捌 夭桃
短いです。
本日もよろしくお願いします。
水面は、紺碧のように深い青をしている。
夜になればきっと、水平線の近くで、兎波が走るだろう。
そんな情緒溢れる思いを掻き消すほど、小舟が動くときの掛け声は五月蝿く、隣にいる蒼葉の様子は酷いもの。
「お姉ちゃん、気持ち悪い…… 」
蒼葉は横になったものの、船酔いもそろそろ限界だった。
小舟が岸まで着くのが早いか、蒼葉が吐くのが早いか。
乗っているときに吐かなくとも、十中八九着けば吐くので、どちらに転んでも吐くのは変わらない。
日本一の港である大坂生まれだと言うのに、恥ずかしい。
「もう少し早くできないか?」
「これ以上は流石に…… 他のお客もいらっしゃるんでぇ… すいませんねぇ」
「いやいや、ありがとう。急いでくれるだけでもありがたい」
船頭さんは済まなそうに頭を下げ、また漕ぎ始める。
「もう、少し、の、辛抱。頑張、って、蒼葉」
「うん…… 」
岸が近づく。小舟は、ついに止まった。
「ほら、立って」
蒼葉は最後まで吐かなかった。
ぐったりしているが、それでも立派だと琴葉は思い、蒼葉を撫でた。せめて自分だけは、蒼葉を甘やかさなくては。
「またご利用くだせぇ!」
船頭さんが手を振った。蒼葉は、ふにゃりとした笑顔で振り返した。
もう少し遅かったら舟を汚してしまうところだったのに、笑って送り出してくれた船頭さんに、三人は感謝した。
「どうする? 今日は赤坂まで走ろうと思っていたけど、この様子だと明日も晴れそうだ。休んでも構わないよ」
近くの厠を借りて一段落した後、三人は宮の掛け茶屋の中に避難していた。
「ううん。行く!お茶飲んだら元気出てきたし……」
痩せ我慢だと誰もが分かるが、早く行かなければならない以上、止まれない。
徒世は溜息を吐き、諦めて蒼葉をおぶった。
「もう一回言うけど、今日は飛ばすよ。着いてこられる?」
「…… 多分」
宿場町と宿場町の間を移動する飛脚は、長距離移動をしない。継飛脚の方が、若干町飛脚より長いが。
というか、どんな職業をしていても、庶民は関所を越えること自体稀だ。
「分かった。途中で休憩するから、耐えてね。じゃ、行くよ!」
― ― ―
柔らかい笑顔。生きている笑顔だった。とても、任務遂行中だとは思えない。
「じゃ、行くよ!」
惨めな気持ちになる。自分自身が嫌になってくる。
真っすぐに生きて、結婚して、子供を産んで、幸せになるはずだった。
徒世は。
その未来を奪ったのは、あのとき、あの化け物の求めに頷いた、自分だった。
「錦、処刑しろ。黄落はもう要らない」
手元にある葉から流れ出す、心掴む声。
「っ、そんな、狂利さ」
「次はお前になるぞ?江戸から無断で抜け出してきたのだ、罰は必要だ」
「…… 」
「何、簡単な話だ。いつも通り、言霊降霊の力を使って、願え。黄落も葉怪に殺されるなら本望だろうよ。黄落はあの娘たちを守ろうとする。姉の方だけ残ってくれれば丁度良い」
どう足掻いても、自分は堕とす側なのだと、葉月は悟るしかなかった。
誰かにとっての結末が迫ってきている。
― ― ―
あっという間に、赤坂に着いてしまった。
まだ日は暮れていない。
琴葉は息を整えながら、水分補給をする。
「すれ違う人にじろじろ見られてたね」
「ん?」
「お姉ちゃんは走ってるから分かんないと思うけど、めっちゃ見られてたよ」
確かに、大荷物、大急ぎで走る三人は、何かから逃げていたように見えるだろう。
「そういえば、徒世さんはどこに住んでるの?」
蒼葉が、子供ながらの明け透けとした物言いで聞いた。
琴葉はひやりとして徒世を見るが、徒世の表情は変わらなかった。荷解きの手が緩むことも無い。
「江戸と大坂に借り住まいを得ているよ。……そうだ。いつかは、琴ちゃんも大坂と江戸を行き来するようになるだろう? そうなりゃ、住む場所が必要だね。長屋を紹介しようか」
「…… ありがと、う」
江戸へ着いた後を、余り考えないようにしてきた二人だが、そろそろ潮時だった。
「日本橋近くの、緑青長屋という場所だ。そこの大家の跡取り娘の、姉の方。葉月に、私の名前を出せば良い。きっと、二人の力になってくれる」
― ― ―
嗚呼、今、自分は、なんてことをしているのだろう。
「言万守姫様、御力、を、どう、か、我が、身、に」
友を殺そうとしている。
そのために神に祈っている。
大丈夫だ、徒世は死なない、死ぬわけがない、こんなところで。
嘲笑。
自らの何かが、葉に吸い取られていく。
「わ、たし、が、い、るの、に…… 」
醜い。醜い醜い。
富士樹海の元で祈る。
呪いをかける。
周囲の木が、土が、石が、全て彩を亡くしていく。
何故自分はこんなことをしているのか。誰かの役に立ちたかったのに。
子供の頃は、こんなことになるなんて、思ってなかった。
―― ただ、認められたかった。
葉月は、そうだった。
この力は、自分のものですらないというのに。
誤字脱字報告ありがとうございます。
否定的なコメントはやめてくださると幸いです。
一巻の原稿、五分の一達成です! 引き続き、少女たちの旅をお楽しみください。




