Verse 4: Patchwork Heartbeat
Verse 4: Patchwork Heartbeat
Phase/カナリア・ステラ
「頼むって……どういうことだ?
わかるようにちゃんと説明してくれよ」
彼はエバンスの言葉に戸惑っているようでした。
恐らく、私の所有権の話ではないかと推察します。
「……この娘を、カナリアを此処から連れ出してくれないか」
「……連れ出す?」
「……ああ。
わたしにはこの娘が、外の世界を知りたがっているように見えて仕方がないんだ。
ウィル、わたし達はこの娘と出会ってまだ数週間程度だが……。
お前さんの話を聞いている時の眼差しに、気づいていないわけじゃないだろう?」
ウィンクルレインが一瞬、私に視線を向けました。
エバンスは言葉を続けます。
「ああいう目は、ただの機械人形には出来ないはずだ。
……まあ、これはわたしの勝手な老婆心かもしれない。
けれど、いつまでもこんな狭い鳥籠に縛り付けておくのはどうにも……忍びなくてね」
ウィンクルレインは、エバンスの話を静かに聞いています。
「……正直言って、ここは決して自慢出来るような世界ではないさ。
ドールを快く思わない連中だって多い。
きっとこれから辛い思いも……うん、沢山するだろうね」
「…………」
「──それでも。
それでもな、こんなところでずっと歌い続けて過ごして行くよりかは……幾分かマシだと思うんだよ、わたしはね」
私にはエバンスの話す言葉の意図が理解出来ませんでした。
ですが、私自身にもわからない事が、彼らにはわかっているようです。
すると、エバンスは私に向き直り、視線を合わせました。
「そうあれかしと造られたからといって、自分までその在り方を決めつけることはないんだよ。
もうお前さんは、記号なんかではないだろう?」
「私は──」
「カナリア。
自分で決めなさい。
そのための新しい道標はもう、貰っているはずだよ」
在り方?
道標。
──名前。
ウィンクルレインはエバンスを複雑な表情で見つめていました。
「ウィル……それにな、わたしは……わたしにはこれ以上──」
エバンスの震える口からは、後に続く言葉が発せられる事はありませんでした。
彼のその姿は、普段よりも幾分か年老いて見えました。
ですが、ウィンクルレインは何かを察している様子です。
彼はおもむろに椅子から立ち上がると、項垂れるエバンスの肩にそっと手を置きました。
「……もういいよ。
わかった、エバンスおじさん。
大丈夫だ、カナリアのことは俺に任せて欲しい」
彼は私に向き直ると、言葉を続けます。
「カナリア、どうだ。
突然な話だと思うけど、俺と一緒に来てくれるか?」
「はい。ウィンクルレイン。
あなたがそう命令するのであれば」
私がそう答えると、彼は僅かに困惑したような表情を浮かべました。
「そうじゃないんだ、カナリア」
彼は以前私に名前を尋ねた時と同様に膝をつき、私と目線を合わせました。
「君自身の意思でそう望めば、これからその目で外の世界を識ることが出来る。
今までのような話や、記録された情報だけじゃない。
自分で体験するんだ。
このまま此処に居たいと言うなら、俺もおじさんも強制はしない」
彼はそう言いながら、ほんの僅かに眉を下げます。
「……さ、カナリアがこれから、どう生きたいかを聞かせてくれ」
──私の意思で、
どう生きたいかを、
決める──
彼らの言葉を、改めて反芻します。
意思とは、生きるとは、どういう事なのでしょうか。
私は、道具です。
外見は彼らとあまり相違はありませんが、それも結局は、人間の姿形を模したというだけの模造品です。
彼らに奉仕する事が、私が製造された唯一の理由の筈。
そのうえ、今の私には模造品としての機能さえ欠落しているのです。
ですから、今までにそのような事を思案した事すらもありませんでした。
──……本当に?
欠落してるとはいえ、私の記憶領域には予めデータとしての膨大な情報がインプットされていた筈です。
ですが、そのデータは私が実際に経験したものではありません。
ウィンクルレインからこの世界のお話を聞いている時、私の疑似ニューロン回路には、何故だか様々な情景が浮かび上がります。
鈍色の空の下を飛び回る、飛行機械。
忙しなく動き回る、歯車仕掛けのオートマタ。
無秩序に絡み合った、配線と真鍮の配管。
都市中の随所から放出される、灰白色の蒸気。
犇めき合う工場群から響く、絶え間ない鳴動。
この都市に息づく、多くの人間達。
確かにエバンスが話していた様に、この世界は善い場所ではないのかもしれません。
窓辺から空を見上げ、日々を静かに歌って過ごす事には不満などありません。
彼らも私の歌を好ましく思ってくれているようで、壊れた機械人形としてはそれが相応しい在り方のように思えます。
──本当に?
『そうあれかしと造られたからといって、自分までその在り方を決めつけることはないんだよ』
私は──
『カナリア。
自分で決めなさい。
そのための新しい道標はもう、貰っているはずだよ』
「──私は、私の身体で、このアルメニカという世界を体験してみたいです。ウィンクルレイン」
私がそう告げると、彼は私の瞳を静かに覗き込みました。
「……よし。
わかった」
彼は一度頷いてから立ち上がると、エバンスに向き直りました。
「エバンスおじさん、これで良いんだよな?
本当は……寂しいんだろ」
「うん、良いんだ。
もともと独りの方が気楽だからね。
それになにも、今生の別れってわけでもあるまいに。
まあ、前より少し、静かになるだけだよ」
エバンスはマグカップに目を落としたまま、そう言いました。
「……ああ、そうだ!
そんなことよりも、ちょいと待っていてくれ」
エバンスは何かを思い出したかのように顔を上げると、小走りでカウンターの奥の部屋へと入っていきます。
私の肩に留まる銀の小鳥が振動で落下しそうになったので、手でそっと抑えます。
ウィンクルレインはそんな私の様子を、顎に手を添えながら眺めていました。
「……なあ、カナリア。
それ、気に入ったのか?」
彼は私の肩の小鳥を指差します。
「気に入る、という感覚は私には正確な理解が出来ていません。
ですが、この歯車と生物が合わさった造形には強い関心を覚えます。
ウィンクルレインという響きの印象と同様に、言語化が困難です。ウィンクルレイン」
私がそう述べると、彼は「んんん」と短く呻いた後、上半身を時計の振り子のように左右に揺らしました。
意図の読み取れない動作です。
人間特有の思考整理行動なのでしょうか。
「はぁ……。
けど、そのままじゃ邪魔だろ?」
ウィンクルレインは人差し指を曲げて銀の小鳥を手招き、自らの掌の上に戻しました。
彼が小鳥を両手で包むと、それは細かな光子を散らし、瞬く間に小さな歯車を模した髪飾りへと再構築されました。
そしてそれを、私の髪に留めます。
「これで良し。
この程度の大きさなら、俺が近くに居なくても維持出来るはずだ」
そう言うと彼は、壁に立て掛けられた姿見鏡の埃を衣服の袖口で拭いました。
そして、掌を上に向けて私に手招きをします。
「ほら、見てみな」
鏡を覗き込んでみると、髪飾りを留めた私の姿が映ります。
歯車は室内のモナド灯の光を受けて、鈍銀色の光沢を放っています。
鏡の前で何度も顔の角度を変える私を見て、彼は言います。
「歯車ってのは、アルメニカじゃ少し特別な意味を持つんだ。
特に、産業で栄えた1層と2層では余計にな。
だからまあ、ここの連中にとってそいつは誇りの象徴みたいなもんだ」
「──象徴。
ありがとうございます。ウィンクルレイン」
◆◇◆◇◆◇
ほどなくして、店の奥からエバンスが大きな革製のトランクケースを両腕に抱えて戻ってきました。
「ふう、お待たせ。
……おや、ウィルもなかなか憎らしいことをするようになったじゃないか」
エバンスは私の髪に留められた歯車を一瞥して微笑むと、テーブルの上にトランクケースを載せました。
ケースの表面には菱形模様があしらわれており、ジャンク品や骨董が雑然と並ぶ店内では、それだけが品よく浮いて見えるようでした。
エバンスはケースの施錠に真鍮の鍵を差し込み、丁寧に廻します。
ちりちり、という音を立てて螺子が廻り、かちりと鳴いた後に施錠が解かれました。
ケースの中には、深い栗色や灰色を基調とした衣服が整然と収められていました。
厚手の布地には真鍮の留め具が取り付けられ、革ベルトとコルセットが鈍い光沢を放っています。
白いブラウスの袖口には細かなレースが縫い付けられており、装飾は均整が取れていました。
それらの衣服には、先程ウィンクルレインが言っていた歯車の意匠も多数見受けられます。
「いつまでもその寝間着のままじゃなんだろう。
ウィルに淑女の服を選ぶセンスなんてないだろうしね。
妻と娘のお下がりだが、サイズもそう違わないはずだよ。
このトランクごと、全部持っていきなさい」
私は、収納された衣服を眺めます。
ただの布切れの筈なのですが、不思議と温度を感じます。
「ありがとう、おじさん。
俺のセンスのことはともかく、正直助かるよ。
けどこれって……本当に貰っちゃって良いのか?」
「この衣装達も、このまま埃を被ったままにしておくのは可哀想だからね。
それに、そのぉ……なんだ、処分するような勇気も出なかったしな。
なに、元々捨てるつもりだったものだ。
好きなように使い潰しなさい」
エバンスはそう言いましたが、その衣服とトランクケースには、埃一つ付着していませんでした。
恐らく、定期的に丁重な手入れが行われていたであろう事が伺えます。
「それと、こいつも受け取ってくれ」
エバンスは懐の内ポケットから小さな箱を取り出します。
それをトランクケースの横へ置き、蓋を開いて見せます。
箱の中には、薄紫色をした、小さく薄い硝子の膜のようなものが数枚入っていました。
「おじさん、これ……コンタクトレンズか?」
「うん、実はな、少し前から知人の細工技士に頼んでおいたんだ。
物騒な街だ。
そんな瞳のままじゃ何かと目立つだろうし、ドールを狙う輩にも目を付けられでもしたら面倒だろう?
気休めかもしれんが、ないよりはマシさ」
ウィンクルレインは箱を手に取り、コンタクトレンズをじっと眺めました。
「何から何まで、なんだか申し訳ないな」
「そもそも無理な願いを聞いてもらったのはわたしだ、気にすることはない。
しばらくは違和感があるだろうが、なに、じきに慣れるだろうさ。
予備も渡しておくが、足りなくなったらまた取りに来ると良い」
ウィンクルレインは暫く手元に視線を落とした後、口を開きました。
「なあ、おじさん──」
「……ほら二人とも。
今日はもう、店じまいの時間だよ。
もう行きなさい」
エバンスはそう言って、私達を追い払うように手を振りました。
「エバンス」
「……うん?
なんだい、カナリア」
「また、此処へ伺っても宜しいでしょうか」
「……ああ。
ああ、もちろんだとも!
いつでもおいで。
その時は、またお前さんの歌を聴かせてくれ、カナリア」
「はい。エバンス」
「…………すまないな」
エバンスは一言そう漏らすと、私の頭に掌を乗せて目を細めました。
大きくて、節くれだった分厚い掌です。
彼の薬指に嵌められた指輪が私の髪飾りに触れ、キン、と小さく音を奏でました。
◆◇◆◇◆◇
私達は骨董屋を後にしました。
店を背に、既に人工太陽の落とされた天幕の下に立っています。
私にとっては初めての、硝子越しからではない星空でした。
それは毎日見上げていた風景でしたが、窓辺から見るそれとは何かが違って映りました。
横目に映ったお店の窓の奥には、エバンスの後ろ姿が見えます。
彼の背中に隠れて良くは視認できませんが、棚に置かれた写真立てを眺めている様子でした。
その表情も、ここからでは伺う事が出来ませんでした。
ウィンクルレインはバイクの傍で、顎に手を当てています。
エバンスから譲渡されたトランクケースを持ち帰る方法を案じているようです。
「んー、この大きさじゃ横に括り付けるしかなさそうだな」
彼は指先から銀の鎖を這わせると、トランクケースを車体の側部へ手際よく括り付けていきます。
作業の途中、彼はおもむろに手を止めました。
手元に視線を留めたまま、私に問いかけます。
「勝手に連れてこられて、今度は突然放り出されて。
無責任だって思うか?」
「いいえ。ウィンクルレイン。
私に責任の所在を判断する事は出来ません」
「……そうか」
「私の存在は、あの方にとって迷惑だったのでしょうか」
「いいや、そんなことは絶対にない」
ウィンクルレインはこちらに振り向き、ほんの僅かに語気を強めて私の言葉を否定しました。
「カナリアをここに連れて来たのは、エバンスおじさんの意思だ。
きっとやろうと思えば、そのまま売り払って大金を手にすることだって出来た。
けど、彼はそうはしなかったんだ。
あの人の『外の世界を見て欲しい』って言葉だって、嘘なんかじゃない。
……どうして、そう思ったんだ?」
「彼は時折、私を視界に入れると酷く辛そうな表情を浮かべる時がありました。
それは恐らく、私の存在が──」
「──カナリア」
ウィンクルレインが私の言葉を遮りました。
「違うんだ。
ただ、あの人はさ。
……過去に、奥さんと娘さんを亡くしてるんだよ」
彼は記憶を探るようにして、僅かな間を置きました。
「……当時娘さんは、カナリアの見た目と同じくらいの年齢だったかな。
きっとその姿を、無意識にカナリアと重ねてしまったんだろうな。
それでしばらく一緒に過ごすうちに、その思い出が胸を刺すようになったんだと思う」
「私にはよくわかりません。ウィンクルレイン。
思い出というものは、人間にとって良いものではないのですか?」
「……心ってのは厄介なもんでさ。
結構複雑なんだよ。
過去の記憶が時に自分を傷つけることもあるし、その逆だってある。
おじさんにとって、カナリアはその両方だったんじゃないかな」
「両方」
「そう、両方。
難しいよな?」
彼は止めていた作業を再開し、言葉を続けます。
「……別に、いくらだって寄り添うことは出来る。
けど結局、最後は自分自身で向き合わなければいけないことだってあるんだ。
たとえそれが辛いものだったとしても、これはあの人の、あの人だけの大事な記憶だからな」
彼はそう言い、手早く作業を終えるとバイクに跨りました。
「カナリア、ちょっとこっちへ。
……よっと」
彼は私の脇を両手で抱え上げ、バイクの後部座席へ座らせました。
「ま、こんな世の中じゃありふれた話ではあるけどな。
難しい話はこれくらいにして、そろそろ家に帰るぞ。
おじさんにはまた好きな時に会いに来れるし、明日は街を案内するよ」
ウィンクルレインがバイクのハンドルを握り込みました。
シートから伝わるエンジンの震えを合図に、車輪が廻り出します。
◆◇◆◇◆◇
緩やかに遠ざかっていく私の鳥籠を、彼の背中の後ろで見つめていました。
『……心ってのは厄介なもんでさ。
結構複雑なんだよ』
私は、僅かに煤けた空気の混ざる夜風を身に受けながら、彼の言葉を反芻します。
ドールには、人間のような心や感情というものは存在しないそうです。
以前、そのようなことをエバンスが話していました。
それでも私は『カナリア・ステラ』という名前を貰った時、この血の通わない冷たい心臓に、確かな熱が灯った事を記録しています。
それはこの髪飾りを頂いた時も、エバンスが私の頭を撫でた時も同様でした。
しかし私には、どうしてエバンスがあのような表情を浮かべていたのか、それがどのような意味を成すのかも、未だ理解する事が出来ないようです。
──きっと、これもまた、私の欠陥の一つなのでしょう。
Verse 4.End




