第28話・悪意・幕間
第28話・悪意・幕間
ンィーで時間溶け過ぎました
==========
気がつくと、オレはすでにここにいた。
足下は灰色の石畳。
金色と青の炎が、わずかな光源となって揺らめく。
周囲には無数の本棚が宙に浮き、その先は果てしない暗闇に呑まれている。
光量は少ないはずなのに、不思議と視界は鮮明だ。
「……ここは……オレは家で小夜と一緒に寝てたはず……ああ、思い出した」
困惑は一瞬で消えた。
記憶が潮のように押し寄せる。
オレはここでフェリーと出会った。
記憶を消したのも、きっと彼女の仕業だろう。
とりあえず、彼女を探すことにした。
本棚の森を、目的もなく歩き始める。
近くの本棚から一冊を抜き取り、ページを開く。
「やっぱり、知らない文字ばかり……イラストから推測すると、これは童話かな?」
そんな彷徨も、長くは続かなかった。
背後から、軽やかな足音が近づいてくる。
「随分と放っておいたものだね、キミは」
振り返ると――当然、この空間の主。
ゴスロリ調の黒いドレスを纏い、夜空のような翼を優雅に畳んだ銀髪の少女。
金色の縦瞳が、穏やかながらもどこか傲然とした光を湛えている。
フェリー。
「やあ、フェリー。こんばんは。昨晩出会ったばかりなのに、またここに呼ばれちゃったよ」
オレが軽く手を上げて挨拶すると、フェリーは小さくため息をつき、片手で銀髪を耳にかける仕草を見せた。
「はあ……ここでは時空の概念が歪んでいるから『こにちは』でいいのかしら。それにしても、キミは随分とリラックスしているわね。我はそんなに威厳がないのかしら……」
フェリーは少し頰を膨らませ、金色の瞳を細めてオレを睨む――けれど、その声は穏やかで、敵意は微塵もない。
「そんなことないよ。ここはフェリーの心像共鳴みたいな領域だろ?オレは魔法が使えない人間だから、すでに『お前の腹の中』みたいなもんだ。何もできない分、逆にリラックスできちゃうんだ。フェリーの威厳とは関係ないよ」
「……ふん、誤魔化しは上手いわね。それは良かった、と言っておこうかしら。でも、一つ訂正しておくわ。厳密に言えば、我々魔物と魔法少女の領域は異なるものよ。魔法少女のものは周囲の魔力と共鳴して展開するもの。魔物のものは、自分の魔力を強引に放出して周辺環境を改変するもの。我は魔法少女のものも使えるけれど、この図書館は魔物系の領域よ。人間なら魔力消費が激しいはずなのに、周囲の環境に依存しないから、実は便利なの。それに……」
フェリーは知識を語るのが楽しくなったのか、止まらなくなった。
翼が小さく震え、金色の瞳が輝く。
オレは苦笑しながら、彼女の話を聞く。
「……ゴホン。言い過ぎたみたいね」
フェリーは気づいて、頰を少し赤らめ、咳払いをする。
それを隠すように、優雅に手を振った。
瞬間――周囲の本棚が素早い速度で移動し、オレたちを中心に円形の広場が形成される。
さらに手を掲げると、一冊の本が飛んできて開き、中から高級なテーブルと椅子、そして湯気の立つ紅茶が現れた。
「ほら、とりあえず座って。ティーパーティーをしましょう」
オレはフェリーの向かいに腰を下ろす。
相変わらず、いい香りの紅茶だ。
この一日で起きたことが多すぎて、どこから話せばいいか。
「いい紅茶でしょう?これは絶滅した旧世界の品種で、疲労回復に効果があるの。キミは半魔人化の影響がまだ残ってるから、これで少し楽になるはずよ」
言われるままに一口飲むと、本当に一日の疲れが溶けていくような気がした。
……ん?待てよ。
「フェリー、どうしてオレが半魔人化したこと知ってるんだ?」
フェリーはカップを優雅に置き、金色の縦瞳を真正面からオレに向ける。
穏やかだが、どこか傲然とした視線。
「愚問ね。当然、この『目』で見たわ。キミが朝遅く起きて妹の小夜に起こされる頃も、魔人の対処も、支部内で半魔人化したことも――全部、ここで観察したの。忙しい一日だったわね」
「オレを監視してたのか?あの、プライバシーっていう単語、知らない?」
「もちろん知ってるわ、我と出会ったキミに要らないこと。知識を集めるには『観察、思考、連結』の三つが必要。キミを理解するためには、観察は不可欠よ。諦めなさい」
「……まさか、昨晩別れた時に頰を触ったのは、マークする行為だったのか?」
「ああ、その通り。人類は脆いもの。目を離せばすぐに死んでしまうでしょう?キミに対して、何も変わらないわ。文句はある?」
……確かに、日常に影響はない。
やめろと言っても止められないだろうし、諦めるか。
「……わかった。ほどほどにしてくれ。次にそんなことする前に、オレに一言相談してくれればいいけど」
「理解が早くて助かるわ」
フェリーは満足げに微笑み、カップを傾ける。
オレたちはお互い紅茶を飲み、クッキーをつまみながら――このティーパーティーを続けた。
*
「そういえば、キミたちを襲撃した組織の誕生には、我も少し関わっているのよ。まさか、あんなに長い時間をかけて観察しなくても、そこまでやるなんて想定外だったね」
フェリーはカップを優雅に置き、銀髪を指で軽く梳きながら、穏やかな声で言った。
金色の縦瞳が、静かにオレを捉える。
その言葉は、爆弾だった。
「フェリー……あの組織のこと、知ってるのか!?詳しく教えてくれ!」
オレは思わず身を乗り出し、テーブルに手を置く。
フェリーは小さく微笑み、翼を軽く広げてから畳んだ。
知識を語るのが好きな彼女の瞳が、わずかに輝く。
「いいわよ。あの組織を立ち上げたのは、キミと同じように我の図書館に迷い込んだ人間。科学者だったみたいね。『人類を愛しているから、この魔物に脅かされる状況を変えたい』と願って、我に知識を求めたの。我は気前がいいから、欲しい知識を全部教えたね。でも……」
フェリーはそこで言葉を切り、カップを手に取り、ゆっくりと一口飲む。
穏やかな表情のまま、続ける。
「普段は理性の思考を大事にしているのに、情報を遮断されない我を直視したせいか、簡単に狂ってしまったね。それ以降、二度と会えなかったの。おしまい」
軽い口調で、何でもないことのように語る。
「……だから、オレがこの図書館にたどり着いた時、お前は『振り返るな』って言ったのか」
「ああ、そうよ。我は学習するもの。同じ間違いは二度としないね。あの組織の名前は――」
大事なことを言いかけた瞬間――
フェリーの視界外から、一冊の本が彼女の右側に高速で飛んできた。
本が開き、眩い金色の光が爆発的に放たれる。
その軌跡は、まるで剣の斬撃。
「げあああーー!!」
フェリーは悲鳴を上げ、光の奔流に吹き飛ばされ、本棚に激突。
無数の本棚がドミノのように倒れていく。
オレも突然の出来事に混乱し、立ち上がる。
「何だ!?襲撃か!?フェリー、大丈夫か!?」
オレは本棚の残骸に埋もれたフェリーの足を見つけ、力を込めて引き抜く。
フェリーは咳き込みながら、ゆっくりと体を起こす。
「ゴホゴホ……まさか、『聖剣の全力一撃』を『再現』した本を選んでくるなんて。我じゃなければ、両断されてたわね。どうやら、あの未来の我はそれを本気で止めたかったみたい」
「フェリー、本当に大丈夫か!?これは一体……」
フェリーの腹部に、骨が見えるほどの横一文字の深い傷が刻まれていた。
血が滴り、ゴスロリのドレスが裂けている。
「心配はいらないね。この程度なら……」
フェリーは近くに落ちた本を拾い、ページを開く。
中からガラスの瓶を取り出し、赤い液体を一気に飲み干す。
傷口が逆再生のように塞がり、短時間で元通り。
裂けたドレスの隙間から、血に汚れた白い肌が覗くが、跡すら残らない。
「ぷは~。エリクサーはいつも美味しいわね~。ほら、もう傷は治った。魔物である、そして真龍である我を、本気で心配してくれるなんて……本当に、お人好しね、キミは」
フェリーは立ち上がり、銀髪を払い、穏やかに微笑む。
翼を軽く広げてバランスを取る仕草が、どこか優雅だ。
「知り合いの子が目の前で傷ついたら、誰だってこうするよ。オレは当たり前の反応だ。それはさておき――これはどういうことだ?」
「これは、未来を変えられないための、未来の我から放たれた攻撃よ。まあ、ネタバレは良くない、みたいなものだったわね。先の話題は、止めておいた方がいいかしら。なら、キミの半魔人化のこと、話しましょうかの」
「変化……!?いつの間にか!?」
オレの姿が、再び半魔人化していた。
今回は爪だけでなく、両足も黒い焔で構成された足爪に変わっている。
「ふむふむ。この焔は我には燃え移らないみたい。その周りだけ魔力が薄くなって、魔力そのものを燃焼する概念かしら?そして鎖から封印効果を感じるね。興味深いわね」
フェリーはオレの腕に指を這わせ、観察するように近づく。
金色の瞳が、好奇心で輝く。
「どうしよう……今、どうやって元に戻すんだ……」
「うん?あれは簡単なことでしょう?魔力を奪えば、元に戻るわよ……」
フェリーは、急に先端が細くなった舌でぺろりと唇を舐め、意味深に微笑んだ。
金色の縦瞳が、オレを捕らえる。
まるで蛇に睨まれた蛙――いや、龍に見込まれた人間だ。
「直接的に魔力を奪うのが一番簡単だけど……良い機会だし、人類の非効率な魔力転移方法も試してみましょうか」
「ちょ――」
小柄な彼女は、オレが反応するより早く手を引き、そのまま唇を重ねた。
人間より長い舌が、オレの口内を乱暴に、ぐちゃぐちゃと掻き回す。
強引で、息もつけないディープキス。
雪菜のとは比べ物にならない乱暴さ。
でも、熱い快感が背筋を駆け上がる。
銀色の糸が、唇の間につながる。
ようやく解放された時、オレは膝から崩れ落ちそうになった。
「ごちそうさまでした。良い体験だったね。この行為も、我が集めた知識に含まれているの。初めてだけど、上手だったでしょう?」
フェリーは満足げに舌なめずりし、頰を少し赤らめて微笑む。
いつもより、色気が滲み出ている。
「お前……いきなり何するんだ!?」
「うん?これはキミと仲間たちがよくする行為でしょう?」
「それはそうだけど、こんなに長い時間必要ないだろ?キスして二秒で魔力が全部奪われたぞ。お前もわかってるはずだ」
「てへぺろ。だって、未来は木の枝のように無数にあるの。色んな未来の我が、24時間順番に別のキミとイチャイチャして自慢してるから……我も興味が湧いちゃったね」
「イチャイチャ?オレとお前に?」
「あ、しまった。これはネタバレじゃないかしら。攻撃が来る……来ないわね。まあ、こちらの話だから気にしないで。忘れなさい」
「いや、そんなの気になるだろ!」
「ああ~聞こえない~そうだ、そろそろ限界ね。現実のキミは、もう目覚めそうよ」
言われて気づく――オレの手が、徐々に透明になっていく。
「最後の忠告をあげるね。我々真龍は、とある大いなる意志に昇格するもの。でも、その意志は自然現象に近い。我々は理と使命を与えられるけど、強制力はないの。真龍の中には、我のように従わない者、真面目に使命を果たす者、全てを燃やして灰だけ残す者……色々いるね。つまり、他の真龍と遭遇した時、戦闘で抗うも、命をかけて説得するも、選択の一つよ」
話はそこで一旦止まる。
「新都に来る前に、13歳前のキミは『鏡の谷』で成長したわよね。『鏡面』がすでにキミたち兄妹を探し始めたね。『鏡の谷』はもうすぐ、新都の外壁に蔓延するはずよ。その半魔人化も、安全範囲内で鍛錬しておきなさい。あの時に、使えるね」
「一体何の話だ?新都外の『鏡の谷』は、全てがガラスのように覆われて……魔物は硝子の魔物だけがいて、攻撃されなければ攻撃されない。むしろ普通の魔物を討伐する安全な場所だから、新都外の人はあそこに住む人も多いはずだ。何でオレたち兄妹を?それに、『鏡面』って何だ?」
「それはネタバレだから、言えないね。もう時間切れ。また明日の夜に、待ってるわね」
フェリーはそう言い、優雅に手を振る。
オレの意識は、深海に沈むように――現実へ引き戻されていった。




