伍 奇石
本日もよろしくお願いします。
昨日の投稿ですが、間違えて朝の七時半に投稿されていました。すみません。午後七時半投稿が正しいです。
「そうそう。筋が良いね」
「お姉ちゃん、頑張って!」
蒼葉の応援を背中に受けながら、琴葉は、あの森で徒世に刀の作法を教えてもらっていた。
まだ神無月の半ばだが、黄と赤と茶で足元は色とりどり。
その中、琴葉は一心不乱で刀を振り網を左手に持つため、刀は右手だけで振るう必要がある。右手は、刀の重さに耐え切れるだろうか。
一閃、それから切り上げて、振りかぶり、切り下ろす。繰り返す。
「終了!」
切り下ろした後の動作のまま、体が止まる。
琴葉は知らぬ間に上がっていた息を落ち着かせ、葉と唱えて帯に挿す。
右手が重い。鉛のようだ。
「凄まじい剣鬼ぶりだ。素振りは終わり。今度は爪先立ちをして」
琴葉は竹の水筒で水分補給してから、徒世の言う通り爪先立ちをした。
「そのまま一刻、この辺を走ろうか。蒼ちゃんも一緒に行こう」
「え!私も?」
まだまだ温まってきたばかりの琴葉と違って、蒼葉は修行続行に反対だった。
「うーん。一人で置いておきたくないんだよ…… ほら、葉怪がこの辺りにもいるかもしれないよ?」
「やっぱり一緒に行く!」
蒼葉は、手のひら返しして琴葉に抱きついた。
爪先立ちをしているので、琴葉は少しよろめいた。
「じゃ、再開しよう」
琴葉は背後を振り返った。そこには誰もいなかった。視線はあるというのに。
― ― ―
「君は、今日から錦だ。よろしく頼むよ、錦」
名前を塗り替えされたとき、自分は喜びに酔いしれていた。あのときが恐ろしい。
どこで、間違えたのか。災厄の扉を開いてしまった。
あの優しい笑みも、在ると言ってくれた使命も、全部全部、闇でしかなかった。穢れでしかなかった。
だから。だからだから。
今更と言われようと、もう後戻りできないと言われようと、唯一の友を、救わなければ。
― ― 一
時間ほど、爪先立ちして歩く。それだけで、足は棒になった。
「よし、一旦終わり」
水を飲み、琴葉はゆっくりと踵を地面に着けた。
「お姉ちゃん、もう帰る?」
「いいや、後もうちょっとだけ、続けさせてもらう。それでいいね、琴ちゃん?」
「もち、ろん」
蒼葉はがっくりと肩を落とし、その場に座り込む。
しかし、こちらは仕事に関わる事柄。引くわけには行かなかった。
ただ、琴葉の姉の部分は、ちょっと罪悪感を覚えた。
「そこの木に登って」
汗を拭って、徒世が指差した木によじ登る。軽々とした動きだった。
軽々と、した。
上から下を、見下ろしたとき。
鳥肌が立った。
呼吸が薄くなった気がした。
全部無視して、思い出さないようにして、琴葉はただ空を見上げた。
「そこから、思いっきり前へ跳んでみな。核は、たいてい葉怪の後ろにある。飛び越えて背後を取ればいい」
琴葉は足に力を溜めて、さっきまでいた場所に跳ぶ。
落ちる感覚に、思わず目を瞑った。
着地すると、足が震えてしまい、すぐに動けなかった。
木から木へと飛び移るのと違って、飛び降りるのは勇気がいる行為だった。
しかも、硬い地面に落ちる衝撃で、骨に亀裂が入ってしまいそうに感じる。
じんじんと足に響く、鈍い痛み。
「ほら、切られた。目を瞑るな。そんなんじゃ勝てないよ!」
自分の無力感に打ちひしがれている暇はない。
本当なら今すぐにでも出発すべきなのに、その時間を削って相手してもらっているのだから。
琴葉は、今度は目を瞑るまいと、心に決めた。
― ― ―
「姉さん、大好き」
生きている間に、言えたら良かった。
― ― ―
疲れたと喚く蒼葉を引っ張りながら、琴葉たちは森を抜けて、あのうどん屋に今日もお邪魔した。
昼飯だ。
琴葉たちが泊まっているのは、木賃宿という最下級の宿。湯も飯も無いため、こうやって外食するしかない。
「いらっしゃい!こんなうどん屋に連日来てくれるなんてありがたいねえ。しかも、子連れで」
「そう言われると嬉しいが、明日出発するんだ」
徒世が会話しているうちに、琴葉は銭緡からうどん三杯分の料金を取り出し、女将さんに渡す。
女将さんは徒世の金だと思ったのか、すんなりと受け取る。
徒世は唖然として琴葉を見た。
「奥の席へどうぞ!」
店内は、自分たち以外に誰一人客がおらず、次の注文は当分入りそうに無かった。
徒世は、明日の早朝に出発する旨を、うどんを持ってきて暇な女将さんに教えていた。
「そうかい…… 水口を通るということは、将軍様のお膝元に行くんだろう?またここへ戻ってくるときは、ぜひこのうどん屋にも来ておくれよ」
女将さんは、不安を紛らわすように優しく笑む。
三人は女将さんに精一杯手を振りながら、宿へ向かっていった。
― ― ―
この旅で―― 絶対に、終わらせてみせる。
救ってみせる。
逃げ出してみせる。
― ― ―
夜が明けた。江戸へ出発する時刻となった。
「またいらっしゃい!」
ここは、江戸と大坂を行き来する商人たちや、お伊勢参りに行く江戸の町人が使う宿。
地震が起きたとしても、帰り際の挨拶は「またいらっしゃい」だ。
そういう理由があることは分かっていても、この旅が往復であることを思い知らされるようで、琴葉は気が重たくなる。
「今日は天気も良いし、結構走る。琴ちゃんは大丈夫だろうけど、蒼ちゃんは背中にお乗り」
「はーい!」
蒼葉は、徒世と会ってから笑顔をよく見せるようになった。
良いことだが、自分だけが過去を引きずっているようで、琴葉の心中は複雑だった。
「荷、物、私が、持ちます」
「ありがとう」
昨日の夕方の断捨離は進まなかった。徒世は「十分だよ、子供だもの」と言ったが、大人になったら要らなくなってしまうのだろうか。
父母の、形見は。
もしも、そうであれば。
琴葉はすぐにでも、大人になりたいと思う。
― ― ―
自分がいない未来を見つめる。
姉の隣を、のうのうと生きている、自分に似た存在を眺める。
―― 憎い。憎い。自分の居場所を奪いやがって。
そんな考えは、大分前に消えた。今はただ、胸が詰まる思いで見守る日々。
―― 生きてほしい。
全員が、全員の未来を生きていけますように。少女は、今に願いを込めた。
「… 葉」
「… 葉!」
「おっかさん、おっとさん…… 一緒に見ような」
この物語に救いを見出せるまで、少女は見守り続ける。
誤字脱字報告ありがとうございます。
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