参拾壱 面前に三尺の光
本日もよろしくお願いします。
前編、後編という形で分けて投稿させてもらいます。
今回は前編です。
蒸し暑いのが嫌。目立つのが嫌。眩しいのが嫌。
夏は嫌。
「姉さん、木の上に登りたいんやけど」
不安になるのは、もっと嫌。
「……いいけど、何で?」
うちにとっての友達は、神様しかいなかった。
話すのやって、遊ぶのやって、神様がいれば事足りる。
「遠くを見たいから」
そやけど、神様と一緒におんのは、意味が必要。
友達に、友達でいる意味があるって、変かな。
きっと、変なんやて思う。
「……乗って」
それが楽しいとか嬉しいとかならともかく、利害で結んだ同盟みたいなもんやねんから。
「姉さん、無理やったら別にええから」
姉さんは姉さん。友達でも何でもあられん、姉。
「……喋ってると怪我するよ。体勢変えずにじっとしてて」
姉ってゆう存在、立場は、ほんまよう分かれへん。
意味もなく守る、意味もなく助ける、家族やからって言われても……
皆の目から視えへんもんで、うちは迷ったり怖がったりしてんのに。今頃言われてももう遅いねんで。
沈黙は、どっちのものか分からんかった。
「姉さん、そこの枝の方……」
そやけど、知ろうとしてまうんよ。
どうせ無駄になるんだろうと思いつつも。
「……姉さん、うちが何しとんのかって、興味ないの?」
この木に登ったことやって、偶々姉さんが木登り得意やったってことだけやない。
「だって、言わないから」
うちが、うち自身が、姉さんに頼りたかった。
「そやね。うちは絶対、尋ねられなきゃ言わない」
姉さんと一緒やないと、うちは独りやった。
「尋ねられたら言うの?」
余りにも、味方が少なって、世界の広さを知らんかった。
「場合による」
木の上は、涼しかったわ。南薫が吹いとった。
「……姉さんは神様を信じる?」
遠くの山々には、靄然と霞が棚引いてる。
「皆は、信じてる」
森の外れに、菊が咲き初めとった。
「姉さんが、信じてるかを尋ねてるんやけど」
振り返ったらそこには、いっつも変わらん港と、町があるはず。
「……信じてるの?」
喧騒も変わらず、聞こえてくるやろうな。
「信じてる……というか」
せやけど、今だけは、と思ってまう。
「というか?」
これは神様の命令で、うちの使命やけど、いっぺんに人生の大半でもあるんやから。
「……やっぱりええわ。それよか、姉さんは?」
この、静かで綺麗な森を、見ときたい。今は。
「じゃあ、これから信じることにする」
うん、姉さんは、姉さんやわ。
「……ふーん」
いつか、話せる日が来るんかな。
――もうちょい左やて? はいはい。
近くで、日暮が哭いた。
左向いたとき、やった。あれが、見えたのは。
「姉さん」
禍々しい、黒橡の光が目を突いた。
「あっちの、あっちの方になんやけど……」
姉さんは気づいとらん、なら、葉怪のはず。やのに種類が分からん。
もっと見なきゃ、って言うたのは神様やろうか。
「……黒い、塊が……」
それとも、自分にまだ残っとった正義感の欠片やろうか。
姉さんが、うちの腰を強く引っ張る。命綱のように。
でも、うちは止まらんかった。
まるで呪いみたく、見なきゃ、知らなきゃゆう強迫観念が、自分自身を支配してる。
手を伸ばす。
手を伸ばす。
手を伸ばして。
枝がしなり。
滑り落ちて逝っていく。
まだ蒼い柏の葉が、視界にちらりと映った。
落ちた、ちゅう感覚もないまま落ちて。
背中への強い衝撃で、全て解った。
ずっと腰に回っとった手が、だらりと下がる。
すぐに身を起こす。離れる。確認する。
姉さんは、意識を失っとった。
うちの、下敷きになって。身代わりになって。
巨木から、硬い根へと、落ちたから。
すでに呼吸が薄く、今にも消えそう。
体温が失われていく。
脈が遠なる。
死ぬ。
――どない、どないしよう、どないしよ、どう、どないし、うち、何で、そんな……なんか、まだ、できる、できるできるできる、きっと、まだ、できる。
うちは、近くにあった、柏の葉を手に取った。
何をするのか解った神様が、必死に、うちの脳内で叫んどった。
やめろ、どうせ無駄、そんなんしたらこっちが死ぬと。
そやけど、そやけど、そやけどな。
やらなきゃあかんことが、この世界には在る。
家族やったら、守らなあかんわ。
地面から風は吹かんだなんて当たり前な意見は、この不可思議な世界に似合わへん。
「言万守姫様、どうか御力を我が身に」
自分の一番大切ななんかが、削られていくのが分かった。
「生きる力を、今、この葉に」
葉を彩る光は、綺麗に、生を形作った。
「生、生、生……生きて」
願わくは、自分の生きた証が残りますように。
―――
彩葉はそのとき、死んだ。運命は、姉へ引き継がれていく。
―――
「……死因は【言霊降臨】と、強力な葉怪の行使による【器】の完全破壊じゃった」
時刻は、ようやく朝五ツ、辰の刻。神社の境内に、朝靄が靉靆(あいたい)と渦巻く。
「――琴葉の妹で、蒼葉の姉の彩葉は、とびきり上質の種を持ち、生まれたその瞬間に芽吹いた、正真正銘【言姫の影】であった。将来を期待しておった」
琴葉は、蒼葉の方を見ることができなかった。
いや、誰の方向も見なかった。見たのは、瞼の裏と、あの頃の自分の姿。
「生の葉怪の効果は、瀕死の人間、もしくは死んで間もない人間を、蘇生させること。しかし、器に傷の入った彩葉では、少々難しい部分もあった。じゃから、生の葉怪は成されたが、効果を適用するために、近くにいた琴葉の【器】を使おうとした。そして……生の葉怪は琴葉の【器】に葉脈を伸ばし【器】同士を繋げてしまった」
それにより、琴葉は【言姫の影】になったのだと、言姫は言った。
「傷の転移などは、僥倖と言っていいのじゃが……ひびの入った【器】が繋がったために、琴葉は【凩】となった。二つの【器】が重なり、芽が種を掻き消して、琴葉が元々持っていた種は消えた」
「お姉ちゃんは」
話し始めてから、初めて、蒼葉が口を開いた。
「お姉ちゃんは、大丈夫なの?」
蒼葉は、優しい。心配になるほど優しい。悲しくなるほど、優しい。
父母と同じだ。目の前のものに、大した価値は無いのに、その身を犠牲にしてしまう。
「……人間の域を越えかけているのは間違いない――落ち着いて聞け、一度しか言わぬからな。琴葉は、もう一つの妖と言っても良いのじゃ。時の巡りが、違うからの」
「時の巡りって……?」
「少し難しい話をする。心して聞け――この世界には、時というものがあるが、それは、放っておけば創られるようなものではないのじゃ」
言姫は空を指さした。雲は流れていって、陽が露わになっていく。
「お天道様、のの様。太古より永久から、天照大神が創られる未来。しかし、それだけでは、現世は成り立たぬ。未来がありすぎては、滅茶苦茶な物語となってしまう。命を持つ者、別名、今を壊す者が必要じゃ。それが、お主ら生き物。今を壊し、未来を創り、今を壊し、未来を創り……それが何度も繰り返されて、現世は進んでおる」
琴葉の頭の中に、昼と夜が高速で繰り返される様子が浮かんでくる。
「じゃが、どうじゃろう。あの日、琴葉は一度死んだ。今を壊せなくなった。じゃが、数秒して生き返った。今を壊す力は回復した。
そう、琴葉の今の範囲が、少し広くなった」
皆が理解できていないと見ると、言姫は一つ、例を出すように喋り出した。
「そうじゃな。今というのを、常に零としよう。壱増え、壱減り、壱増え、壱減り、その連続でできておる。
じゃが、あのとき琴葉は、壱増え、壱増え、と、なった。
それが変わらず続き、壱減り、壱増え、壱減り……あのとき、今を壊せず、連続で増えたことによって、琴葉の今は常に壱以上。
つまり、少しだけじゃが未来が視える」
こくりと、琴葉は頷いた。
「琴葉が感じている今と、お主らが感じている今は同じじゃ。脳が一つに統合してはいる。
じゃが、先ほどの戦いであったように、少し先の未来を、一瞬だけ、視覚的に感じ取れはする。これは、童たち神でもできぬことなのじゃ。
天照大神以外、過去は視るのみ、未来はそもそも視ることもできぬ。これは大変なことじゃし、全ては、元凶である童の責任じゃ」
琴葉は、自分の体を摩った。心底、怯臆した。自分自身に、不快感が募っていった。
何故、こんな自分を生かしてしまったのか。
彩葉はきっと、蒼葉の良い姉になれたのに。
そう思うことすら、彩葉の行動に泥を塗るのだと、解っている。
――私は、謝りたい。
彩葉のことを、知ろうとしなかった。
理解を拒み、果てには横暴に怒りをぶつけた。
この体になって、ようやく、彩葉の痛みを知った。
彩葉は、山祇だった。
そのくせ、貰った、受け継いだ、全ての贈り物を、台無しにした。
これはきっと、言姫の所為なんかではない。自分の所為だ。
横を見ればきっと、蒼葉がこちらを見ている。
酷い姉だ。
蒼葉の傍にいて、蒼葉の世話をして、自分はずっと、蒼葉を見ていなかったのだから。
知ろうともしなかった彩葉を、今になって必死こいて知ろうとして、蒼葉に重ねて。
――出来損ないで、生き汚く、流せぬ罪に見て見ぬふりして、目の前に縋りつく恥晒しが。
「お姉ちゃん、どうかした? 大丈夫?」
「お姉ちゃん、なんか言ってよ!」
「本当に大丈夫なの……?」
――大丈夫じゃない。
喉元まで出かけた言葉を、掻き消した。
―――
琴葉は思い出す、彩葉の細くて美しい躰を、埋めたときのこと。
地面は硬くて、手が真っ赤になった。
爪の先は余すことなく茶色に染まった。
いつもと同じはずの彩葉の服は、自分の物よりぼろぼろに感じた。
助けてと、叫ぶような次元にはもういれなかった。
弔いとも言えない、呪いのように染みついた言葉。
埋めなきゃ、と。彩葉の言う通り、木の下に。誰にも、解らないように。
柏の木の下には、今も屍体が埋まっている。
家に帰って、嘘を吐いた。
彩葉が突然いなくなってしまった、探したけどいなかったと。
父が何回も山へ出かけていく様子を、ただただただただ眺めた。
望みがあるだけマシだと、自分自身に言い聞かせた。
皆が諦める頃に、母の腹の中に、妹がいることが分かった。
もちろん、弟の可能性もある。だが琴葉は、妹以外、考えられなかった。
贖罪だと思ったのだ。
何回も、何回も、繰り返し思い続けた。信じ続けた。
解っている、本当は間違っている。自分は狂っている。蒼葉は彩葉の代わりじゃない。
――代わりじゃ、ないのに。
後編へどうぞ。




