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弐拾壱 青梅

本日もよろしくお願いします。

若干長すぎるかも……


琴葉が考え込んでいたとき、お盆を持ってこの部屋へ入ってくる、二人の影が視界に入った。


零葉と、千代(ちよ)。千代は、顔合わせのときにいた女性だ。大奥にいても驚かないほどの美人であるため、とても印象に残っている。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん、あの人たち誰?」

「千代、さんと、零葉、さん」


蒼葉が憧れの眼差しで二人を見た。


千代と零葉は物凄く絵になっていた。燐火と常盤の宴会芸も、二人の前では露と消えている。


零葉は風呂に入ってきたのか、髪の先が濡れていて、朝顔柄の湯帷子を纏っている。

零葉は喋れない。いただきますさえも、手を合わせるだけだ。それが返って幻想的だった。


「素敵ね……」


側にいた玉藻も呟いた。すると、零葉は急にこちらの方を見て、私を指さした。


「どうかなさいましたか?」


千代が聞くと、零葉は指を動かし、文字を書く。


兎と、書いているようだった。


琴葉は、はっとして蒼葉を見た。今日の朝、葉月にもらった兎の葉怪を、今、零葉が視たということか。


「え、江戸、にいた、私たちの、親族、に、もらいまし、た。蒼葉用、です」


嘘を吐くのは心が痛むが、琴葉は徒世と葉月を、できるかぎり秘匿することにした。草葉の光での、自分たちの立ち位置がしっかり成立するまでは、まだ。


それに、江戸に家族がいるというのは、間違っていない。

二人の母は、江戸の商家で働いていた。

父も、日本橋瀬戸物町で生まれた町飛脚、十七屋の長男だ。

二人は出会い、瞬く間に結ばれたが、お互いの親はそれを許さなかった。

その後、二人は駆け落ちをして、大坂へ来た。


つまり、父母の家族は江戸にいる。父母は亡くなりましたとだけ、言っておいた方が良いのだろうかと琴葉は思考して、すぐに放棄した。今は、忘れていたかった。


「そうですか。兎は良い葉怪ですよ。良かったですね」


千代は頬を緩ませる。零葉は興味が無くなったのか、また食事に戻った。


「びっくりしたね」

「う、ん」


葉怪を視る【葉視】それがあるからこそ草葉の光という組織は、存続できている。


燐火に聞いた。

怪奇はずっと、朝から晩まで仮眠のみで、街を見張っているそうだ。

だからここにもいない。今日姿を現したのは、随分珍しいことらしい。


「ちょっと何、貴女、兎持ってるの? 見せてくれない?」


いつの間にか背後に近づいていた燐火が、子供ながらの歯に衣着せぬ言い様で、蒼葉に詰め寄る。


「う。分かったよ。使い切りじゃないよね?」

「ええ。……兎は、まだ持ってないの。お金が貯まれば買えるんだけどね」


いくら草葉師でも子供の給金では、葉月が家の中で一番高いと言っていた兎の葉怪を買うことなど、不可能なのだろう。


「兎!」


橙色の光が迸り、兎の姿が蒼葉の両手の上に現れる。


「可愛い……」


毛並みは生成色、鼻は珊瑚色。目はくるりんと愛らしい。可愛さの塊だ。

そんな兎を見て、琴葉はつい、愛玩用か……と、若干気落ちした。

草葉師に毒されすぎていた。


「兎は速いのよ。そして賢いの。蒼葉、走るように指示してみたら?」

「えっと……じゃあ、走ってくれる?」


視界から、兎が消えた。


「速……」


兎は、机の下をくぐり抜け、二秒ほどで部屋の端から端へと動いた。


「竜には及ばないけどね。ちょっとした荷物なら、すぐに届けられると思うわ。後、これぐらいの小動物なら大きさの調節が可能よ」

「燐火、詳し、いね」

「そりゃ私、葉怪使いって言われる戦闘の仕方だから。自分は捕まえるだけ、戦うのは動物たちにやってもらうのよ」


そういうのもあるのかと、琴葉は手を打った。これからは自分も、攻撃を巴に任せることになるかもしれないと思いながら。


「大きくなってくれる?」


蒼葉の言葉を受け、対角線上の机の下で、ぐんぐん大きくなっていく兎。

机に当たるのではと思いひやひやしたが、そのぎりぎりで成長は止まった。


「わあ、可愛いっ……!」


すたすたと蒼葉は走っていって、自分の身の丈の半分ほどになった兎に激突した。ふわふわの毛皮が蒼葉を埋める。


「蒼葉なら乗れてしまいそうね。速さは劣ってしまうだろうけれど、十分なはずよ。しかも、跳躍力もあるから、塀だって軽々。ただ、戦闘能力は無いからね。便利なだけ」


兎がいたらもう、飛脚の仕事は必要無いも同然。

不気味でもないし、将来草葉師を辞めても、この子がいれば安心だと琴葉は考えた。


……ちょっと時期が速い。達観しすぎである。


「じゃあ、今回も私が名前を……」

神南(かんな)、神に南で神南にする!」


燐火を蒼葉が制した。燐火は悔しそうにしていた。


「ふん、仕方ないわ……二人とも、一緒にお風呂行きましょ」

「はーい、行こう行こう。葉っ!」


兎は葉に戻る。蒼葉はその葉を帯に挟み込む。

普段、琴葉が葉怪を閉まっている場所だ。姉の真似が楽しいお年頃。


三人が戸に手をかけた時、背後から沢山の声が聞こえた。


「じゃあねぇ!」

「元気しとけよ!」

「ふん! 気に入ったぜ!」

「ありがとうございます! 助かりました!」


琴葉と蒼葉はぺこりと頭を下げ、返答する。


「……あ、ありが、とう、ございま、した……皆さん、も、お気をつけ、て」

「お気をつけて!」


部屋の奥に座る二人。千代と、零葉とも、目が合う。


零葉の、静かな水面のような瞳は、やはり、葉月に似ていた。

あれで、視ているのだ。言姫の力を持つ、葉の妖、葉怪の光を。


― ― ―


「爺さん。どうだ、あの二人は」

「非常によくできた子だ。あの歳のお前を思い出すと、あの子たちの頑張りに涙が出てくる……あれを、健気と言うのだろうな」


呉竹と利乙は、書斎で会談を行っていた。

建前上は上司と部下だが、幼い頃からの付き合いもあり、その様子はまるで親子か兄弟。


「草葉師としての腕はどうだ?」

「燐火に聞いたところ、姉の方はやはり、足の速さはぴかいちだと。妹は何よりも喋るのが上手い。六歳であれは才能だぞ。洞察力にも優れているように思える。利発だな。ま、草葉師としては、姉に任せた方が良いだろうが」


食堂での起承転結を、陰からこっそりと見ていた利乙は、琴葉と蒼葉に対してそんな判断を下した。


「できれば姉妹でやらせてあげたいが。いや……そちらの方が危険か。分かった、琴葉たちが帰ってきたら、また考えるさ」


呉竹が、書いていた文書を使いの者に渡す。幕府への書類だ。


「ああ、そうだな……草葉師と鳶職の殉職率が同じだなんて、魂消たものだ。そう考えると、怪奇にも随分と世話になったな。どうだ? たまには、お前が直々に労ってやったら」


呉竹は、ふんと鼻息を荒くして突っぱねる。


「死んでもごめんだ。生意気な奴だ、あいつは。爺さんの若い頃にそっくりだよ」

「そうか? お前の若い頃の方が似ていると儂は思うが」


軽口の飛ばし合いも、この二人だからこそ成せること。


「はは、じゃあ失礼するぞ」

「爺さん、またな」


利乙の足音が遠ざかっていく。

呉竹は溜息を吐き、屋根裏の気配を呼んだ。


「千代」


颯爽と降りてきたのは、千代だった。


「どうだった、零葉は」

「……分かりませぬ」

「ほう、お前が分からないとは久しいな、いや……琴葉も、だったか」


千代はその美しい花の(かんばせ)を、苦虫を噛み潰したかのように変える。


「お二方は、怪奇様などと同じく、葉怪の影響の深い、読めない人でござんしょう」

「読めない……か」


千代は呉竹に身請けされた元遊女であり、くノ一に近い技業を持つ。


それだけでなく、生まれつき特別な才能があった。千代は人に触れることで、その者の断片的な記憶が読めた。文章となって、頭の中に浮かんでくるのだ。


「少なくとも、零葉様のことは私にお任せを。無理に吐かせることはしませんが、少なくとも草葉の影の者かどうかは判断いたします」

「頼む」


呉竹は背伸びをした。千代は呉竹の前にお盆を置く。

その上には、琴葉たちが食べたのと同じ食事があった。


「……千代、琴葉たちがそろそろ風呂から戻ってくる。念のため行ってくれ」

「承知いたしました。仰せのままに。再会を祈って」

「再会を祈って」


そう、草葉師の殉職率は高くない。

但し、別働隊『金烏玉兎(きんうぎょくと)』は違う。


草葉の影を、追う者は。


― ― ―


「はーお姉ちゃん、今日も一日、お疲れ様!」


お風呂からの帰り道、蒼葉が琴葉の横にくっつく。


お疲れ様と言うのなら、寄りかかるようなことは止めてくれと思いながらも、琴葉はふっと笑みを浮かべた。


「そうだ。湯帷子、ありがとうございます。貸してくださって。千代さんっ!」


蒼葉は紅潮した頬を、隣で歩く千代に向ける。


「悪漢に襲われたら大変と思い、ではついでに私の好きな物をお二人に着てもらえたらと、お節介にも考えただけですから。零葉様も、まだお食事が終わらぬようでしたので」


三人が風呂から出ようとしたところ、入り口で待っていたのが千代だった。

その場で湯帷子を貸してもらい、着てみたのが少し前のこと。ちなみに、燐火は自前の物を着た。


「ふふっ、嬉しいです。お姉ちゃん、可愛い」

「蒼葉、も」

「ふん、私も褒めなさいよね!」


小さい声でこそこそ話をする。

穏やかな時間。夜の冷気が、湯帷子から入って、琴葉の肌を掠める。少しだけ、寒い。


「……今夜は三日月ですね」


千代の手から伝わる温かい月華が、三人の心を照らしていた。


「じゃあ千代さん、またいつか」

「ええ。また」


書斎へ入っていく背中、美しい横顔を、三人は見送った。


「お姉ちゃん、私、あんな人になりたいな」

「蒼葉は、今でも、十分、だよ」

「もーお姉ちゃんったら」

「貴女たち本当、いい加減になさい……」


裏口の前、そろそろ別れるかというとき。

どたばた足音を立てて、玉藻が走ってきた。


「ごめんなさい、琴葉ちゃん。ちょっと怪我してたでしょ? 怪我の様子見るのと同時に、体力測定もしたくって……お風呂入ってすぐなのにごめんなさい、でも気になって仕方なくて。お願い、医務室に来て!」


そう言って、玉藻は顔の前で手を合わせる。

琴葉は蒼葉を見た。もうすでに日は暮れている。六歳は寝る時間だ。


「蒼葉、先に、帰って、いて」

「……分かった。早く帰ってきてね!」

「大丈夫、すぐ終わらせるからね」


燐火はじとっと玉藻を見た。燐火は知っている。玉藻の検診というものを。


「燐火ちゃんもする?」

「止めておくわ」


即答だった。


「ささ、行きましょう、琴葉ちゃん」

「は、い……蒼葉、燐火、また、ね」

「うん!」

「ふ、精々頑張ることね」


玉藻は琴葉の手を引き、医務室に向かった。


― ― ―

虎が野山を駆ける。釣瓶(つるべ)落としで夜が来た。


雨で少し濡れた身躯(しんく)を乾かすように、今は虎の背に寝転がり、柄杓(ひしゃく)星を見つめている。


本当ならここらで一眠りしておきたいが、揺れと襲い来る不安で、全くと言って良いほど、寝られるものではない。


影も光も敵にして、今こうして逃げ続けている。

逃げた先に、何があるかどうかも知らない。


一人がこんなに空しいなんて、思っていなかった。


逃げ続けた先の希望すら、考えるのをやめてしまった。


袖振草無くして、月見はできない。

もし袖振草があっても、今日の月は黒雲で隠れている。

誤字脱字報告ありがとうございます。

否定的なコメントはやめてくださると幸いです。

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