第36話・建て直すの日々・遠方からの訪問者
第36話・建て直すの日々・遠方からの訪問者
==========
「ん……ちゅるっ、ぷは~!これで回復!やあ~、暁が来てくれてよかった!」
どうしてこうなったのか――原因は、ほんの五分前に遡る。
テロ騒ぎが落ち着き、13区の学校も再開した。
妹の小夜が学校に戻れと同じく、現役高校生の葵も登校するようになったため、訓練回数はぐっと減った。
急に暇になったオレは、支部の修復状況を確認しに向かった。
外観はほぼ元通りになったが、今回の事件で新しく刻まれた防御術式の再検証が必要らしく、職員たちと各小隊の休暇はまだ続きそうだ。
「よし、帰るか……ん?」
半魔人化した影響で、男性のオレにもある程度魔力を感知できるようになっていた。
建物の影に、微かな魔力反応を感じた。
念のため確認しようと、オレはそちらへ歩み寄る。
「……これは、絵?」
壁に描かれていたのは、青と白が渦を巻く不思議な絵。
オレが近づいた瞬間、その絵が淡く光を放った。
「一体何だ、これ!?」
何かあったら連絡できるように、オレは警戒しながら通信端末を開く……。
その刹那、絵の中から人が飛び出してきた。
オレがよく知る、あの人物だった。
「やったー!転移成功しました!これで《絵の魔法》の新技、開発完了!うん~、作品名は『転移スポット』に決定~!」
虹色に輝く先端の白髪、変身したマイスター姿の彩音が、絵の中からするりと出てきた。
「彩音さん!?どうして絵から出てくるんだ!?」
「あれれ、暁じゃないですか!ヤッホー!ちょっと待ってね、この絵を完成させるのに魔力めっちゃ使っちゃったから……補魔、ちょうだい!」
「うおっ!?」
彩音は水彩槍を杖代わりに放り投げ、オレに飛びついてきた。
細い両腕が首に絡みつき、息がかかるほどの至近距離で、碧眼が真正面から見つめてくる。
彼女が落ちないよう、オレは仕方なく腰に手を回して支える。
「にひひ~、久しぶり、暁。それじゃ、いただきま~す……ちゅっ」
予想はしていた。
しかし彩音のキスは、いつも以上に勢いが凄まじかった。
舌が当然のようにオレの口内に侵入し、思う存分に絡みつく。
濃厚で、熱い。
久しぶりの反動か、魔力と体力が一気に吸い取られる脱力感に、オレは壁に背を預けて倒れないよう耐える。
(ヤバい……頭が溶ける……舌、吸われてる……っていうか、緊急事態じゃないのに外で補魔はルール違反だろ……ダメ、力強く引っ張るな……)
どれだけ時間が経ったかわからない。
ようやく満足した彩音が唇を離し、舌なめずりしながら微笑んだ。
「ん……ちゅるっ、ぷはー!へへ、キスしちゃった~!これで完全復活、か・い・ふ・くー!やあ~、暁が来てくれてほんとに良かった!」
溶けかけていた頭がようやく正常に戻り、オレは弱々しく反撃する。
「こら、これはルール違反じゃないですか……」
しかし彩音は自信満々の笑顔で答えた。
「ちっちっち~それは違いますよ、暁。ほら、周りを見てごらんなさい?」
「こ、これは……」
いつの間にか、周囲は建物の影ではなく、ふかふかのベッドと柔らかな照明がある客室のような空間に変わっていた。
転移……?いや、違う。よく見れば、これは全部「絵」だ。
「彩音の杖の能力、覚えてるでしょ?空中に絵を描けるんだから、こうして一時的なお部屋を作っちゃったの!暁に迷惑かけるようなことはしないよ~。もっと最初の仲間を信じてくださいな~」
「うん……そういえば、そうだったな」
彩音の行動は予測不能で自由奔放だけど、オレに悪戯する程度で本気で迷惑をかけることはない。
「うんうん~!だからここは二人だけの密室!せっかくモフモフなベッドも描いちゃったんだから、もっとすごいこと……しちゃう?」
彩音が目を細め、舌を挑発的なめずりしながらオレの頰に指を這わせる。
「しないから。誘惑はよせ。魔力回復しただろ?この部屋、解除してくれ」
「むぅ……結構本気だったのに、つまんなーい。まあ、機会はこれからたくさんあるから、今回はおあずけ~!『顔料回収・作品解除』」
不満げに頰を膨らませながら、彩音は指を鳴らす。
偽りの部屋は一瞬で空気に溶け、顔料となって杖に吸い込まれた。
奇妙な空間が消え、オレたちは元の路地裏に戻る。
「まだ降りてないの?熱くない?」
「降りない、降りない~!熱くもない~!だって今回は一番長い時間離れてたんだもん。もっとかわいく甘えさせてよ~」
「はいはい、わかった。熱くなったら降りるからな」
彩音を説得しきれず、オレはこのまま彼女を抱っこしたまま歩き出す。
「そういえば、どうして絵から出てこれるようになったんだ?」
「ふふん、驚いた?これは転移可能な絵なの!同じ絵を描いておけば、点と点を繋げて瞬間移動できるよ?これ使えば、いつでも寮から暁の家に遊びに来られるんだよ~!すごいでしょ!」
「それは……想像以上の魔法開発だな。《絵の魔法》でこんなこともできるなんて、ほんとすごい」
「でしょでしょ!せっかくだから、暁!今暇?ちょっとだけいいから、公園で写生しよ!」
「いいけど……このまま街中歩くのはちょっと……あと、変身解除して」
「わかりました、ちょっと待っててね」
彩音はやっと地面に降り立ち、『転移スポット』の絵を通って自室へ準備をしに行く。
戻ってきた彼女はすでに変身を解き、いつもの涼しげな普段着姿。
写生用の絵の具が詰まったバッグを手に、満面の笑みだ。
「行こー!」
元気いっぱいに駆け出す彩音の後ろを、オレは慌てて追いかけた。
*
オレたちが辿り着いたのは、この辺りで一番大きな公園だった。
木々が豊かに茂り、中央に大きな湖が輝いている。週末以外でも家族連れやカップルで賑わう人気スポットだ。
「うん~この辺の景色は……もうちょっと右にしようかな~」
彩音がスケッチブックを広げ、木陰のベンチに腰を下ろしながら身を乗り出す。
「石に気をつけて。滑ったり転んだりしないようにね」
「わかった~!彩音は先に行くよ、早く来てね!」
「はいはい、行きますよ」
オレは仕方なく、元気いっぱいの彼女の後ろを追いかける。
なぜこの小さな体に無限のエネルギーが宿っているのか……まあ、健康なのは何よりだ。
「お兄ちゃん、彼女と仲良しだね。恋人?」
突然、後ろから可愛らしい声がかけられた。
「あはは、そうじゃないよ。ただの親友みたいな、仲のいいお友達さ」
「そうかな?私から見たら、もう付き合ってるも同然に見えるけど」
「そんなことはないよ」
ん?彩音は前にいるはずなのに……オレは一体誰と話している?
横を見ると、そこに知らない幼女が立っていた。
金髪碧眼で、黒と赤を基調にした軍服風のスカート姿。
風格があって、とても可愛い子だった。
……なんだか、その顔、どこかで見た気がする。
それに、いつから傍にいたのか全く気配を感じなかった。
「キミは誰?もしかして迷子かな?」
「うん~迷子じゃないよ。ただ同じ方向に向かってるだけ。私はレーディア。少しお話ししてもいいかな?」
う……その純粋な上目遣い、かわいすぎて心臓が持たない。
でも、彼女の口の動きと言葉に微妙なズレがある。
これは……翻訳魔法を使っている時の特徴だ。
初めて彩音と出会った時も同じだったから、オレには一目でわかった。
「話ならいいですよ、レーディアさん。これは推測だけど……もしかして、キミは外国人の魔法少女ですか?」
オレの質問に、彼女はあっさり頷いた。
「うん、そうだよ。日本語はまだ苦手だから、魔法でごまかしてるだけ。お兄ちゃんは外国人のお友達が多いの?」
「そうですね。その口の形と声がずれてるから、すぐに気づきました」
今の時代は魔物のせい、外国人は珍しい存在だ。
交通の面倒くささもあって、彩音のように移住してきた子は稀。
オレが気づけたのも、彼女と長く一緒にいるからこそだ。
「ああ~そっかー。じゃあここに『ライト』をねじ込んで、幻覚を重ねて……どうかな?」
軽い口調で、とんでもないことをさらっと言う。
彼女の言う通り、さっきまでの微妙な違和感が完全に消えた。
「違和感がこんな簡単に……あの、もしかしてレーディアさん、すごい魔法少女なんですか?」
「ふふふ、それは秘密~♪」
いや、その笑い方じゃ、間接的に認めてるようなものだろ。
オレたちが話している間、先を行っていた彩音がこちらに手を振って叫んでいた。
「早く来てよ~!ここの景色、すっごく綺麗だよ!」
「はいー!すぐ行く!」
オレも大声で返事する。
「キミも聞いた通り、オレの仲間が呼んでるから行かないと。レーディアさんはどうする?」
「うん……(今アヤーと会えるのは計画外……名前聞いたらバレちゃうし……)そうだね、一緒に行こうか」
こうして、オレとレーディアは彩音が待つ湖畔へと歩き出した。
*
彩音が待っていた場所は、小さな丘の上だった。
そこからは湖全体が一望でき、写生には最高のスポット。午後の陽光が水面にキラキラと反射し、風に揺れる木々の葉が優しい音を立てている。
「もう~遅いですよ~!レディにこんなに待たせるなんて、失礼すぎます!」
彩音がスケッチブックを抱えて頰を膨らませ、足をぱたぱたさせる。
「ごめんごめん。ちょっと前に外国から来た子と出会っちゃって、話しながら歩いてたら遅くなった」
「うお?外国人って……暁の後ろに隠れてるあの子?」
彩音が目を丸くする。
レーディアはなぜかオレの背後にピタリと隠れていた。
小柄な体躯のおかげでバッチリ隠れている……はずだったが、彩音には丸見えだったらしい。
気まずそうにレーディアが顔を出す。
「や、やあー……アヤー……お久しぶり。元気に暮らしてるかな?」
「え、祖母様じゃないですか!お久しぶりです!」
彩音は一瞬固まったあと、元気いっぱいに駆け寄り、レーディアの両手をぎゅっと握ってぶんぶん振る。
「え、彩音のお知り合い……っていうか、祖母!?」
レーディアは彩音よりずっと幼く見えるのに、祖母……。
魔法少女という存在は、本当に不可思議だ。
(家族の時間は邪魔しないほうがいいよな。うん、オレは観葉植物。気配を殺して傍観する)
「祖母様が来るなら、もっと前に言ってよ~!遊びの計画、しっかり立てたのに!」
「向こうは夜中だったから、気まぐれで来ちゃったの。本当はこっそりアヤーが選んだ男をチェックするつもりだったんだけど……会えるとは思わなくて」
そう言いながら、レーディアがオレの脇腹に肘をズンッと入れる。
え、オレが原因!?
「……だって、若い子は干渉されるの嫌いじゃない?娘もそのせいでこっちに来たし……」
「うー、ママの話でしょ?彩音は別に気にしないよ~」
「え、本当に!?なら私も我慢しない!遠慮なく、時間ある時に来るわ!」
レーディアの表情が一瞬で晴れやかになる。
「それより、暁はどう~?合格?」
「……今は特に減点なし、子供に親切に話す。結婚式の時は呼んでくれ、光速で来る」
これはもう傍観してる場合じゃない!?
「それはちょっと遠いの話すぎませんか?オレと彩音さんはまだ付き合ってないし、連絡員として小隊全員に責任取れないと……」
「ん?何それ。あれは私が生まれた時代の話でしょ?今なら全員と結婚すればいいのに?」
レーディアの言葉は、魔物災害で人口が激減したこの世界では、ある意味正論だった。
昔の魔法少女たちの修羅場で起きた戦闘余波の大量破壊も加わって、今では普通の考え方。
「う、それは……人間関係として順序が大事だから、今はちょっと……」
……けど、全員の人生を背負うするならオレはまだ未熟だ。
「へえ、ちゃんと考えるじゃない~。今は許すけど、アヤーに悲しい思いさせたら許さないこと、覚えておきなさい」
「もう~祖母様、それは有り得ないよ~!だって暁は彩音たちみんなを大事にしてくれるから……自分自身のことを気にかけないのは良くないけど」
彩音が言葉の後半でオレをじっと睨む。
普段のふわふわした笑顔が消え、無言の圧力がビシッと伝わってくる。
「本当に自分のことを大事にしてね?暁は彩音の幸せと繋がってるんだから~。魔法少女は見た目より頑丈なんだから、もう自己犠牲みたいに庇わないで?長年の付き合いで、その悪い癖はよくわかってる~。魔人化の力得たって、絶対に悪化する。大人なんだから反省して……返事は?」
明るい彩音が虚ろな目で真っ直ぐ睨んでくる。
その曇った表情が怖い。
「あの、その……緊急事態の時は無意識に動いちゃうから……適切に処理します」
「なら、よろしい。今はこれで許す~。まあまあ、くだらない話はここまで。彩音たちは写生するんでしょ?祖母様も一緒に遊ぶ?」
彩音の誘いに、レーディアは即座に目を輝かせて頷く。
「うんうんうん!アヤーと一緒に遊べるの久しぶりーーー!」
けれどその瞬間、レーディアの胸元に輝くルビーのネックレスが『ピッポ、ピッポ』と激しく点滅し始めた。
「あん!?なんでこのタイミング!?すみません、通信が入るわ……私よ。何があったの……はあ?この深夜に五体のUFOと無数の怪獣が都市に襲撃!?ヒーローたちが対応できない!?せっかく孫娘と一緒にいる時間なのに、よくも……!」
傍で聞いているだけで大変な事態だとわかる。オレと彩音は言葉を失う。
通信を切ったレーディアは、苦い虫を噛み潰したような顔でため息をついた。
「うぅー……アヤー~今回は帰らないと大惨事になっちゃうみたい……せっかくの孫娘との時間を邪魔する奴ら、光で千切ってやる!時間できたらまた来るから、ぜったいだ~!」
「お、おう?祖母様も気をつけて。命は大事に戦ってください」
「レーディアさん、安全第一でお願いします」
「おおおー!アヤーの言葉で力が溢れてくる!そうだ、行く前に一つアドバイス。アヤー、私たちヒーロー、ここで魔法少女に呼ばれる時間は無限だけど、一般人はそうじゃないよ。もし待てないなら、力で既成事実を作っちゃうのも選択肢の一つよ?私の亡夫、普段は漢気ぶってるけど、私の姿は小さいから手を出せなくて臆病者だったから……私はこうしてあいつを捕獲したの。結構良い成果出たわよ~!」
「うん!参考にします!」
「こら、これを参考にしないでください」
「それじゃあまたね~」
話が終わると同時に、レーディアは全身を光に包み、閃光と共に空へ飛び立った。
残るのは眩い光の軌跡だけ。
「流石に《光の魔法》……早いな~」
「《光の魔法》……奏ちゃんと似てるかな?」
「むむむ、祖母様のは光を操って、自分を光と同化し光速移動できるみたい。奏ちゃんのは光を物質化する系?彩音の魔法じゃないからよくわからない~」
しかし、レーディアと入れ替わるように、オレたちの横で青い渦が巻き起こる――転移の前兆。
服が乱れた残桜が勢いよく飛び出してきた。余裕のない焦った様子は、珍しい。
「ライトニングの魔力が感知したのに、いない!?……そこ、暁!お前はなんか彩音と似てる、黒い服の金ぴか幼女を見なかったか!」
「うん、彼女ならさっき飛び去った。なんか緊急事態で戻ったみたい」
「うんうん、祖母様は戻りましたよ」
「ああ、もうー!一番年上の原初なのに事前連絡一つよこさない、あの人!光速移動できるからって、もう!知らない!」
「おっと、危ない!」
残桜が苛立ちながら髪をぐしゃぐしゃにかき回すと、黄金色の冠が地面に落ちそうになる。オレが慌ててキャッチした。
「あ、すみません」
「あの、レーディアさんは『時間できたらまた来る』って言ってましたよ……」
「もうー!」
手に持った冠を地面に叩きつけ……あ、自分で拾った。
「……自分はあいつに文句言う。失礼します」
残桜は符を一枚掲げ、転移の光と共に消え去った。
「……ん、なんか騒がしくなったな。彩音さん、キミの祖母、レーディアさんはすごい人だな?」
「知らない、大分?まあ、写生しよう!」
「そういえば、オレたちはここに来たのは写生するんだったよな。うん、しよう!」
色々なことがあったけど、今はようやく静かになった。
オレたちは湖を見下ろす最高の場所に並んで座り、目に映る景色を一緒に描き始めた。
彩音と共に、安寧の午後をゆっくり過ごした。




