参拾参 燦爛
本日もよろしくお願いします。
秋の、美しくて爽やかな風が、始まりの幕開けを彩る。
「ありがとうございました!」
「あり、がとう、ございま、した」
「良い別れになったようじゃの。僥倖じゃ……」
そのとき。言姫は、途端に顔を引きつらせて、上空を見た。
琴葉たちには何も見えなかったが、唯一零葉だけが、言姫と同じ場所に、視線を通していた。
「……取り逃がした」
「まさか!」
吉宗が、大きな声を上げる。
「転移させるのを忘れておったわ……狂利の、手先を」
その幼い風貌から発されているとは思わぬほど、自分自身に対する怒りに満ちた声だった。
「……済まぬ。何事も、童が不注意で不器用で不甲斐ないばかりに」
失意に陥る言姫に、蒼葉が声をかけた。
「言姫様、気にしないで。大丈夫。私たちが必ず、今の人も捕まえるもん」
蒼葉の不敵な笑みを、呆けたように見つめていた言姫。
「お主は、愛い子じゃのう」
そう一言だけ発して、るらりと笑った。
「童は何もできないのが、歯がゆくて仕方がない……他の【影】にも、琴葉たちを守るよう言いつけておく。励め」
言姫は、送迎に龍を出した。行先を言えば、連れて行ってもらえるらしい。そんな知能の高い龍は、流石と言うべきか、竜よりも二倍も大きい。
言姫が言うに【器】の大きさの違いだそうだ。
「……改めて、ありがとうございました!」
「うむ。何かあればまた呼び寄せる」
「はいっ!」
そして琴葉は、蒼葉と一緒に、人一倍のお辞儀をした。
「さようなら!」
金色の鬣に、緑の鱗の龍。どこか異国風な龍に乗り、六人は出発した。
瞬きするほど、言姫の姿は、遠くへ離れていった。
「お姉ちゃん、早速食べようよ」
「はい、はい」
琴葉は、言姫がお土産にと持たせてくれた食の葉怪を、帯から引き抜いた。
「具が色々入っとる。中々に旨いからのう、気に入るぞ?」
「こら、真似っこ、しない、の」
言姫の真似をして、蒼葉はきゃっきゃと笑った。
「食」
琴葉の目の前に、とても大きいおにぎりが現れた。大きさは、蒼葉の顔ほど。
「美味しそう!」
蒼葉が涎を啜った。琴葉はおにぎりを竹の皮ごと持ち上げて、蒼葉に差し出す。
「酸っぱ!」
「梅干しに当たってしまったのかもしれませんね」
蒼葉は顔を渋くさせて、無造作に種を吐き出した。
琴葉は、もう少しお行儀良くしなさいと言いたいのを抑えた。
隣に座る二人は、蒼葉の様子を面白く思っているようだ。わざわざ、雰囲気を壊すまでもないだろう。
「いただ、き、ます」
蒼葉が食べたのと反対側を食べる。
姉妹揃って梅干しを引いた。
― ― ―
「おはね!」
雨が止み、必死に琴葉たちを探している一行の元へ、命令を遂行したおはねが帰ってきた。
「ぴちぱーちく!」
「神様? 出発したって……どういうこと?」
「虎は? 虎はどうなったのか?」
常盤がおはねを問い詰めるが、おはねは小首を傾げるのみだった。
「わ、私がしたのは琴葉の場所へ案内しろという命令ですから……あまり複雑なことは覚えていないし、伝えようがないのだと」
「……念のため、調査を続けましょう。お前は家元に通達を。竜の使役者や徳川家の方を、易々死なせることは避けられたようですが、虎がまだ周囲にいるなら危険です」
着物はびしょびしょで重たかったが、この晴れ間が広がってく様を見れば、すぐ乾くだろうと確信できた。
「わ……私帰りますね」
「ええ。覚悟していて頂戴」
燈火は、冷え冷えとした笑顔を浮かべている。燐火の背筋に、冷や汗が伝う。
しかし、勝手な行動を罰されようが、友を守ったことに、悔いは無い。
曙光が照らす先に、幸せがあることを燐火は願った。
― ― ―
「こちらの龍も良いものだな」
「特にあまり変わりないように見えますが」
「婆は分かっていないな、こちらの方が……」
調子良く笑いながら、吉宗は外の景色を眺めている。
百合も、苦笑してはいるが楽しそうだ。
「お姉ちゃん、綺麗だね……」
銀嶺が横にずれていく。龍は竜よりも速い。昼には大坂に着けるだろう。
「そう、だ、ね」
急いで江戸へ向かった一昨日の富士より、今の富士の方が綺麗だ。厳しさと優しさが共存しているように思える。
「ねえねえ、葉月さん。着いたら、夜ご飯作るの手伝って」
こくりと、葉月は頷いた。
「本当、に……良い、ん、ですか?」
琴葉が恐る恐る聞くと、再度こくりと、葉月は頷いた。
葉月は、草葉の光にも影にも追われる身。
ならば、二人の母代わりになりたいと、本人が進んで提案したのが少し前のことだった。
ちなみに、零葉はさっと元の竹林に戻したのでいない。
「きっと大丈夫だよ。影だって、城に住めば手出しできやしないもの。元気出して葉月さん。私たち、葉月さんを拒まないよ。みんな……みんな、本当は罪なんて無い。いや、あるのかもしれないけどさ……少なくとも、罪の在る無しを決めるのは、言姫様みたいな神様だよ。この現世にはいやしない。葉月さんも、葉月さんの罪を認めちゃ駄目」
もはや挨拶するのにも二、三秒を要する葉月。
その壊れた【器】にも、しっかりと種が植えてある。今も、芽吹くのを待ち続けている種が。
「地震とか、洪水とか、天災って言われてるものは、誰かを怒ったり恨んだりできない。溜めて溜めて溜めて、いつか壊れちゃう。だから、私はここでけじめをつけるよ。これからは、彩葉にびっくりされるぐらい、素敵な人になれるよう頑張ります。そして、狂利って奴をお姉ちゃんが捕まえます! それを助けます!」
龍は、細波のように動いている。
きっと今頃、下の街じゃ、何度目かの大騒ぎをしているに違いない。
吉宗と百合は、年相応に笑う蒼葉を、嬉しそうに見ていた。
大坂へは、もう少し。
そして、本番はこれから。
自分たちは届けることが仕事だ。
しかし実際は、届けたものが役に立たなければ意味がない。
地震への復興を、進めなければいけない。
壊される前に戻ることはできない。できないからこそ、新しくて懐かしい普通を、一生懸命築く。それが、残された者の使命。
「琴葉、蒼葉」
吉宗が声を掛けた。
「今を楽しみなさい。当たり前のように、憎き者がいて、愛しき者がいるこの今を……いや、私から言うことなど、もうすでに解っているだろう……私は兄弟も親も、沢山のものを亡くしたよ。おかげで、四男だというのに家督を継ぐことになった――私は、自分の治める土地に住む民を知らない。知らないものは分からない。どのように救えばいいのかなんて、さっぱりだ。だから、これからは、お前たちが生きやすい土地を目指す。私はそう決めたよ」
吉宗は晴れやかに笑った。その笑みには、子供には出せない深みがあった。
一度、地獄を見てきたような。
「どうか、そのまま、生きていてくれ」
― ― ―
あの境内に、時を戻すとしよう。
「幸」
琴葉と蒼葉が、その場に倒れる。
当然、心配した皆へ、言姫が大丈夫だと言って聞かせた。
「夢を視ているだけじゃ。しばらくすれば、また戻って参るじゃろう」
そうして、幸の葉怪によって、琴葉と蒼葉が夢の彼方へ飛んだあのとき、言姫と吉宗たちは、しばらくの会談を行い始めたのだった。
昨日、琴葉と蒼葉へ話したことを、改めて四人にも話し、その上で少しの質疑応答を行っていた。
「お前は【一言主の影】じゃな。一言主様は、童に力を授けてくださった、偉大なる神じゃ。特に、何か預言されているわけではないようじゃが」
「ほお、一言主様でございますか。それは光栄なことです。して、お聞きしたいことがあるのですが」
「なんじゃ? 言ってみよ」
単刀直入に、吉宗は口を開いた。
「戦いの最中に降った雨……あれは……?」
「そ、それ、は、私の、物を、零葉が、勝手に、使った、だけ、で、ございまして……」
「ああ、そうだったのか。いやはや、葉怪とはどのような物でも凄まじい効果を持つのだな」
言姫は、扇を開いて口に当てた。じっと、二人を見ている。
蒼葉や琴葉、幼子たちに向ける瞳ではなく、妖艶とした神々しい眼差し。
「他にはあるかえ?」
「では、私から。今後、私たちは、どうするべきでしょう?」
百合からの質問に、言姫は一瞬だけ目を伏せ、すぐさま上を見上げて思考する。
「そうじゃのう……強いて言えば、琴葉たちを守ってほしい、それが一番の願いじゃ」
「守る……衣食住の提供などでしょうか?」
「うむ、それも嬉しい。現実的、世間的に、暮らしやすいようにしてあげてほしいのじゃ。影を、狂利を、捕まえるための手伝いもな」
吉宗と百合は頷き、頭を下げて了承の意を示した。
「……なにせ、事の始まりが七年も前じゃから、きっと時間が掛かるじゃろう。何か他に言いたいこ」
「七、ね、ん、前……?」
葉月が手を口に当て、眉を顰める。
「なんじゃ、何かあったか?」
葉月が思い出したのは、七年前のこと。
十三歳。今の琴葉よりも幼い、そんな、草葉の影に入りたての頃。
徒世と共に、江戸から遠く離れた場所で葉怪を狩っていた、あの日のこと。
たまたま、任務で伊勢神宮の近くに来ていた。せっかくだから参拝しに行こうと徒世が言い出し、何も考えずに付いていった。
人が多くて、自分は瞬く間に迷子になった。混乱して、無我夢中で人の少ない場所へ駆けた。そのときだった。
「自分、が、力を、手に入れた、のが、七、年前の、夏でした」
葉月はあのとき変わった。在り方が変わってしまった。一瞬にして。
「……彩葉が死んだのも、七年前の夏のことじゃの」
言姫は、魂消てそれ以上の言葉を失っていた。
偶然ではないだろう。必ず、何かの繋がりがある。
そう言姫が思いを巡らしていると、吉宗が手を挙げた。
「彩葉は【言霊降霊】の力を持つ者。その者が死んで、葉月に力が譲渡されたのでは?」
言姫は頷いた。それならば筋が通る。
葉月の元の【器】がとびきり大きいことは、言姫の、神の目からして明白であった。
琴葉ではなく葉月に【言霊降霊】が譲渡された。
このことは、彩葉の「姉を生かしたい」という思いに適っていると言える。
【言霊降霊】を使えば、琴葉の【器】は絶対に壊れるからだ。
「では【葉視】は……?」
百合が、食い入るように言姫を見つめた。それを受け、言姫は零葉の方を見る。
「零葉は……人の葉怪じゃろう?」
「は、い」
葉月もまた零葉を見た。横にいる、奇妙で、でも生きている自分の似姿は、表情も視線も、全く揺らさなかった。
「葉月に譲渡されたものの、葉月の体には合わなかった【葉視】が、その似姿である零葉に譲渡されていても不思議ではあるまい」
葉月はようやく、返さなければ、という本能に近い思いを理解した。
これは、彩葉のもの。琴葉の妹に返すべきもの。
であれば、蒼葉に返そうと心が動くのは道理なのだ。
その思いについて葉月が打ち明けると、妖しく、けれど寂しそうに、言姫は目を細めた。
「返したい、か……それはきっと、助けたいの間違いじゃよ」
持っていてくれと、言姫は嘆願する。
「蒼葉だけは、あのままで過ごして欲しい。童も、彩葉も、琴葉も、そう思っとるのじゃ」
― ― ―
「近づいてくる者には注意することだ。葉怪は、使役者が死ねばただの葉となってしまうのだろう?」
「は、い」
「竜や虎の力を、世間から抹消しようとする者も出てくる。注意するように」
琴葉の帯に刺さっている葉怪たちを、吉宗は指さした。
「ありがとうございます。気を付けます! ほら、お姉ちゃん」
蒼葉は姉の顔を覗いた。
態度ではなく行動で示せということらしい。
琴葉は、葉怪を少し深めに刺し直した。
辺りは富士の麓に差し掛かっている。
どこが竜と戦った場所なのだろう、徒世が眠っている場所なのだろうと、琴葉は目を凝らしながら森を見た。
あの開けた場所は見つからなかったが、十秒余り、手を揃えて空へ祈った。
「……徒世、と、私、は、草葉の、影、だっ、た、けれ、ど」
葉月が、富士を横目に、蒼葉の髪を櫛で解く。
「徒世は……余りに、も、優し過ぎた。琴葉を、草葉の、影の、仲間に、入れるよう、言われた、けど……けっきょ、く、遂行、しなかった……」
「……凄い人、綺麗な人だよね」
滝の近くにそびえたつ巌は、倒木の椅子と成ってしまっている。地震の影響は、未だ深く各地に根付いている。
「虎なんて、召喚すれ、ば、死ぬと、思っていた。零葉……人の葉、怪を、生み出、した、時点で、死を、予感、していた、から。竜で、生きていた、ことも、驚き、だったよ」
「そっか。零葉さんは、人の葉怪なんだ……」
「私が、江戸にいる、ふりを、して、もらうため、にね。結局、見つかって、しまった、けれ、ど、私は、無断で、徒世に……付いてきた、から」
零葉の存在は、まさに、葉怪というものの底知れなさを体現していた。
今ここにおらずとも、瞼の裏に姿が貼り付くような、忘れ難さがある。
「……逃げ、れな、かった。狂利が、一枚、上手、だった。負けた、な」
「負けてからが本番だよ、葉月さん」
影冴ゆる冬がやってくる。今年も、もう終わる。
「――ねえ、帰ったら造ろう? お墓」
「そうだ、ね」
葉月はただ頷いた。返答はしなかった。忘れられなくて良い。忘れない方が良い。前を向く。時々、振り返っては泣けるように。
六歳の少女に、墓について言わせるほど、現実を直視させるほど、相変わらず世界は残酷で美しい。
今を刻んでいる心の臓の音は、皆の目の前の景色を彩り続けている。
誤字脱字報告ありがとうございます。
否定的なコメントはやめてくださると幸いです。




