表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/35

弐拾捌 卍巴

本日もよろしくお願いします。


「ああああっ!」


目の前にいる虎を、必死に刀一本で押さえつける琴葉。


その瞬間、まさに盥をひっくり返したかのような大雨が、琴葉を襲った。


否、襲ったのではない。この雨は、琴葉を助けた。


虎の開いた口に、大樹の樹冠から降ってきた大量の水が流れ込む。


その勢いに押され、若干ではあるものの、虎の力が弱まった。


――耐えろ。耐えて。


そして、虎は遂に諦めたようだった。半ば流されるように後方へ跳び、琴葉と距離を取る。


背後から、がさごそという音が聞こえた。女性は、大樹に登っているようだ。そこから巴に乗ろうとしている。


琴葉の着物は、びっしょりと濡れていた。端が千切れた半合羽は、諦めて脱ぎ捨てた。

徒世の、形見だった。


― ― ―


虎は、使役者の命令を正しく理解していた。


獣を追って追って追い続ける。斧を避け、短剣を避け……

しぶとかった。獣と獣の勝負は、長く長く長く続いた。


暁降ちが来ても、鬼わたしは続いた。


そう、それに終わりが見えようとしたのは。


竹林に囲まれた巨木の洞に誘導され、危機を迎えていたときのこと。


「た、助けて! 誰か!」


誰かが来ることを願って、女らしい悲鳴を上げてみた獣。

これが、功を奏した。上空に舞う竜、そこから飛び降りた少女を見て、打算に勝利したことを確信した。


所詮、お人好しなんて、罠にかかって無駄死ぬだけ。獣は内心でほくそ笑む。


琴葉を殺すこと。それは、獣のもう一つの任務である。


草葉の光に入ってしまった以上、もう使えない実験体は、早く捨てるが吉だそうだ。


しかし、虎と竜がいる場所では、殺しても自分の身が危ない。それに、葉月を殺しに行くのも難しい。


琴葉と虎、同時に殺す。それが最善。


「こ、腰が抜けちゃった!」


膠着状態を動かそうと、演技してみる。


虎が迫り、ひやっとしたのも束の間、滑り込む刃。


「刀!」


転機の演出は素晴らしく嵌った。


琴葉が虎を止めている今が、同時に殺す良い機会だ。


しかし。


「私のことは良い! 竜を動かせ!」


……竜の上の人物が、獣の視界に映った。


獣の目が、殺意と私怨に染まる。

雨の中でも消えぬ火が灯る。


憎い。殺してやる。人の上に立って胡坐を掻く愚図が。塵が、糞が、害が、人殺しが。


獣が牙を剝くとき、それは一つの地獄の合図。


――きっと大丈夫。狂利様も許してくださる。予め、諸悪の根源を消しておくだけ……


今のことである。


― ― ―


また、か。

呆れと共に、琴葉は起き上がった。


とぼとぼと歩く■■の背を追い、井戸を横切る。


草木も眠る丑三つ時とはよく言ったものだ。

外は真っ暗闇。

こんな夜に出歩く■■も、それを追う自分もどうかしている。

だが、仕方がない。草木が眠れど妹は眠れないのだから。

そうして琴葉たちは、木の下の、夜の闇が濃い場所に座り込む。


■■が、夜に出歩き始めてから、もう二ヵ月は経つ。

両親はこのことをきっと知らない。知っていたとしても、こんな時間のことだから、夢だと思い込むだろう。

しかし実際に、毎夜琴葉たちは外に出て、森の中の一本の柏木の下にいる。


「姉さんは、どないしてうちに構うの」


転機だって、振り返れば何の理由もなかった気がする。


それは、何時ぶりか分からないほどの、会話だった。出かけるようになってから、正真正銘、初めての会話だと言っていい。


琴葉が驚いて言葉を失っているうちに、■■は先ほどよりも自嘲の響きを多く混ぜて、言った。


「姉さん、うちのこと嫌いやん?」

「そんなこと……」


無い、とは琴葉は言えなかった。

扱いにくい■■は、良い意味でも悪い意味でも、家の中心だった。琴葉は、■■を真ん中にして回る家に、そこはかとなく疎外感を感じていた。


「姉さん、うちが死んだら木の下に埋めてな」


だが、けれど、流石に、この言葉には軽々しく頷ける訳がない。


「馬鹿言わんといて。■■は私の――」


――あのとき、なんて言ったっけ。

――もういいや。思い出しても無駄だから。


六日後、■■は死んだ。


――いや、違う。違う違う違う。違うよ。


■■は失踪した。


――だって、私が木の下に埋めたのだから。


皆は、いつか■■が戻ってくることを、信じている。


――だから、私は贖罪だと思った。


― ― ―


「燐火、落ち着いて行動なさい。相手の足は極めて遅い……隙を見て行動しましょう」

と、燐火の脳内での燈火が言った、気がした。


燐火は深呼吸して、構える。


少し近づいただけで、肌が焼けるようだ。その中心で、一枚の葉がくるりくるりと舞っている様子は、火の玉と言うのに相応しい。


双樹は真っすぐに、火の中へ足を踏み入れる。

焔の舌へ、一直線に駆けていく。

もちろん陽動だが、双樹の表情からは決死の覚悟を感じられる。


剣で突き刺せども、空気のない水中へ沈められとも、このように焔で焼かれようとも、葉怪は血の一滴も垂らさない。

死にはするが、それは死ではなく無への昇華だというのが組織の見解だ。


だが葉怪は、妖なれども葉である。焔の中に入るのは、相当の覚悟を持たないと難しいのだろう。


だからこそ、だろうか。

踊るように戦う犬と葉、それを覆う火の手は、美しかった。


「そろそろ終わりにしましょ」


誘導は終わった。燐火は、帯に刺し直していた葉捕り網を再度引き抜き、振り下ろそうと……して、ぎりぎりで踏み留まった。


「ゆ、努? どうしてここに?」


そう。燐火が引き抜いたのは、一本の筆。

心の葉怪によって心を持った筆、努だった。


「ふふん、燐火ちゃんが心配で着いてきちゃった!」

「はぁ? 今そんな場合じゃないだけど! ちょっと、双樹、戻ってきて!」


何故か誇らしそうにしている努を、燐火は帯に刺して仕舞い直した。


形勢を取り戻し始めた火の葉怪の元から、急ぎ双樹を退避させる。

帯の下で毛先をふりふりと振る努は、現在の状況を正しく理解できているか怪しい。

思わずため息を吐いてしまう。


「ねぇねぇ燐火ちゃん。あれ、なーに? 何か見えるわ」


そのとき。努が毛先で、ある方向を示した。


「……分からないわ。何よあれ……」


木と木の間に見えた物は、大きな石室。そう、燈火たちが囚われている場所だった。


― ― ―


「傘」


燈火の持っていた葉怪が変化し、巨大な傘に変貌した。赤と白、桜の描かれた番傘だ。


燈火の武器は、傘であった。

この傘は、普通の傘ではない。一度出した傘を改造、刃物を仕込んだ状態を記憶することで、その姿を常時保つことに成功した、兵器の傘だ。

葉怪である傘は、その優れた耐久力と、大きさを自在に変えられる力で、暗殺を得意とする。


帯刀が許されないこの世では、傘は怪しまれにくい。草葉の影との抗争では持ってこいの武器、それがこの葉怪だった。


「やはりびくともしませんね」


燈火が傘を一振り二振りしても、牢はどんという無機質な音を立てるのみ。


そもそも、ここにいる人材は皆、力に優れているわけではない。影を追うために、速さを重視して集められている。この牢を壊せるのは、片腕で塀を壊せる利乙ぐらいのものだ。


「どうする? もうすぐ、誰かが調べに来ると思うが……外からも壊せなかったら」

「考えたくありませんね」


影がいるのにこの場から動けない状況に、燈火は歯嚙みするしかなかった。


「……ちょっと待て、何か聞こえる……火か?」


ばちばち、ぼうぼうと燃える火の音が、石室からも聞こえてきた。


「影の手である可能性が高いぞ」

「だからって、どうすることもできませんよ。私たちでは力不足ですから」


燈火は石室の壁にもたれかかり、いらつき半分で溜息を吐く。


「ねえ、誰か、誰かいるの?」


壁の向こう側から、くぐもった燐火の声が聞こえてきた。


「燐火! 外は大丈夫ですか!」

「げ、燈火さん。火の葉怪がいるだけです……うちの子たちが防いでくれています。どうしてこんな場所に? もしかして影が……」

「あーすまんすまん。俺がヘマして牢の葉怪を使っちまっただけだ。こっちからじゃ壊せそうにないんだ、って!」


常盤は、横から光が差していることに気づいて驚く。

石煉瓦の一つが、光の近くに転がっていた。その石煉瓦一つ分の窓から、燐火の顔が覗いている。


「こっち側からなら、簡単に動かせるようです」

「なるほど。早く壊しなさい」


燐火は、相変わらず冷たい燈火に震え上がりつつ、石煉瓦を崩して小さな出口を作っていく。


「皆さん落ち着いて、順番に出てください」


小さな出口を順番に潜り抜け、面々はようやく外へ脱出を果たした。


「皆さん、実は今、琴葉が虎の葉怪に襲われています。こちらも火の葉怪と遭遇してい」

「は? 虎の葉怪? つまりはあの女が琴葉を襲ってるってことかよ!」

「吉宗様がいらっしゃるに関わらず? 百合は止めなかったのですか?」


燐火は一斉に詰め寄られ、一瞬口が止まりかけるが、何とか敬語を構築して話す。


「虎は影に盗まれた物ですから、影に襲われたということかと思います。蒼葉は、ここにいた羽の葉怪で琴葉を助けに行きました。皆さんも、琴葉の救援に……」


わんわんわん。双樹が、火のついた尻尾を振りながら、燐火の元に駆けてきた。

その背後には、火の手が迫ってきている。


「分かった、とりあえず、目の前のこいつを捕ってから、」

「常盤、お前は下がっていてくださいね」

「ごめんなさい。すみませんでした。許して」


徹底的に出番を奪われた常盤は、遠くの方を見るしかなかった。


抑えきれぬ青筋を浮かべながら、燈火は傘を振る。


先に付いた刃が、火を反射させて煌めく。


焔は横に煽られた。気づけば燈火の前には、焼き焦げた草でできた道があった。


「悪く思わないでください」


木が燃えると、葉怪が減る。草葉師の仕事にも支障をきたすかもしれない。


決めるなら一度で。


焦ったように火を巻き散らす核に向けて、ゆっくりと近づく。傘を葉に戻して、葉捕り網を引き抜いた。


火の葉怪は、最後の足掻きとばかりに、辺り一面を広く火の海にする。


遠く離れた燐火が息を呑むのと同時に、燈火は網を振り下ろす。


「火」


確かに、火の葉怪は捕まえた。

だが、焔は未だ残っている。

広範囲の残燭(ざんしょく)が、燈火を蒸し焼きにする。


逃げ場がない。このままでは……っ


「燐火、燐火!」


努が、燐火の手の中で暴れ回る。


「な、何?」

「上見て、上!」


燐火は上を見上げた。


先ほどまで晴天だった空模様が、黒雲だらけの曇天へ早変わりしていく。


ぽつ、ぽつぽつ。

砂で汚れた手に、一粒一粒ずつ、雨が落ちていく。そして、ものの数秒も経たない内に、燐火が経験したこともないほどの、未曾有の大雨と成り果てる。


篠突く雨だ。水は火を洗い流す。瞬く間に消火が行われていく。その様子は、激しさと神々しさを併せ持つ。


「……何か、変だわ」


全てを押し流していく雨とは対照的に、燐火は一人、ぽつりと零す。もう一度、上を見た。


雨雲で覆われているのは、この周辺一帯だけだった。奇妙だ。


燐火の心に浮かんでくるのは、火が消えたという喜びや安心感ではなかった。


畏怖だった。


初めて巴を目にしたとき。あのとき、燐火は声に出せぬほどの畏怖を感じていた。


言葉は武器である。この強大で、簡単に人を狂わせてしまう武器を、自分と対して年も変わらぬ少女が握っている。

これほど、不安定で、でも何も手の施しようの無いことがあるだろうか。無いに違いないだろうと、燐火は子供ながらに思っていた。


妹は、この空の下、決して遠くない場所で誰かを守っている。

早く行かなければと燐火が思ったとき、雷が鳴りだした。天災の二文字が、頭をよぎった。


「燐火!」


風で立ってもいられなくなる。進むことなど不可能だ。


「燐火!」


早く行かなければ、助けなければと思うのに。


「燐火!」

「燈火さん……」

「――避難します。全員、牢の中へ。ここにいる皆を守ることが最優先……竜さえいれば、命の危険は無い、でしょう、から……」


雨は沛然(はいぜん)と降っている。


― ― ―


認められたかったんだと思う。

自分には才能がある、立派になれる、どこへでもいける、明るくて、可愛くて、綺麗な人だって。


生まれる場所が悪かったんだと思う。あの人に捕まりさえしなければ。味方がいれば。


でも……そうであれば、あの子とは会うことはなかった。


仮初が仮初に意味を持ち、言葉が人の姿を持ち、今、無念を消費して、雨を降らせよう。


「雨」


言葉が言葉を紡いでいく。

零葉にとっての、最初の一声。

誤字脱字報告ありがとうございます。

否定的なコメントはやめてくださると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ