弐拾漆 靉靆
本日もよろしくお願いします。
「あーもう! ちょこまかちょこまか煩いわね!」
羽の葉怪との戦闘が長引き、いらいらを募らせていた燐火。
川と、玉砂利、木と水と石が共存したここは、地に足付けて戦う燐火には戦いにくい場なのだ。
それを遠目から眺める蒼葉も、燐火の一挙手一投足にやきもきしている。
加えて、羽は、実に狡猾な動きをする葉怪だった。
挑発に乗せられやすい燐火と、その葉怪たちにとっては、捕りにくい相手。近くなったと思って網を振れども、すっと方向転換し避けられてしまう。
そして、問題が一つ。ここには、本来燐火が捕るはずだった葉怪も生息している。それがこちらに来たらと思うと恐ろしい。
燐火は確かに燈火の教育を受けた精鋭で、少しは腕が立つが、所詮は見習い。二つ同時に対応は難しい。しかも、蒼葉を守りながらとなると。
「皆、決めるわ。動きましょう」
場所を変えよう。羽は今のところ、直接的な攻撃をしてこない。おそらく、体力切れを狙っている。このままでは決着がつかない。
だから、あえて隙を見せる。
燐火は後方に向かって、全速力で走った。川が無い方面へ。
思いっきり、背中を見せて。
「来た!」
蒼葉がひゃっと腰を浮かしかけるのも仕方がない。
羽が、燐火めがけて飛んできている。
光を受けて輝く白銀の羽が、燐火の影に差し掛かろうとしたその瞬間、燐火は後ろを向いた。
「大亀!」
視界が白に染まる前に、予め葉に戻しておいた亀を、大きく変化させて盾にした。
堅い甲羅は核に見事に当たる。
流石、亀。びくともしない。それどころか、盾になれて誇らしげだ。
燐火は、顔の三倍も大きい亀を盾にして、衝撃で手が一気にがくんと降りそうになるが、今が正念場。
「包囲っ!」
動物たちが、一斉に飛び掛かる。
羽はその猛攻に耐え切れず、強制的に下に降ろされた。
核が黄丹の草に包まれる。
この好機を見逃すわけにはいかない。
燐火は亀をその場に投げて、葉捕り網を振り下ろした。
核は、明確な意思を持って暴れ回る。羽もまたばさばさと暴れるが、動物たちがすぐ様取り押さえる。
「羽!」
眷属化すれば、もう葉替えの効果は終わった。
森全体にかけられていた術は解けて消え、全ての植物が本来の多様性を取り戻す。
「よし、とっ……」
燐火は、弾かれるようにきょろきょろと周囲を伺った。
「どうしたの?」
「おはねの気配がして」
そう言われて、蒼葉も周囲を眺める。
すると、ぼろぼろの状態のおはねがこちらに飛んでくるではないか。
「ぱーちくぴちくぴちく、ぱち、ぱーちくち、ちちち!」
「何ですって!」
深刻な雰囲気を醸し出している一人と一羽に、蒼葉が不安に思って近づく。
「おはね、何言ってるの?」
「……琴葉が、虎の葉怪と遭遇して、交戦中ですって」
「な、なんで!?」
蒼葉が驚くのも無理はない。
事の顛末を知らなければ、現在、琴葉が置かれている状況は不可解に等しい。
「仕方がないわ、急いでそちらに合流を……ん?」
竦み上がった燐火は、ぎこちなく首を背後に向けた。
間の悪いことに……そこには、燐火が本来捕まえようとしていた葉怪、火がいた。
火の階級は、守破離、破の中級。
燐火にとっては少し高位の存在である。足は遅いが攻撃は肺を焼き、森を黒焦げにする。
今は、燐火と蒼葉の方へ、辺り一面を火の海にしながら近づいていた。
「蒼葉は、琴葉のもとに行って」
葉捕り網を構えながら、燐火は羽の葉怪を蒼葉に握らせる。
「おはね、蒼葉を案内しなさい。蒼葉……終わっても、戻ってこなくていいわ。どうせ、兎の葉怪があれば、大坂まで着けるでしょう。琴葉を支えてやりなさい。こっちは私たちで何とかする」
そして燐火は不敵に笑った。
「任せて。貴女に、どんなことがあって今ここにいようと、私は……貴女と会えて、良かった!」
燐火は、琴葉を送り出したときと同じように、力強いその言葉で蒼葉を鼓舞してくれた。
「うん……うん! 分かった、行ってくる! ありがとう、またいつか!」
「ええ、またいつか!」
― ― ―
「牢!」
獣は、暗夜の礫に対応できず、緊急回避を行うしかなかった。
実際は、その必要は余り無かったわけだが、少なくとも葉月が虎に命じて行った攻撃は、避けることができた。
勢い余った牙が、着物の裾を破く。
「危ない危ない、油断しちゃったよ。ふふ、絶好の機会だったのに外すなんて、おまぬけさんだねぇっ!」
獣はそこで、気づいた。
葉月がいない。
虎はいるというのに、上には誰も乗っていない。
「落ちた? いや、そんな馬鹿な……逃げたのかな?」
草が揺れる音がした場所を見るが、もうすでにいない。
正真正銘、戦況は逆戻り。
葉月は、姿をくらますことに成功したのだった。
虎の攻撃を避けることと、葉月を探すことを同時並行で行わなければならない。
獣は舌打ちして、戦況を自身の神へ伝えた。
― ― ―
「なんと……」
吉宗が、感嘆と驚きの呟きをするのが分かった。
虎は竜と同じように、神話の領域に近い生物だということを、琴葉は肌で感じた。
しかし、怯むことは無い。
言姫を見ているのだ。あの力と、虎は比べ物にならない。圧倒的に下等だ。
「私は、参り、ますから、お二人は、ど、うか、ここで」
殿上人を危険にさらすわけにはいかない。
琴葉は深呼吸と共に、ゆっくりと鱗の上に立つ。
そして巴の頭から、勢いよく竹林へ飛び込んだ。
「薙刀!」
刀を変化させ、地面に刺す。
その剣先に指を添わせる。
刀身がしなる。
「葉」
空中で宙がえりをするように、琴葉はその場に着地した。
「助け、に、きま、した。もう、大丈夫。隙、見て、逃げて」
琴葉は虎の背に隠れて姿が見えない女性へ、とぎれとぎれになりながらも大きな声で叫ぶ。
琴葉は分かっていた。自分だけで虎の葉怪を止めるなんて、夢のまた夢の話。
だから、これは持久戦であり、逃げるための戦いだと。
しかも、核はどこにもない。竜のように、隠されているわけでも無さそうだ。
つまり、あの火事で、草葉の影に取られた虎だ。
誰かが使役している虎だ。虎自体を倒すか、使役者を倒さなくてはいけない。
しかし虎を倒すのは、竜の使えない今、難しい。なら使役者は。あの女性だとは考えにくい。どこかに潜んでいるのか。
「おはね、行って」
肩から爪の感触が消え、背後へ羽の音が遠のく。
幸い、体力は十分にある。
飛脚の娘として鍛えた敏捷性と持久力で、守り抜く。
「お前、の、相手は、こっち」
地響きのような唸り声を発したそれは、ゆっくりと、背後へ振り返る。
身に染みるような威圧感。
虎が目の前にいるのが〝視えて〟すぐさま琴葉は横に跳ぶ。
虎は空を食べた。
方向転換が速い。
背筋が凍り付く。
また来る。
「っ!」
今度は衣服の端が切られた。まるで瞬間移動のようだ。
虎の通り道に生えていた竹は、薙ぎ倒されて辺りに散らばっていく。
その巨体と攻撃力であれば、竹を数本切るなど造作も無いことのようだ。
琴葉は逃げる。まるで鬼わたしのように。
虎は攻撃した後に少しの間がある。それを利用して、できる限り離れなければ後は無い。
巨木の方を見る余裕は無い。
虎は相変わらず、女性を狙い続けているようだ。どうか、無事、巴に乗ってくれることを願うしかない。
……この、攻撃が来る度、危険を察知する度に、数秒後の未来を〝視る〟力。
現状これのおかげで、ぎりぎり攻撃を回避出来ている。
これもまた、あの子の影響なのだろうか。
「はっ!」
あと何回跳べるのか。
あと何回走れるのか。
あと何回、虎口の難を脱せるのか。
巨木の周りを、十は周ったそのとき。
虎も埒が明かないと見たのか、攻撃が変化した。
女性が、虎に背を向けたからだろうか。
こちらの隙を伺うような、そんな動きになった。
竹林は動き辛そうだが、一度野原に解き放たれてしまえば、どうなることか分かったものではない。
巴は場所を限定しないため、人にとってはそちらの方が脅威となりえるが、開けた戦場ではどうだろう。
虎に軍配が上がるのではないか。確実に、使役者を止めなくては。
「こ、腰が抜けちゃった!」
巨木の方から素っ頓狂な声が上がる。
――不味い、あそこじゃ一瞬で餌食になる。良くて死、悪くて死……!
琴葉は走り出した。自分が死んだら巴は枯れる。
吉宗や百合だって、すぐに殺されてしまう。
けれど、目の前で食われる人を、守らないわけにはいかなかった。
もう、失うわけにはいかなかった。
「刀!」
初めて、逃げずに立ち向かう。
――間に合え、間に合え間に合え間に合え間に合え前に会え間に合え間に合え間に合え間に合え!!!
虎の口が開かれ、女性を飲み込むのが〝視えた〟から。
刀をその口に、横一文字になるように、滑り込ませた。
手に力を加えすぎて、体中おかしくなってしまいそうだ。
火の葉怪を手に取ることもできない。
虎の巨体を二本の腕だけで支えるなんて、馬鹿でもできないと解っている。
そう、全てが時間稼ぎ。
もうすでに火事場の馬鹿力の域を脱している。
どうしてこの場に立てているのかさえ怪しい。
――お願い、逃げて。
― ― ―
「不帰、を、戦闘、不能に、して」
葉月は虎にそう言い残し、走り出した。
逃げなければ。逃げなければ殺される。
泣いている暇なんて無い。
逃げなきゃ、今すぐ、ここから遠く離れた場所に――
葉月は息も絶え絶えに、森を彷徨う。
もはや、葉怪は一つだけ。大切なお守り。
これだけでは、使い物にならない。
竜を無理に作り出し、ろくに眠れていない体を引っ張って走り続けた、その疲労が、今や頂点に達していく。
「っは!」
茂みの中に、突っ伏した。視界がぐるりと回る。
「うっ」
使役者が疲労によって意識を失っても、葉怪は動き続けてくれるのか。
答えは是だ。大丈夫、きっと、虎が追い詰めてくれる。
「……助けて」
けれど、もしかしたら、もう二度と目覚められやしない、かもしれない。
そう思いながら葉月は、視界が霞んでいくのを見届けた。
彼女が目覚めるのは、二刻先のことになる。
そして、もう一人の彼女が、この場所に辿り着く。
零葉。
葉は、皮肉なことに、捨てた手に拾われるのだった。
誤字脱字報告ありがとうございます。
否定的なコメントはやめてくださると幸いです。




