Verse 3: 銀糸雀
Verse 3: 銀糸雀
Phase/ウィンクルレイン・メルクリオ
「──名前?
なんだよ、藪から棒に。
何かよっぽどいい名前でも思いついたのか?」
確かに、『君』だなんて気取った呼び方をするのもなんだか気が引けていたところだ。
それに小難しい話をしていたもんだから、小休止には丁度いいかもしれない。
……けど、名前、か。
「いやいや、わたしではなくて。
ウィル、お前さんが名付け親になるんだよ」
エバンスおじさんは人差し指を俺に向けて、さも当然だとでも言うような表情を浮かべている。
「は、俺が?
いや、待ってくれよ。
なんで俺がそんな大事なこと……」
俺は慌てて反論する。
「おじさんが付けてあげればいいじゃないか。
大体、この子を連れてきたのはアンタだろ?」
「……正直に言えばな、初めは、ただのインテリアにでもなればいいかとも思っていたんだ。
けどな、この娘はウィルと出会ってから随分と話をするようになっただろう?
お前さんが根気よく話しかけ続けたおかげで、わたしとも少しずつ口を聞いてくれるようになった。
お前さんは知らんかもしれないが、今では他の客とも多少言葉を交わすようにもなったんだよ」
エバンスおじさんはそこで一度言葉を切り、コーヒーを一口啜った。
機械仕掛けの少女は、黙って俺達の会話を聞いている。
俺がこの子に名前を付ける事と、その話がどう繋がるんだ。
そんな言葉が口から出る前に、おじさんが先に口を開いた。
「まあ、まだ会話と呼べるほどのもんじゃあないかもしれないが、それでもちょっと前に比べたら随分な進歩だ。
だから、この娘を変えた張本人が名前を付けてやるべきだよ。
それにウィル、お前さんが最初に言ったんだぞ」
「俺が? 何を」
エバンスおじさんはもう一度俺を指さした。
「『君の名前を教えてくれないか』、ってな」
おじさんは少女へ顔を向ける。
「……なあ、お前さんもそう思わないか?」
「私の識別番号はPATMD──」
「──いやいや、そうじゃない。
そりゃただの識別子だ。
記号でしかない」
エバンスおじさんは大げさに首を振り、少女の言葉を遮った。
そして、言葉を探すように店の天井を上目で見上げる。
「……そうさなぁ。
名前というのは謂わば、自己を特定するための道標のようなものだよ。
名付けた者の想いだったり、お前さん自身の未来への願いだったりな」
エバンスおじさんは少女の方へ顔を向け直した。
「……お前さんは、これから何がしたくて、何に成りたい?
いやまあ、別に答えや理由なんてもんはなんだっていいんだ。
そんなもんは後からだっていくらでも付け足せる。
大切なのは、それがお前さん自身を形どる魂の鋳型になるってことなんだよ」
……この人は時々こうして、詩人のような物言いをすることがある。
けれど、そんなおじさんの言葉には妙な説得力が含まれていて、俺はそれが嫌いではなかった。
彼女も無機質な表情の裏で何かを逡巡しているみたいだ。
すると突然、話の矛先がこちらへ向いた。
「中には『自分の名前が嫌いだ』、なんて宣う馬鹿者も居るけどね。
……なあ、ウィンクルレイン?」
「おい、くそ、勘弁してくれよ、エバンスおじさん……」
油断するとすぐこれだ。
付き合いが長いとこういう弊害もある。
心の中で、はぁ、と短いため息を吐く。
──だって、『ウィンクルレイン』だなんて女の子のような響きじゃないか。
おじさんの言う通り、俺は自分の名前があまり好きではない。
ガキの頃、周りから馬鹿にされたこともあったっけ。
……多分、別にそれらしい大層な理由なんてものはなくて、ただなんとなく好きになれなかったっていうだけの話だったと思う。
けれど、いつしかそれは、歳月を重ねるごとに立派なコンプレックスに変わっていった。
俺の両親はどういう想いでこの名前を付けたんだろうか。
今となってはそれを知るすべは無いけれど。
「はっはっは。
まあ、そういうことだ。
お前さん達もそのうちわかるんじゃないかな。
どうだいウィル、考えてみなさいよ」
一体何を言っているんだこの人は。
おじさんの弁舌に飲まれて危うく納得しかけたけど、よくよく考えてみれば、だからって別に俺が名付け親になるっていう理屈にはなっていないじゃないか。
大体、自分の名前すら好きになれないような奴が、他人に名前をつけるだって?
俺は、そんなことをして良いような立派な人間なんかじゃない。
「だからさ、ちょっと待ってくれよ。
おじさんだって今言ってたろ、俺は自分の名前が──」
「──あなたの名前は素敵です」
珍しく、少女が俺の言葉を遮った。
「理由はわかりません。ウィンクルレイン。
適切な表現が見当たりませんが、言葉にした際に、私の疑似ニューロン回路には跳ねるような情景が想起されます」
あまりにも率直に言うものだから、驚いて自分の発しかけた言葉の行き場所を無くしてしまった。
きっとこの時の俺は目を丸くして、鳩が豆鉄砲を食らった時のような顔をしていたことだろう。
鳩なんてこの辺りじゃ見かけたことはないけれど。
「おいおいおい、聞いたかい? ウィル。
『素敵』、ときたもんだ!
知ってるか?
ドールは嘘を吐かないんだとさ!
あっはっはっは」
耳朶の先が熱を帯び、ドクドクと血液が脈打つのを感じた。
おそらく彼女からしてみれば、ただ純粋に名前の響きを気に入ってくれて、それを彼女なりの言い方で伝えてくれた、というだけの話なんだろう。
けれど、その純粋さが却って虚飾なく俺の劣等感を肯定してくれた気がして、不覚にも心に響いてしまった。
俺は今まで自分でも気付かなかった自らの単純さに少し呆れつつ、頭を掻いた。
こちらの気を知ってか知らずか、向かいでは意地の悪い中年が膝を叩きながら心底楽しそうに笑っている。
……涙まで流してるじゃないか。
一体どこのどいつだ?
この性悪親父を『人好きのしそう』だなんて評した奴は。
今すぐ連れてきて問い詰めてやりたい。
「こりゃあ断れないな?
ウィンクルレイン」
「……ああ、もう、わかった。
……わかったから、少し時間をくれよ」
◆◇◆◇◆◇
しばらく悩んでいたが、考えれば考える程に思考は深みに嵌り、しまいには天井を仰ぐ。
ただでさえ閑古鳥の鳴くこの店が、更に静寂に包まれていた。
それなのに、部屋の片隅に置かれた古時計から聴こえるかちこちという音が、やけに大げさに感じられる。
コーヒーのカップを二度空にしたところで、少女がいつものように歌を口ずさみ始めた。
Tweedle, tweedle, day by day
(ぴいぴい、ちいちい、来る日も来る日も)
Songbirds sing when the sun’s away
(お陽さまが姿を隠しても小鳥はさえずる)
Tweedle, tweedle, day by day
(ぴいぴい、ちいちい、来る日も来る日も)
Twigs all wiggle, waggle, sway
(風に吹かれて小枝がゆらゆら、ぐらぐら)
Sing it, sing it, day by day
(歌って、歌って、来る日も来る日も)
Sing for someone anyway
(とにかく誰かのために歌って)
Sing it, sing it, day by day
(歌って、歌って、来る日も来る日も)
Who is this song for, anyway...?
(……そもそも、誰のために歌ってるんだっけ)
Almost time to go to sleep
(もうすぐおやすみの時間)
When eyes close... inside a dream...
(まぶたを下ろせば、夢の中)
Twiddle, twiddle, round and round
(くるくる、くるくる、ぐるりんと)
Little gears go click-clack round
(小さな歯車カチコチ廻る)
Twiddle, twiddle, round and round
(くるくる、くるくる、ぐるりんと)
Little dollies dance around
(小さなお人形たちが踊りだす)
Twinkle, twinkle, round and round
(きらきら、きらきら、くるりんと)
A sea of stars lies all around
(見渡すかぎりの星の海)
Twinkle, twinkle, round and round
(きらきら、きらきら、くるりんと)
Till the morning comes around
(お陽さまが顔を出すまで)
Almost time to greet the dawn
(もうすぐ起きる時間)
Wake up and leave the dream...
(目を覚まして、夢から抜け出さなくちゃ)
ぐるぐると逡巡する思考を余所に、いつのまにか瞼を閉じて彼女の歌声に聴き入ってしまっていた。
彼女の歌を聴いていると、心地よさと同時に、なぜだかどうしようもなく胸の奥を揺さぶるような感情が込み上げてくる。
……おいおい、なにを聴き入っているんだ。
今はそれよりも、出来る限り良い名前を考えないといけない。
俺の名前を素敵だと言ってくれた、この少女の為に。
そう自戒しつつも、無意識に少女の方へ視線が向いてしまった。
窓硝子の向こうを見つめながら歌う少女。
その視線の先に広がる、人工の星の海。
……そして、彼女の肩で羽根を休める銀の小鳥。
不意に、幼少期に読んだ図鑑に載っていた小鳥の姿が脳裏を過った。
……ああ、そうだ。
在るじゃないか。
彼女に似合う、素敵な名前が──
「──カナリア」
少女の歌声が止まった。
「カナリア・ステラ。
カナリアっていうのは、綺麗な声で歌うみたいに囀る鳥なんだそうだ。
ステラは、星とか、星の光を意味する言葉だ。
……どうだろう?」
少女はしばらく動きを止めた後、勢い良くこくこくと首を振った。
どうやら、少女はこの名前を気に入ってくれたらしい。
何度も縦に首を振る姿はいつか見た鳥の動きにそっくりで、なんだかとても可笑しく思えた。
もしかすると、両親が俺に名前を付けた時もこんな気持ちだったのかもしれない。
「はは、そうか、良かった。
それじゃあ、これからは『カナリア』って呼ばせてもらうからな」
「──カナリア。
……カナリア・ステラ。
カナリア、カナリア──……」
彼女はその名の感触を確かめるかのように、何度も繰り返し呟いた。
それはまるで、本当の小鳥の囀りのような軽やかな響きだった。
「ほう、カナリアか。
うん……良いじゃないか。
だが金糸雀というよりは、どちらかといえば銀糸雀だな。
わはは」
「わはは、じゃないだろ。
全く……」
「いやいや、やはりお前さんに任せて良かったよ。
そうやってお前さんが悩んで名付けた事に意味があるんだ。
いや、意味が生まれるのはこれからかな」
そう言っておじさんは冷めたコーヒーカップに目を落とし、静かに笑った。
彼の目元には、どこか安堵と寂しさが同居したような色が見える。
「……これでこの娘も、ここからは『誰か』として歩き出せるんじゃあないかな」
「……おじさん?
なあ、本当にどうしたんだよ。
なんだかさっきから、少し様子がおかしくないか。
また変なこと言い出すんじゃないだろうな」
しばらくの間、エバンスおじさんは何かを逡巡するかのようにカップを見つめていた。
やがて顔を上げ、真剣な表情で俺を見据えた。
「……ウィル。
もう一つ、わたしの願いを聞いてくれんか。
少し前から考えてはいたんだ」
「うん?」
「──お前さんに、カナリアのことを頼みたいんだよ」
Verse 3.End




