました。その優しさが、かえってわたしの手を少しだけ鈍らせた。


ずっと、ずっと、待っていたんだから。

たとえどれほどの時間がかかっても大丈夫。わたしはずっと、傍にいるから。


それでも――意識を失ったお兄さんが、今、目の前にいる。頂くしかないじゃないですが。


「……このくらいの我儘は、許されるかな?」


小さな声で呟き、言い訳のように唇を重ねた。


最初は、ただの口づけだった。


だが、舌が滑り込んだ瞬間、普段よりが甘くって濃密な魔力が流れ込んでくる。


わたしはそれを丁寧に、深く吸い上げる。口の端から銀色の糸が垂れ、顎を伝って落ちる。


それでも離さない、むしろ体を乗り出し、両手で黒き焔の中に隠せるの頭を抱え込みて、口を塞いだ。


焦らず、深く、確かに。


黒き焔に隠された頭を両腕でそっと支えながら、離さない。


口づけの中で、重い想いが溶けていく。


まるで呪いを浄化するような魔力を吸い取って、自分の気持ちを伝えるような舌を絡め――その甘美いな魔力を貪るように吸い続ける


……


…


「はい、ストップ~!そこまでだよ、雪菜ちゃん~?魔力はもう十分満たされたでしょ?最後はただのキスにしか見えないよ?」


「ぷはっ……!?彩音ちゃん、何するんですか……!?」


急にうなじを掴まれ、わたしはお兄さんから引き剥がされた。


「……本当は、もっと、ちゃんとやりたかったのに」


「残りは三人いるんだからね~。交代よ、交代~」





*





――陽葵彩音の場合――


雪菜ちゃんが魔力を奪い取ったおかげで、暁の歪んだ肌が少しずつ元の色を取り戻し始めている。顔の下半分はほぼ元に戻り、頭上の角も崩れるように消えつつあった。


「うんうん、この近距離から見ると、本当に忌々しい姿だな~。でも……この異形、新しい作品のアイデアになるかも?それにしても雪菜ちゃんはあんなに激しかったのに、全然起きないね~」


まずはこの身長差を何とかしなければ始まらない、ーー『即興:踏み台』


この場は簡単なキューブだけで十分だよ~。


アヤネは絵から生み出した足場の上に立ち、改めてあちこちに観察の目を走らせる。


うん~、いまの暁は完全に無防備だ。


暁はアヤネの理解者であり、アヤネの何もかもを受け止めてくれる、祖母様以外で唯一の存在。


アヤネがどんな我儘をしても、仕方なさそうにアヤネのために解決してくれる人。


これはヤバいな~。うっかりしていると、笑いが止まらなくなりそう。


欲しいものは、全部自分の手に入れる――それがアヤネの流儀だ~。


まぁまぁ~、アヤネは最初から隠すつもりなどなかった。アヤネの強欲さすら、全部受け入れてくれるのが暁なんだから。


「ふふっ、起きてる?……起きてなくてもいいけど~」


人差し指で暁の頰を優しく撫でてから、躊躇なく身を乗り出し、唇を重ねた。


最初から深く、大胆に。


触れた瞬間、暴力的なほどの魔力がアヤネの中へ流れ込んでくる。……この甘さは、ちょっとヤバいかも。


頭の奥まで染み渡るような感じが、理性をゆっくりと溶かしていく。欲しくて、欲しくて、止められなくなりそうになる。


それでもアヤネは離れなかった。


柔らかい唇を割り、舌を滑り込ませて、暁の口内をたっぷりと味わう。甘い魔力と共に唾液を絡め取り、ゆっくりと吸い上げる。


暁の顎を繊細な指先で支え、逃さないようにしながら、丁寧に、しかし貪欲に魔力を受け取っていく。


息が少し乱れるのも構わず、長く、執拗に。


欲しいだけ、奪っていく。


だってアヤネは最初から「良い子」じゃない。強欲な悪い子なんだから~。


……


…


ようやく唇を離したとき、暁の唇はほんのり赤く色づき、頰に薄い熱が差していた。


「もうお腹いっぱい。魔力、満タンだよ~。これ以上続けると雪菜ちゃんみたいに理性が融けちゃうかも~?解除の状況は……うんうん、手足にはまだ爪が残ってるけど、身体はかなり戻ってきたみたいだね~」


満足げに自分の唇に舌を這わせ、楽しそうに笑う。


「ん、美味しい~。やっぱり暁は最高だよ~。――『顔料回収・解除』」


そのまま額にちょんと軽いキスを落とし、絵の具の槍を持ち直して、足元の足場を解除した。


「早く起きてね~。やっぱり意識がある方が、もっと楽しいんだから~」


アヤネはそう言い残し、仲間たちの方へ向き直ると、次の番を呼ぶ。


「カ~ナ~デ~ちゃん~、交代してね~」


「わたくしですか!?その……はい!喜んで!」


唇に残るほんのりとした温もりと、魔力だけではなく心の内側まで満たされたような感覚を抱えたまま、アヤネは奏ちゃんと交代した。





*





――月見奏の場合――


彩音ちゃんと交代し、わたくしは暁お兄ちゃんの前に立った。


歪んだ肉体は半分以上が解けている。だから、前のお二人のような足場は必要ない……と思ったけれど、わたくしはちいさすぎる。やはり、何かあった方がよさそうだ。

それに、わたくしは――恥ずかしいから。


「――《お願いします。わたくしと暁お兄ちゃんを、光で隠してください》」


わたくしの言葉に応えるように、柔らかな光の幕が立ち上がり、周囲の視線を静かに遮った。


この二人だけの仮の密室で、わたくしは暁お兄ちゃんを観察する。


暁お兄ちゃんは静かで、規則正しい寝息を立てながら眠っていた。


普段の睡眠とは違う。自我を封じ込めたような、深い沈眠だ。


わたくしの光幕が、彼の穏やかな横顔を優しく照らしている。長い睫毛、整った鼻筋、わずかに開いた唇――わたくしの心は、いつものようにその姿に強く揺さぶられた。


「……これは全部、暁お兄ちゃんのせいですよ♡」


胸の奥で、何かが熱く疼く。


いつもは優しく心配するばかりの自分が、今は抑えきれない衝動に支配されている。


「まるで立場が逆転した眠り姫のような光景です……。今回はわたくしから、その魔人化という呪いを解きますから。少しだけ、待っていてください。失礼します」


暁お兄ちゃんの寝顔をじっと見つめたまま、わたくしはゆっくりと身を乗り出した。


長い銀白の髪が彼の頰に触れそうになるのを、指でそっと払いのける。そして、震える吐息を押し殺しながら、自分の唇を彼の唇に重ねた。

最初は、ただ触れるだけの、微かなキス。


その瞬間、高密度の魔力が静かに、しかし確実にわたくしの身体へと流れ込んでくる。


(……っく、なにこの、堕落してしまいそうな感情は……。本来であれば魔力低下の影響で自制心が……でも、このくらいなら、根性で耐えてみせます)


けれどすぐに、想いが溢れてしまう。


わたくしは唇を深く重ねたまま、離さなかった。眠ったままの暁お兄ちゃんの温もりを受け止め、丁寧に、しかし熱を込めて魔力を受け取っていく。


魔力が理性を削るように働きかけてくる。心臓が激しく高鳴り、指先まで熱くなる。


(このくらいの衝動は、わたくしが食いしばって耐えてみせます……!我慢なら、得意ですから……!暁お兄ちゃんを助ける気持ちには、負けません!乙女の純粋な恋心を、なめてもらっては困ります!)


わずかに眉を寄せ、吐息を漏らした瞬間でさえ、わたくしはさらに深く唇を重ねた。離したくなかった。


(幸せを感じると同時に、やっと役に立てたという喜びが重なる。この二重の幸せは、魔力の甘さよりも遥かに高くて……これで、耐えられました)


それ以上に――このまま永遠に、この柔らかくて温かい唇を独占していたい。


そんな、自分でも恐ろしいほどの想いが、胸を埋め尽くしていく。


……


…


長い、長いキスの後。


わたくしはようやくゆっくりと唇を離し、銀色の糸が二人の間に細く引かれるのを見つめた。暁お兄ちゃんはまだ深く眠ったままで、頰に淡い赤みが差しているだけだった。


わたくしは静かに微笑み、彼の手に触れる。


「魔人化は、あと少しで解除されるでしょう……」


全身に嫌な汗が張り付いている。まるで激しい戦いの後のようだ。


それでも、魔力と心の両方が満たされたような満足感が、静かに溢れてくる。


「……今回は、わたくしから助けてあげますから。……王子様に守られるだけの姫は、もう古いのです。今の時代は、二人が互いに支え合う方がいい。わたくしも、そうなりたいのです」


わたくしは乱れた髪と服を軽く整えた後、光幕を解除して外へ出た。





*





――影崎楽奈の場合――


「……ん。今回はぼくの番だ」


ようやく、ぼくの番が回ってきた。


でも、その前に一つだけ、奏ちゃんに聞きたいことがあった。


「凄い汗だらけだね。……その障壁の中で、やらしいこと、した?」


「していないよ!ただ、誘惑に耐えるだけで、こんなに疲れてしまったの」


「……そう。なら、是非体験したい」


ぼくは兄さんの元へ移動し、奏ちゃんと同じように影の帳を張った。


よく「表情から感情が読めない」と言われるぼくは、今も表情を崩さない。


正直に言えば、先の面倒な鎖との戦いで消耗は想像以上だった。残っている力は一割程度かもしれない。……だから、ぼくはすでに体の奥がゾクゾクってムラムラして、落ち着かない状態だった。


どこか変なところからむずむずして変な感覚が湧いてくる。でも、感情で動くのはぼくらしくない。そのまま耐える。


「……念のため、影の尻尾を検査するか。……その形はハート型?それともスペード?まあ、悪魔じゃなければ、ぼくはまだ正気らしい」


この薄暗い帳の中に、規則正しい寝息だけが響いている。


信頼するその人――兄さんは、深い眠りに落ちていた。


先ほどより随分とリラックスした顔だ。緩んだ眉、隙だらけな様子。


残された侵食は、半魔人化のときと同程度の面積。これなら、簡単に解決できるだろう。


音もなく彼の傍らに立つ。慣れた動作で気配を完全に消し、影のように近づく。


意識がないから、言葉は要らない。ぼくは言葉よりも、肌の温もりで安心を得るタイプだ。


静かに、影のように距離を詰める。色素のない指で、兄さんの頰に触れた。


熱い。生きている。この世に何も持たなかったぼくに、帰る場所を与えてくれた、大切で、愛しくて温もり。


ぼくは目を細め、ゆっくりと身を寄せた。密着するように、体温を確かめる。


「……ん」


この温かさをもっと感じたいという本能のままに、唇を重ねる。最初はただの接触。すぐに、抑えきれない渇望が静かに溢れ出した。


これが、奏ちゃんの言っていた誘惑……か。うん。でも、ぼくの渇望に比べれば、微々たるものだけど。


このくらいで耐えられない?それとも、ぼくがむっつりしすぎなだけか?


反省会はここまで。早く任務を遂行する。


深く、押し付けるように口づけを重ねる。舌を絡め、吸い上げ、離さず、丁寧に、しかし執拗に、同時に残された魔力の歪みを受け止めていく。


ぼくの鋭い感覚が、相手のわずかな反応――寝息の乱れ、喉の動き――をすべて捉えていた。


その生きている反応に安堵するように、さらに身を寄せる。皮膚と皮膚が密着する感触が、冷たく凍えた心の奥まで染み渡っていく。


……


…


長い時間、ただひたすらにその温もりを貪るように、口づけを続けた。


ようやく唇を離したとき、銀色の糸が細く引かれた。兄さんの唇は少し色づき、頰に淡い熱が残っていた。


ぼくは相変わらずのまま、その唇をもう一度、短く、優しく啄んだ。


「……」


言葉はない。渇望のままに、頸筋にそっと唇を寄せた。甘噛みというよりは、確かめるような、短い接触。


あともう少しだけ、続けよう。


……


…


うっかり夢中になりすぎて、時間を浪費してしまった。


「……魔人化は解除した。でも、あちこちに跡が残ってるな。この頸の印は、どう弁解すればいいんだろう。ぼくは治癒ができない」


指先で、自分が残してしまった薄い嚙み痕とキス痕を撫でる。そして、静かに立ち上がった。


「……まぁいっか。リセットすれば消える」


またいつか、この温もりを独占できる夜が来ることを願いながら――影の帳を解き、元に戻った兄さんを連れて、みんなの元へ帰っていく。





==========

守りの魔人:2.0


根源なる感情

→憤怒、傲慢、虚無、無力、保護欲


混ざった真龍の魔力

→智慧、虚無


→魔力の『現実改変』および『感情を動かす』性質により、過剰な魔力が心の奥底にある欲望と共鳴し、変貌した姿。


→魔物対策局に登録されている、天城暁の魔人形態。ごく一部の者にのみ閲覧権限が付与されている。


→魔人化の影響により、保有魔力量は通常の連絡員を遥かに上回る。そのため、残桜局長の操作によって担当魔法少女の人数が平均の二人を超えて配置されている。これは担当した魔法少女たちによって過剰な魔力を分担消耗させ、魔人化のリスクを低減させるための措置であり、一定の成果が出る。


→固有魔法として、魔力を虚無に燃やす『黒き焔』と、焔の中から引き出す封印効果を持った『鎖』を有する。今回は『虚無』のクロから魔力を注入されたことにより、魔力消去の効果がさらに強化され、ある程度の自動反撃が可能な『蛇ノ鎖』が増加した。


→『虚無』の魔力が混入した影響で、魔人化した姿にわずかな龍の特徴が現れている。今回は足の爪と角が新たに加わった。


→『保護対象』と『敵』を明確に区別して行動する。優先順位は『保護対象を守る』が第一、『敵を排除する』が第二。もし敵が存在しない場合は、最後の『敵』である自分自身を鎖で縛り、封印する。

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