表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/35

弐拾陸 隠沼

本日もよろしくお願いします。


大空を羽ばたく、鳥よりも遠く。速く。力強く。


「竜とは良いものだな……」


感慨深そうな声が、琴葉の背後から聞こえた。


良い旅日和だ。


青空に大蛇が舞い踊る。その背に自分が乗っていることが、吉宗は楽しくて仕方ないらしい。

民を救うという崇高な目的を持って、三人は今向かっている。だが、吉宗に悲壮感は無かった。


「駕籠より乗り心地が良い。眺めも素晴らしい。絵巻物の世界のようだ」


吉宗の言葉に、従者も琴葉も、何も返さない。

吉宗も、特に返答は求めていないようで、独り言を聞かせるようにして喋っていた。


「あそこは数日前、見学で訪れた。鷹狩を少ししたんだ」


遠くに富士が見える。

まだ旭光(きょっこう)は昇ったばかり。

富士も、臙脂紅(えんじべに)で染められている。


朝靄が出てきて周囲の様子が分からなくなってきた。

琴葉は小声で、巴に高度を下げるよう命令する。森が近くなっていく。


「あれは……?」


吉宗は何か後方を見て訝しんでいるようだったが、琴葉は高度の調整に忙しくて、後ろを向く余裕が無い。


「花畑のような森だ……」


やっと丁度良い高度になり、余裕が出てきた琴葉も、背後を振り返ってみた。


そこには、辺り一面が紅葉した、大きな森があった。


あんな美しい森があったなら、ここに来るときに、何かしら蒼葉が言っているはず。

覚えが無いということは、この二日で、森が急激に紅葉を始めたということ。

それだけでも異常であるはずなのに、その森は、見渡す限り緑がどこにも無かった。

一つ残らず、赤や黄と化していた。


異常で、危険で、怪しいというのに、どこか神々しくて、でも懐かしくて仕方がない。

見ている者の心を引っ掻き乱していく。

存在自体が可笑しくて変だ。

人を寄せ付けず、野次馬も生ませないその容貌は、森全体を一つの生き物だと錯覚させる。


遠ざかっていく。巴は琴葉の命令に正しく従い、富士山へ近づいていく。


「……不思議なこともあるものだ。江戸は、そういったものが多いと聞いた」


吉宗は、どことなく上ずっている、興奮冷めやらぬ声で言った。


「葉怪、というのだろう、この竜も」


流光から聞いたのか、吉宗は葉怪を知っていた。


「人はばけもの、世にないものはなし……人が多い分、妖もまた多いのだろうか」


琴葉は森を見つめたまま、遠ざかっていくまま、大きな深呼吸をした。


「葉怪、は……災いにも、恵み、にも、なります。ただ、しく、使わ、ねば、なりません」


吉宗は、じっと琴葉を見つめた。琴葉の朧気で拙い喋り方に、合わせてくれた。


「いない、方が、良い……と、私は、思います。でも、存在、してしまうから――これ以上、何も壊れない、ように、守らないと、いけません」


自分でも、何を言っているのか分からなかった。

ただ、喋らないと後悔する、その思いが琴葉を突き動かしたのだった。


「そうだな。綺麗だが、残酷だ。琴葉の言う通り、葉怪は、存在しない方が平和なのかもしれぬ。けれどな、何でも利用するのが為政者というもの。それがたとえ、神々の力だったとしても」


少し皺が寄っている、けれどまだ若い吉宗の顔を一瞥して、琴葉は前方に向き直った。


「さあ、行こうか。民を救わねば」


琴葉の肩に乗っているおはねが、ぴーちくと鳴いた。


富士山は広大で、もうそのときには靄も無く、荒い岩肌が見えていた。


―――


「横の、こいつ、は、影! 私、と、一緒に、生け捕り、に、しようっ!」


その言葉を聞いたのは、一番近かった燈火と常盤だった。


「くそ、どうする……?」

「どうするも何も、どちらも殺すに決まっています」

「そうだよな、お前はそっちだよな……っ!」


金烏玉兎の面々は、全員、影に対する敵対心が強い。

その中でも燈火は一際、影を恨んでいる。


しかし、状況的には生け捕りが最適解だ。

何より、常盤の手の中には、呉竹から渡されたある葉怪が準備されていた。


「了解だ! まずはそちらを捕らえる!」

「なっ!」

「作戦の内だ、頷け」


葉月と常盤は、同時にぐんと全力を出す。

突然のことに獣は対応しきれず、反撃できない。

斧は、攻撃に必要な予備動作が大きいのだ。


「牢!」


そして獣は牢屋の中に……閉じ込められなかった。


……牢の葉怪は、最近捕れたばかりの新しいもので、まだ試しも何もしていなかったのだ。


牢屋は、随分小さかった。


燈火と常盤、そしてその背後にいた隊員たちが、一斉に閉じ込められた。石室の中に。


もちろん、葉月や獣は牢屋の外。


「……常盤君、クビです」

「……すいませんでした」


戦況は逆戻りした。

面々が牢屋から脱すのは、ここから二刻後のことになる。


― ― ―


「姉さん」


――誰かが言う。私のことを呼ぶ。


「姉さん」


――違う、違う。あの子じゃない。

――だって、あの子は、


「お姉ちゃん」


――そう。もう死んでるんだから。


「お姉ちゃん、大好き」


――私はお姉ちゃんでいられてますか?


「お姉ちゃん、ありがとう」


――今はちゃんと姉をやれてる?


「姉さん、またね」


――間違えた。四人も喪ったの。


「うちは死んでない。死んだのは姉さんの方やからね」


――馬鹿言わないで、そんな、


「いやいや、ほんまやねん。うちは馬鹿やない。今姉さんの前にいるやろ……蒼葉が」


――でも、


「……なんや、姉さん、そんな高いとこ行ってしもうてるんやないか」


――ごめんなさい。


「うちを残して逝ったのは姉さんの罪ちゃう、うちの罪や。馬鹿なことしたなぁ、分かっとったのになぁ。でもな、うち、姉さんに助けられて生きたくなかったんや。ごめんなぁ、うちこそ謝るべきなんよ。無理やり姉さんを生きさせた……人じゃなくさせてしもうた……言姫様にも叱られるなぁ、失敗したなぁ。本当にな……あの日はもう、全部無理やったんよ」


――行かないで。


「うちは形を変えてるだけ。おっかさんもおっとさんも皆そうや――残酷なことにな、形を変えんと生きていけないんよ。そういう決まりで、この世界は回っとるんやから。姉さんが葉なら、うちは風。流して流して、幸せに運んでってやるからな」


――ちゃんとやり直すから……元に戻すから……


「それがあかんなら、(いろ)になる。姉さんに秋が来るたびに、ちゃんと紅にする」


――違うの、私は、ただ、生きてる意味が欲しかっただけで……善じゃないの……


「姉さんたら、ほんっま、綺麗やな」


――忘れたいって、思ってしまうの……


「うちは姉さんのこと、大好きよ」


―――


悲鳴が、聞こえた。


下には竹叢(たかむら)が広がり、中心には相生の巨木が生えていた。凸や凹と戦った場所に似ていた。


琴葉は板挟みになった。

背後には要人がいて、届けなければいけない状況。いわばこれは寄り道だ。

何が起きているか分からないというのに、要人を危険に晒すわけには……


「琴葉、今すぐ下に――」


ただ、吉宗は人の好い武士であった。


「いけません」


しかし、誰かが口を挟んだ。


琴葉はその冷たい声に、びくりと震えて振り返る。

従者の声だった。

しかし、明らかに高い。女性のものだ。


急に、その顔が、はっきりと認識できるようになった。


「百、合、様……?」

「ああ……時間が来てしまいましたか」


一昨日、城内で会った、綱吉将軍の側室、百合だった。


「っ、婆、何でここに?」

「だから、婆と言うのは……いえ、今言うことではありませんね。何の葉怪を使って、誰であるか分からないようにしていたのですよ」


なるほど、百合は流光と交流のある様子だった。草葉の光と取引があったのだろう。


「ずっと出奔をしようと考えておりましたから、またとない機会だったのです」

「は、婆、なんでそんな……」

「詳しくは後で説明します。単刀直入に言いましょう、吉宗。諦めなさい。貴方がたった一人のために事件に巻き込まれてしまえば、救えた命が減ります」


切れ長の目が、否と言わせぬ迫力を孕んでいる。見ているだけでも息が詰まるようだった。


「だが、私がここで見捨てれば、民からの信頼を失うことになる!」

「貴方は信頼と命、どちらが大事なのですか?」


琴葉は、才太郎(さいたら)畑に置かれていた。


この場で一番位の高い人間は、もちろん紀州徳川家筆頭の徳川吉宗。

彼が自分に命令するのであれば、そのときは百合の意向関係無しに降下する。だが、彼が折れた場合は、そのまま和歌山城を目指す。


もし下にいる人々を救うのであれば、決断は急がなくては。


「考えてもみなさい。貴方が行って何になるのです?」

「御三家の威光には勝てないだろう。人ではないものなら、そのときは竜だ」

「琴葉さんも、危険にさらすことになりますよ」

「それは……」


この場の決定権は吉宗にある。だが、琴葉の中での思いは一つ。


「ご心配、なく。わた、しは、草葉師、ですか、ら、戦え、ます。お二方を、お守り、しながら、戦うことも、可能、です」


琴葉は手を力強く握り込んだ。

両目に意思の力を込めて、確固たる思いを胸に、吉宗を見つめ返した。


「では、決まりだな」

「そんな、吉宗」

「心配するな――こっちの方が、より多くの民が救われる。いつだって、人助けはそういうものだよ。琴葉、下へ」


琴葉は竜に命令を下す。

上空に蜷局を巻き、くるくるくると舞い降りていくその様は、まさに屏風絵そのもの。


「た、助けて! 誰か!」


悲鳴も明瞭になっていく。高い女性の声。

中央にある巨木、途中で繋がった幹の下に、その女性はいるようだ。


「虎……!」


女性を追い詰めているのは、虎だった。

ただ――核が、どこにも見当たらない。


竜虎相打つ激戦が始まる。


―――


「利乙のおっさん、こっからどうします?」

「今夜は風がない。放っておけば自然と消えるじゃろう。幸い、空き小屋。中には誰もいない。放火魔を探すぞ」


焔を目の前にして、三人は極めて冷静に――荒野は二人の冷静さに引いていたが――対応していた。


ありったけの水を掛けて、周囲の落ち葉を掃っていく。

火は徐々に小さくなり、もう放置しても、飛び火はしない状況。


「了解。俺も周囲を見て回ってくるよ」


荒野が塀によじ登って、向こう側に行く。


「火事が終わったってこと、知らせておきます」

「頼む」


弓弦は、先ほど荒野がよいしょと登った塀に、跳躍一つで乗った。


「弓、矢」


家に代々伝わる弓の葉怪に、矢の葉怪を番えた。

その場で書をしたため、矢に引っ掛ける。

方向は奉行所の庭。優れた視力と感覚によって、ぴったりの位置に調整する。


力強く引き絞り、討つ。葉怪の力と、弓弦元来の才能で、その矢は江戸を横断する。

その速さは、最大速度の巴を優に超えている。


矢はやがて見えなくなったが、奉行所の方面に真っすぐ飛んでいるのは間違い無い。

今日は風が無いので、多分を付けずとも、奉行所の庭の土に刺さる。


「よし……」


弓弦は、今宵も良い仕事ができたことに、胸がすく思いで月を見上げた。


まだ幼い故の慢心。


下、火とは逆方向からの攻撃に、気づかなかった。


「弓弦!」

「っ!」


下半身を突き飛ばされ、弓弦は塀から落ち、気絶する。


利乙が、利き腕ではなくとも十分に鍛え抜かれた左腕で、腰の刀を引き抜き、勢いよく横薙ぎした。


左官屋の功績が容易く壊れる。

塀の残骸を挟んだ向こう側で、一人の男が立っていた。


「コンバンハ。イイ夜デスね」

「……お前は影か?」

「そうデナイとも言えマス」


普通の、なんら平凡な男ではあるが、喋り方は片言の日本語。


「私は好きデここにイル。救う守るモ関係ナク。ただ、葉怪の素晴らしサ、尊さヲ感じてイタイだけ」


男は、恍惚とした表情を浮かべた。利乙は臨戦態勢を取った。


「ソウ警戒せず二。私は殺しタイ訳じゃナイ。手に入れたいノデス。アナタモ、寄る年波二ハ勝てヌでショウ? 加えて腕が一本しカナイ。ここには怪我人が二人モイマスヨ」


男は持っていた杖で、道端の何かを引き寄せた。


月と火の光に当てられ、ようやく見えたのは、土埃を被った荒野。外傷は無いようだが、気絶している。


「私ガ使役シタイのハ虎じゃナイ。勿論こちラは陽動デス。サ、仕事は終わりマシタ。私は帰るとシマス」


弓弦の頭から、じわっと血が広がる。

利乙は業を煮やしながら、助けを呼びに奉行所へ走るしかなかった。


男は、帰寂はその場から去った。自身の神に報告をしながら。

誤字脱字報告ありがとうございます。

否定的なコメントはやめてくださると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ