玖 玉響
シリアスのタグが輝いて見えます。
本日もよろしくお願いします。
五日経った。
富士が近い。綺麗だ。
今は、吉原から原への道中。
後もう少しで江戸に着ける。
そう思うと、軽くなるような、暗くなるような、よく分からない心地に琴葉はなった。
「ここらで、狩りをしよう。ちょっと、手持ちが少なくなってきたからね。往復するんだろう? 幕府から金を貰えるとは、思わない方が良い。所詮、お上の人だ」
左手には富士の樹海が広がっていて、右手には浜辺。良い景色だと月並みに思う。
琴葉はこの旅で、徒世から多くの知識や経験を得ていた。
跳躍だって、葉捕り網捌きだって、刀の葉怪と会ったときとは比べ物にならない。
それは確かに、自身の体質による物、贈り物の所為もあるかもしれないが、徒世の存在がありがたいことに変わりは無かった。
……過信していたんだろうな。嗚呼、きっと。
「さあ、準備は良いね?」
森へ一歩踏み込むと、まるで空気がないような圧迫感、出口が塞がってしまっているかのよ
うな焦燥感を、三人は感じた。
葉怪がいる。
「じゃあ蒼ちゃんはそこの茂み、に…… っ!」
――やはり、災厄というのは地震のように突然で、気配なんて無い。
途端、風巻のように、三人の元へ大きな影が迫ってきた。
「離級!逃げろ!」
その影は、くちなわのようにしなやかだった。
上を見上げれば。
竜が、姿を現している。
琴葉の生存本能が警鐘を鳴らした。
勝てない、蒼葉を連れて逃げろ、と。
さっき徒世に言われたことが、繰り返し頭の中で叫ばれる。
逃げろ。
逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。
「逃げるんだ!」
琴葉は知っている。
蒼葉を守るには、ここで逃げるのが一番良い選択だということも、自分の半端な実力じゃ、足手纏いになるだけだということも。
それでも、逃げたくなかった。
あのとき命を救ってくれた徒世を、見捨てるような扱いはできなかった。
それはもちろん、妹も同じ。
蒼葉も逃げなかった。
必死に、自分が役立つ場所を探していた。
―― 大丈夫。猫の手よりは、役に立てるはず。私たちでも。
「これ」
凸と凹との戦いから、ずっと貰いっぱなしだった盾の葉怪を、琴葉は帯から抜いて蒼葉に手渡した。
竜の咆哮が、三人を、地面を、森を、大きく揺るがす。
銀灰色の腹に、木賊色の鱗、黄金色の毛並み。
その姿は、屏風に描かれた竜のように、否、竜そのもののように感じられた。
驚くことができたのは、刹那に過ぎなかった。
竜は上空へ一度昇って、それから勢いよく錐揉みして地面へ向かっていく。
琴葉と徒世は、すかさず核を探した。しかし、見つからない。
「…… っ、仕方ない、戦おう!竜の背に乗ろう!」
竜は口を大きく開けながら、こちらへ向かって近づいてくる。
攻撃対象は、琴葉。
竜の口の中は、地獄の色だった。琴葉は、その地獄に紛れ込んだ緑を捉えた。
影が琴葉に届く寸前、視界が黒く〝視えて〟すかさず大きく上へ跳んだ。
しかし。
竜は攻撃だけでなく、反応速度も速かった。
上へ跳んだ琴葉にすぐさま反応し、徐々に方向を変えてきたのだ。
だが、琴葉には秘策があった。
「薙刀!」
下方向へ伸びた刀身。
竜も、これには急な方向転換はできず、できたのは顔を少し逸らせたぐらい。
刀身は竜の横顔に深々と刺さり、痛みで竜は暴れ始める。
「くぅっ!」
絶対に離さないように、琴葉は両手で柄を握りしめた。
刀身がしなるせいで、軽芸師でもできないぐらい、宙を舞いながら左右に跳ね続ける。
怒り狂う竜。
天が見えて、地面が見えて、天が見えて、地面が見えて。
気が狂いそうな景色。
そろそろ、手が柄から離れてしまう。遠心力に耐え切れない。
右に行った瞬間に跳んで、近くの木に着地すれば、生き延びられるだろうかと琴葉は思考した。
しかし、刀を失う。
そうやって琴葉が逡巡しているうちに、竜は暴れながらも体勢を立て直し、再び空へ昇っていく。
「どこ、ま、で…… ?」
すでに富士山の中腹辺りの高さ。空気も薄くなってきた。
体が浮く感覚が、あのときと重なって、重なるたびに心の中が痛む。
「なっ!」
竜が急にぐわんと回転し、地面へ急降下を始めた。その狙いは、蒼葉だった。
「かた、なっ!」
琴葉は、考える隙もなく、次の瞬間には叫んでいた。
薙刀から、いつもの短剣への変化が始まる。
刀身が竜から離れて、その場所から血が噴き出す。
だが竜は、落ちる速度を緩めない。
琴葉の体も急降下するが、竜を追い越せそうも無い。
そもそも、着地ができるかどうかも怪しい。
「盾!」
蒼葉の声が琴葉に聞こえ、下の方に、半透明、半球状の膜が見えた。
そうだ、蒼葉は大丈夫。
だが、自分は。
「琴ちゃん!今行く!」
「徒世…… 」
盾の中にいた徒世が、隙を見て外に飛び出した。
「飛」
徒世が大きくこちらへ跳ぶと、信じられないぐらいの速さで、瞬く間に横並びになった。
しかも、そのまま滞空している。これが、飛の葉怪の力。
「手を!」
あっちは滞空、こっちは降下。
伸ばした手は、一度近づいたと思えば、どんどん遠くなる。
地面まで、後、もう少し。
必死に、必死に、手を伸ばして。
巾着袋が揺れる。
――私が死んだら、皆はどうなる?
「掴まえた!」
徒世の手と琴葉の手はようやく重なり、琴葉は徒世にぶら下がる形で、滑空しながら着地した。
「くそ、もう使えないのか」
一回ぽっきりだったようで、着地と同時に、飛の葉怪は役目を終えた。
見えない炎で、見えない翼は焼け落ちた。
「困った、どこに避難しよう。盾の葉怪の中はもう入れないし…… 」
盾の葉怪は、展開時に周囲にした人しか守れない。
出ることはできても、もう一回入ることはできない。
二人が見ていない間に、竜は蒼葉を諦め、また勢いを持とうと、上空に昇っていく。
「琴ちゃん、核はあったか?」
「口の、中、喉仏、に」
そう、刀を薙刀に変化させる直前。
琴葉は確かに、喉仏に張り付けられた核を見ていた。
徒世の横顔が見える。不安げに佇む蒼葉が見える。
「…… そうか。それは不味い…… 口が開いた瞬間に、火の葉怪を投げ入れよう」
ああ、この人とだったら、何でもできる気がする。
そう琴葉はぼんやりと思った。
戦いを、富士が見下ろしている。
「分、かった」
琴葉は徒世に手を差し伸べた。しかし、徒世は首を振った。
もう逃げないって決めた、のに。
こんなの……三の舞、なんだ。
お願い、どうか、「駄目だ」
有無を言わさぬ口調。彼女は、もう時間が無いからと諭して、懐から一枚の葉を取り出した。
そこには、火と書かれていた。
……どこかで解っていたのに。
なんで期待なんてしてしまったのだろうか。
「囮なんて、年配者がすることだよ。それに、琴ちゃんには妹がいる。帰らなきゃ」
徒世は、そのとき、確かに笑っていた。
微笑んで、琴葉の頭をくしゃりと撫でた。
――何で、何で何で何で何で何で何で何で。
「葉月。覚えていて。私が幸せだったこと。この目に焼き付けておくんだ―― 使命があるんだろう。それからは、逃げちゃ駄目だよ。これが私の使命だった。逃げずに立ち向かうさ」
琴葉は、何度も何度も徒世の方へ手を伸ばした。
だが、無情にも、竜は徒世へ、近づいてきていた。
徒世は優しく、でも勢いよく琴葉を突き飛ばした。
琴葉は盾の葉怪の膜に当たって、そのまま立つこともできずに崩れ落ちる。疲労を持て余した体は、目と鼻の先の幸せさえ、守ることができない。
徒世は踊るように跳んだ。
自分から、竜の口の中に入っていく。
燃える。燃える燃える燃える。
着物の端が吸い込まれていく。
嗚呼、なんて、美しいのだろう。
なんて、残酷なのだろう。
「竜!」
これで、四人目。
程なくして、竜は雄叫びをあげて、消えた。
残るのは、粘着質な音を立てて落ちた、無惨な死体と争いの跡。
琴葉はまるで、自らが死んだように座り込んだ。
戦いの熱は、もう冷めていた。
「どうして…… 」
後ろから、か細い声がした。
しまった、と琴葉は思った。
蒼葉には、こんなの、見せたくなかった。
それなのに、もう体が動かない。
操り人形の糸が切れたかのようだった。
そう、本当に、何にも動かなかった。
体も、感情も。自分を構成する全てが抜け落ちたかのような。
――あの子が死んだときとはまた違って。あまりに痛みに慣れすぎていて。
「ああああああああああああああああああああ!」
――きっと。これが、虚しさだ。
叫び声は、琴葉の背後からだった。
そうだ、そうだった。
平和なんて、論理上の存在。
妄想や空想の中でしか、実現しないもの。
そんなこと、もう七年前に知っていたはずなのに。
―― 私はいつだって、何一つ守れない。
― ― ―
「葉月。徒世。こっちにおいで」
死と言われれば、父の晩年の姿を、葉月は思い出す。
子供ながらに、死に際の父を別人だと感じて、怖くなったのを覚えている。
流行り病に倒れていた。回復の道は無かった。
「幸せは…… 変化する。さながら葉怪のように…… 形を変えて彷徨うもの…… 一つに囚われず、沢山の形で存在するもの。幸せの居場所は、いつだって、使命の先にある…… それを、
覚えておきなさい」
自分の使命とは何か――
「私みたいな親のいない子の、居場所を作ること、かな」
ある日、徒世は言った。
「使命…… 徒世は、何でそう考えたの?」
「そうだな。やっぱり…… 葉月が、私の居場所を作ってくれたからだよ。人から受けた恩は、返さなきゃ」
返さなくて良い、と言う言葉を、何度飲み込んだだろう。
徒世は、最初からずっと、自分のために行動していた。
その恩の倍の倍の倍、こちらはもうすでに貰っているというのに。
「葉月の使命は何?」
「私は…… 色んな所に行ってみたい」
「はは、何それ、願望だよ、それは」
―― 君となら、どこまでも行ける気がしていた。
「錦、任務完了だ。よくやった」
ここは地獄なんだと思った。
わくらば舞えば現世は。
燎原の火、埋め尽くし。
笹鳴聞こえ、始まりを継ぐ。
払暁の時、月歩して。
その姿、射干玉のように。
暗香漂う夜の中。
奇石の輝き見落として。
常初花も、踏めば無残。
二人を導く夭桃も。
――今や玉響に消えた。
二人の旅路は終わらない。
誤字脱字報告ありがとうございます。
否定的なコメントはやめてくださると幸いです。




