Verse 1: 暁の小鳥
Verse 1: 暁の小鳥
Phase/ウィンクルレイン・メルクリオ
──コン、コン、コンコン。
その日の朝は、規則正しく控えめなノックの音で目が覚めた。
ニキシー管時計の橙色の数字は、薄暗い部屋の中でぼんやりと六時前を示していた。
それが騒ぎ立て始めるまでにはまだ大分時間がある。
きっとノックの主は、昨夜から加わった同居人だろう。
あまり寝心地が良いとは言えないベッドから身を起こし、眠気の残る瞼を擦りながら部屋のドアを開ける。
「おはよう、カナリア」
ドアを開けた先には、昨晩エバンスおじさんから受け取った衣装に身を包んだカナリアが姿勢良く立っていた。
彼女の髪に添えられた鈍銀色の歯車も良い具合にアクセントになっている。
昨夜までのどこか浮世離れした姿とは異なり、すっかりアルメニカの景観に馴染んでいるように見える。
それどころか、ここ2層の中じゃ些か小綺麗すぎるくらいかもしれない。
「おはようございます。ウィン──ウィル」
いつもの落ち着いた声に、僅かな間が混じる。
どうやらまだ愛称呼びには不慣れみたいだ。
「その服、よく似合ってるじゃないか。
サイズも丁度良さそうだな。
よくもまあ、上手に着付けられたもんだ」
「はい。
コンタクトレンズの装着も含め、三十二回の試行を経て最適な装いを学習しました」
……三十二回?
俺はその言葉を聞いて、何度も鏡の前で淡々と衣服のボタンを留め直しているカナリアの姿を思い浮かべた。
複雑な造りをした衣装を一人で着付けるのは苦労したことだろう。
彼女の乳白色に濁っていた左目にも、元の瞳の色と同じ色合いをしたコンタクトレンズがきちんと嵌められていた。
「あー……そりゃそうだよな」
俺は自分の配慮の至らなさに半ば呆れた。
「気が回らなくて悪かった。
おじさんに前もって着付け方を聞いておけば良かったな」
「いいえ。ウィル。
問題ありません」
「コンタクトはどうだ?
視えづらかったり、違和感があったりしないか?」
「はい。
多少の違和感は覚えますが、視覚認知機能については誤差の範囲内です。
差異は既に補正済みです」
「特に問題はない……ってことでいいんだよな」
「はい。問題ありません」
「そうか。
けど、どうしたんだ?
やけに早い時間だけど、眠れなかったか?」
「いいえ。私に睡眠の必要はありません。ウィル。
ですが、人間の睡眠を模した一時休止機能も組み込まれているようです。
そうした方が宜しかったでしょうか」
彼女は相変わらずの調子で、淡々と言葉を連ねる。
「んん、それはまあ、カナリアの好きにすればいい。
それにしたってまだ六時前だぞ」
俺はそう言って欠伸を噛み殺した。
「……もう少しだけ寝かせてくれないか」
「今日は──」
「うん?」
「今日は、都市を案内して頂けると仰っていました。ウィル」
「……」
──ああ、そういうことか。
つまりこの新しい同居人は、遠足が待ち遠しくてたまらない子どものように、期待に胸を躍らせて眠れなかったというわけだ。
三十二回の試行ってのは、そうやって持て余した時間を潰そうとした結果か。
「……ははっ。
ああ、わかったよ、カナリア」
普段物静かな彼女が手持ち無沙汰に時が過ぎるのを待つ様子を想像して、少しだけ嬉しさを覚えてしまった。
「けどさ、もう少し待っててもらえるか?
街の目が覚めるまでには、まだしばらく時間が掛かるんだ。
今日は少し遠出するから、カナリアも今のうちに準備しておいてくれ」
そう言って、俺は欠伸混じりに洗面台へ向かおうとした。
その背中越しに、カナリアの声が追いかけてくる。
「では、その間にするべき事を教えて頂けますか。ウィル」
「するべきことって──……」
振り返ると、彼女は真っ直ぐこちらを見つめていた。
やはり彼女からは、ドールにあらかじめ学習されているはずの基礎知識すら、一部抜け落ちてしまっているようだ。
エバンスおじさんは、カナリアに生活の基礎すら教えていなかったのだろうか。
いや、きっと、こうしてドールを人間扱いしようとしている俺の方が世間一般からすればズレているのかもしれない。
「……んー、そうだな。
俺の場合はまず、顔を洗って、歯を磨いて……それから朝食ってところかな」
「朝食は毎朝摂っているのですか?」
「出来ればな。
けど、最近は合成豆の缶詰とスープばっかりだ」
カナリアは数秒の沈黙の後、こくりと頷いた。
「わかりました。ウィル。
では、朝の手順は、洗顔、歯磨き、朝食を摂ります」
「……そういえば、ドールって食べ物の経口摂取は出来るのか?
カナリアはエバンスおじさんのところじゃどうしてたんだ?」
「人間のように栄養素として食物をエネルギーに変換する事は出来ませんが、味覚認識機能は組み込まれています。ウィル。
ですが、睡眠と同様、この身体はモナドコアによる自己完結型の動力変換機構により半永久的な稼働が可能です。
したがって食事は必要としませんが、オーナーの趣向に合わせた対応が可能な様です」
……可能な様です、か。
彼女は時折、そうやって自分という存在を遠くから眺めるような、空々しい言い回しをすることがある。
自分の身体のことだと言うのに、彼女の口から発せられる言葉には、あまり実感というものが伴っていない。
まるで今この瞬間に、自身の頭の中に眠る分厚い製品マニュアルの索引を引き、そこに記された検索結果を淡々と読み上げているかのようだ。
実際に都度データベースを検索しているのか、それとも、少しずつ欠落した記憶の破片を繋ぎ合わせているのかは俺にはわからないけど。
更に不思議なのは、その知識の偏り方だ。
「1」という数字は知っているのに、「2」という数字は知らない。
かと思えば、「3」については俺よりも詳しい説明が出来たりする。
そんな風に彼女には、予め記憶している部分と欠けている部分が噛み合っていないことが度々あった。
まるで、パズルのピースが所々抜け落ちているみたいに。
「どうかされましたか? ウィル」
「ああいや、なんでもない。
……よし、それなら後で一緒に朝食をとろうか。
ただし、オーナーって言い方は俺にはしないでくれよ」
「あなたは、私の所有者ではないのですか?」
表情を変えずに彼女が発した、ひどく平坦な問いかけに、胸の奥がちくりと傷む。
どうにも彼女と会話をしていると、時折、言葉や仕草の中に心の機微とでも言えばいいのか、そういったものが見え隠れしている印象を受ける。
だから、こうして機械然とした物言いをされるたび、どうしても余計に心に引っかかってしまう。
おそらくこれは、エバンスおじさんも同じだったはずだ。
知らず知らずのうちに亡くした娘とカナリアを重ねてしまっていたおじさんにとって、それはきっと、過ごした日数の浅い俺なんかよりも、ずっともどかしく感じられたことだろう。
「あー……俺はカナリアを所有物扱いするつもりはないし、そう振る舞って欲しいとも思っていないんだ。
そもそも、端からオーナー登録なんてものもする気ないしな。
エバンスおじさんだってそうだったろ?」
カナリアは、ほんの少し首を横に傾けた。
『私にはその言葉の意図が理解出来ません』とでも言いたげな仕草だ。
……なんだか、情操教育でもしてる気分になってきた。
……機械人形に情操教育だって?
他人が聞いたら頭のネジの緩みを疑われそうな話だ。
けれど、しばらく彼女と接しているうちに、些細な仕草や言い回しの違いで、彼女の考えている事がなんとなくだがわかるようになってきたと思う。
もちろん、俺が勝手に察した気になっているだけってこともあるだろうが。
いずれにせよ、この少女は自主的な発言こそ多くはないが、胸の内では多くのことを考えているのだろう。
彼女ならそのうち、他人の心にあるこういった複雑な機微も、日々を重ねていくことで理解していけるかもしれない。
根拠はないが、俺にはなんとなくそんな漠然とした予感があった。
だから今は、一から十まで言葉を並べて理解させる、という無粋な真似はあまりしたいとも思えなかった。
「そうだ、カナリア。
コーヒーはエバンスおじさんのところで飲んでたよな?
確か、うちの戸棚にもまだ豆のストックが残ってたはずだ。
朝食の時に淹れてやるからな」
俺は親指を立てて、一言付け加える。
「大丈夫、淹れ方はエバンスおじさん直伝だから」
それを聞いたカナリアの唇が、微かに結ばれたように見えた。
「…………承知しました。ウィンクルレイン」
Verse 1.End




