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弐拾参 夕紅葉

本日もよろしくお願いします。


「ほら、怪我してるじゃない。確かに出血は無いけど、包帯してなきゃ駄目よ、治らないんだから……」


椅子に座らされ、琴葉は玉藻に隅々まで体を診てもらっていた。


医務室の中は、何だか変な香りで満ちており、人が慌ただしく通り過ぎている。


「ごめんなさいね、やっぱり、虎の葉怪のことで皆何かと忙しくって。さ、体力測定をしましょう」


そう言って差し出されたのは、みかんが沢山入った籠。ざっと見ても、五十はある。


「両手でどれぐらいの数、みかんを持てるか調べます!」


何故みかんなのかと琴葉が不思議に思っている間に、籠のみかんが玉藻の手によってどんどん増えていく。

重い。重い重い重い。


「七十八、七十九、八十……」


耐えようとしたものの、籠はそこで床に着いた。


「あらまあ凄い、ここまで行くのね。はい、休憩にしましょう」


終わった、出し切ったと、琴葉はにこにこ笑った。

その口に、玉藻はみかんを光の速さで突っ込んだ。


突然のことだったので、咽て吐き出しそうになるが、琴葉はぎりぎり口に押し戻した。

甘味と酸味が中に広がる。まだ若いのか、酸味が強かった。


「ふふ、私みかん大好きなのよ。美味しいでしょ?」

「っ、ほいひい、です」

「あら、そう言ってもらえて嬉しいわ~」


琴葉は、みかんを頑張って呑み込んだ。


「あ、あの……」


二人に、松葉杖で近づく男。午前中の火事で助けた人だった。


「ありがとうございました。命を救われました!」


男は、頭が膝に着くほどのお辞儀をした。琴葉はそれを見て、啞然とした。


「あの、拙い物になりますが、これを」

「あらまあ、みかんじゃない!」

「西の方で、みかん農家をしている家の者でして……」


なんたる偶然。

琴葉は差し出されたみかんを恭しく受け取った。


自分の頑張りが証明されたようで、何だか嬉しかった。


「はわ、良いわね……さ、次はお外で走りましょう。帰ってきたら、みかん十個が待ってるわよ!」


十個は流石に褒美にならない。琴葉は顔を引きつらせた。


― ― ―

あばら家の中で、吹きすさぶ風。

冷たいそれは、容赦なく水鞠の体温を奪っていく。だけではない。


痩せ細った子供たち、傷口が膿んで呻き声を上げている怪我人。今にも命の灯が消えてしまいそうな人々にも、厳しい野分(のわき)は平等に万籟(ばんらい)を響かせている。


「水鞠お姉ちゃん、怖いよ……」


親に捨てられ、身寄りを失った農家の子供の体を、水鞠は優しく抱きしめた。


あの幸せが、なんて脆く儚く大切なことだったのか、今は痛いほど分かる。


外が残酷なほどよく見えた。


地震で倒壊しかけたところを、少し補強を加えただけの家だ。

次地震があったら、無事でいられるかどうか分からない。


大坂では、度重なる余震に悩み続けていた。せっかく建て始めた家も、途中で崩れてしまう。


大工が転落して亡くなる事故もあった。

さらには、山の近くでは土砂災害、川の近くでは洪水と、酷い有様。まるで、何かの祟りのようだった。


「大丈夫よ、大丈夫、助けが来るから……」


自分で言って、頼りない声だと思った。

皆、限界だった。今宵も厳しい夜となる。月が煌々と辺りを照らしている。


葉が一枚、土間に舞い降りた。紅色の葉だ。


ふと、水鞠は琴葉と蒼葉のことを思い出す。


今頃はまだ旅の途中だろうか、路銀は尽きていないだろうか、厄介払いされずに、武家に手紙を渡せただろうか。


琴葉は、水鞠にとってどこか歪な子だった。

水鞠は、琴葉が〝変わった〟後に友達になったため、何故歪になってしまったのか、あの事件のことは、詳しく知らない。

けれど、歪であることは明らかだった。

喋り方はもちろんのこと、その在り方も、また普通とは離れていた。


琴葉は皆から、良い意味でも悪い意味でも特別視されていた。

女であるのに家業を継ぐ。細い体であるのに、大人をも一蹴するその脚力、体力を持つ。


走りを一目見てみれば、家業を継ぐわけも理解できる。

下手に男子を産むよりも、琴葉に継がせて、後継ぎは蒼葉の子供に、という方が合理的だ。


しかし、彼女を噂で知った生半可な者は、簡単に彼女や彼女の家族を悪く評する。

あの端正で儚さを孕んだ顔に、いとも容易く泥を塗る。


水鞠はそれが嫌で嫌でたまらなかった。散々陰口を言われているくせに本人はちっとも気にしていないのも、また水鞠の怒りに油を注いだ。


今思えば、自分がしていたことは単なる八つ当たりだったのかもしれない。


水鞠は琴葉の走りを支え続けた。蒼葉とも交流を重ねた。

琴葉が日課の走りを終えれば、びゅんと飛んでいって水を渡した。


このこと全て、自分の寂しさや苦しさを紛らわすため、だったのかもしれない。


両親に当たり散らされ、実ってしまった自己嫌悪を、琴葉にぶつけて、現実逃避――


「ちょっと、水飲んでくるね」


自分に縋りつくうちに眠り込んでしまった子供の手を、優しく解いて、冷たい畳の上に載せる。


外に出てみても、月はなんら変わりもない。

無常に、平等に、厳しく、優しく、水鞠を照らし続けている。


半壊しかけている井戸。桶を引っ張り上げて、喉に水を一口含ませる。


髪も服も、何日も風呂に入ってないせいで汚い。

ここまで大規模な地震となれば、設備を開放している親切な湯屋も、四町先にしかない。

身寄りもなく、役にも立てない自分たちが行ったとて、追い払われるのがオチだ。


「ここに残る皆は任せた。水鞠。心配事があればいつでも言いなさい」


ここに住む際に、吉久から言われた言葉。


このあばら家に住む者たちの中で、一番動ける年長者が、十六歳の水鞠だった。


寺子屋に住むのだろうと思っていた自分が、恥ずかしくて仕方がない。

この非常時、人が集まる場である寺には常に誰かが出入りしていて、自分たちなどが寝る場所は無かった。


今、水鞠の日常は、心配事でできている。

そしてそのほとんどが、自分自身の心配であることを、恥じるしかない。


人というのは単純だ。自分の命を最優先する。

しかし、助け合うからこそ、社会は成り立っていく。


水鞠は、自身が、誰かの恩恵を受けているだけであることを知っている。

そして、今までそれが普通だと思っていたことを、不甲斐なく思っている。


水面に映る顔は、あの頃の純真さも、当たり前のように感じていた痛みも失っていた。

今、琴葉が自分を見たら、本当に自分だと分かるのか。水鞠は思考せざるを得なかった。


ぽたりと、井戸に涙が落ちた。


いけない、皆が使うものなのにと、思わずにはいられない。

しかし、体が思うように動かなくて。

無理に動かしたら、そのまま井戸に落ちてしまいそうだとも思って。

ぽたぽたと涙だけが、井戸の中に落ちて逝った。


「琴葉……」


あの子の前だけは、姉でありたかった。

あの子が育っていくのを見るだけで、自分も世間の役に立っていると錯覚できていたから。


「馬鹿なお姉ちゃんでごめん……」


あの子は今も走っているのかもしれない。

心の中に深い悲しみと、希望を抱きながら。


だが自分はどうだろう。ここでのうのうと生きている。ただそれだけ。

大人のように働けもしない。今、あばら家の中にいる命を、守ることさえも。


水鞠は、助けを欲していた。


自分が憎い。何もしなかったくせに、助けてと言い張る自分が憎い。


神様、仏様にも見捨てられて当たり前だ。親にだって。


でも、どうか、あの子にだけは。


秋風が吹いた。葉擦の音がした。手紙は、届くべき場所に届いた。


水鞠は、琴葉の姉である。これからも。

― ― ―


息を荒くして、琴葉はようやく奉行所の前に戻ってきた。

夜道を走るのは好きだ。好きだが、全力疾走は流石に疲れた。

普通の人なら、明日の分の体力を温存しなければいけない。だが、琴葉は眠れば完全に回復する馬鹿体力の持ち主なので、そこは心配なかった。


「はい、みかんどうぞ!」

「……ありが、とう」


琴葉の手の中にみかんが積み重なっていった。腹はもうすでに張っている。


「本当ならもう少し調べたいんだけど……蒼葉ちゃんを待たせてるものね、ここまでにしましょう」


琴葉はその言葉を聞いて、思わず胸を撫で下ろした。みかんは蒼葉にあげることにした。


「それにしても……凄い記録。飛脚だっていうのは知っているけれど、何か秘訣でもあるの?」


秘訣と聞いて、琴葉は気ぶっせい思いに囚われた。


言姫の言葉を聞き、葉怪の影響を濃く受けていると指摘された、あの瞬間。

琴葉の脳裏に過ったのは、五年前の秋のこと。


まだ幼かった自分が、森で出会った〝あれ〟と、それから成長速度を上げた、自分の運動神経のこと。


「……嫌だったら言わなくて良いけど……抱え込むより、話してみた方が何かは変わるよ。私はお医者さんだから、琴葉ちゃんのこと、しっかり診るよ。しっかり話すよ。絶対に、はなさないから、大丈夫」


玉藻は、暖かい笑みを浮かべた。琴葉は意を決し、話すことにした。


「五年前、大坂で。私が、寺子屋、へ、行くときに。森へ、入った、んです」


言葉を重ねる。


「そしたら、奥、から、男の人、みたいな、ものが来て、私に、何かを、して」


不安の色をこれ以上顔に出さないよう。


「それから、練習、重ねる、ほど、足速く、なったり、力、強くなったり、成長速度、が、急に、なった、んです」


玉藻は、その話を聞き、何かを考えているようだった。


その真剣な横顔を見て、琴葉は堪らず不安になった。

自分はやはり変だと、何かの病気や祟りなのだと思うと、それだけで心の置き場が針の(むしろ)になる気分だった。


「大丈夫、なるほど、それはおそらく……育の葉怪の効果だと思う」


玉藻の言葉に、琴葉は目から鱗が落ちた。


「育の葉怪は、前に一度植物に試してみたことがあるの。人にも利くんだね……だから千代ちゃんが読めなかったのかな……ああ、気にしないで……これはただの憶測よ。

本当に、育の葉怪なのかどうかは分からない。けど、お医者さんとして保証します。

琴葉ちゃんの体には、どこも悪いとこなんて無いし、それどころか、私たちの役に立てる戦力だよ!」


冬の日に似合わぬ向日葵の笑顔でこう言われれば、琴葉の口角も自然と上がる。


自分が育の葉怪の影響を受けている、というのは、一番現実的な話だった。


しかし、不思議なこともあった。あの男が発した、神という言葉。

葉怪は、所詮ただの妖。それを使っただけで、神を生じさせることなんてできるはずがない。


「もしかしたら、琴葉ちゃんは葉怪の影響を受けやすい人なのかもしれないね。千代ちゃんと同じように……」

「千代、さん、も……?」

「ん、そうだね。千代ちゃんは若の……あ、やっぱいいや……ごめん、忘れて?」


玉藻は、慌てて取り消した。

物凄く気になる焦り様に、琴葉はつい問い詰めたくなったが、寸前のところで言葉を呑み込んだ。そろそろ帰らなくてはならない。


「じゃあ、またね、琴葉ちゃん。蒼葉ちゃんにもよろしく。元気にしてるのよ~ みかん、いっぱい食べるのよ~」

「は、はい。いっぱい、食べ、ます」


玉藻に見送られ、琴葉は、早歩きで勤番長屋に戻っていった。


「ただい、ま」


部屋の中は、しーんと静まり返っていたが、暖かい静けさであった。

畳の上には、二人分布団を敷いたらしい蒼葉が、寝息を立てている。

枕元には、おむすびが四つ。きっと、明日の昼に向けて、作っておいてくれたのだろう。


「おやすみ、なさい」


荷物を横に寄せて、自分も隣の布団へ寝転がる。

蒼葉の背中をじっと見つめながら、琴葉は意識を手放した。

罪悪感だけが残った。


― ― ―


「この世のなごり、夜もなごり、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ」

「曽根崎心中デスカ、風情がありますネェ」

「へえ、君、風情分かるんだね」

(わたくし)も、ここにイテ短くありませんカラ」


二人の影は忍び寄る。


「心中デモ、スル気なんデスカ?」

「ふっ、面白いこと言うね。私が心中なんてするわけないでしょ、もう……

明日死ぬのは錦ちゃんだよ。

あ、もう錦ちゃんじゃないか。確か、葉月ちゃん? 可愛い名前だよね。……帰寂(きじま)さん、そういや、よく付いてきたよね」

「狂利サマカラ、ご褒美ヲ貰えるトノコトでしたノデ。」

「現金だよね~ 帰寂さんったら。この不帰(ふき)ちゃんにそっくりだよ」


二人は走る。夜道を、音も立てずに。声すらも揺らさずに。


「葉月ちゃん、本当、可哀想だなぁ。狂利様の駒であることに、喜びを見出せないなんてさ」

「彼女ナリノ、セイギがあったのデショウ」


光あるところに影ありと言うが。


「へえ、帰寂さんってそういうこと言うんだ。か弱い私には分かんないや……って、なんか来たね。どうする? 撤退する?」


影あるところに光ありとも言う。


「気づかれテハ、狂利サマの命に背きマス。かとイッテ、彼女ガあちらのテに渡ってモいけない。錯乱スルとしまショウ」

「りょーかい、化」

「化」


二人の影は、忍び寄る。

誤字脱字報告ありがとうございます。

否定的なコメントはやめてくださると幸いです。


六月中に書けているところまで終わらせて、いくつかのコンテストに応募するかもです。

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