弐拾 白真砂
本日もよろしくお願いします。
食堂の武士部屋は、江戸城の一室のような、広い空間だった。
まげの整った武士たち。半分しかない壁で仕切られた向こう側では、多くの女中が料理中。
燐火は無言で、一人の女中に十四文を渡した。
昼に食べた一膳飯屋が二十四文。十四文とは随分安い。
「ほら」
琴葉は、蒼葉の分も一緒に手渡した。女中は銭を数えた後、こちらに向けて微笑んだ。
「三つ、頂きました」
流石、武士の勤める場所の女中は、上品さが違う。
琴葉は遠い離れた大坂にいる友、茶屋で働く水鞠のことを思い出し、少しだけしんみりした。
程なくして、別の女中が、人数分のお膳を仕切りの上に並べる。
「行きましょ」
それを一人一つ持って、隣の別部屋に移動する。
「皆、こんばんは」
「初めまして、こんばんは!」
「こんばん、は」
中では、十人余りが忙しなく食事していた。
多くが武士ではない庶民で、ここに勤めている女中や庭師の姿もある。雑務班の所属なのだろう。
「あらあ、燐火ちゃんじゃない。それと……琴葉ちゃんに蒼葉ちゃんね。よろしくねえ」
二人は、そう声をかけてくれた人の隣に座る。
綺麗な班入り櫛をつけた、妙齢の女性だった。
「どうも、玉藻よ。改めて自己紹介するわね。私は、草葉の光専属のお医者さん。半年前に、母から家を継いだばかりの新人なの。お互い、頑張りましょうね。何かあったらすぐ聞いて」
人となりの柔らかい、母性に溢れた人だ。
琴葉が考える医者とは、少し差があった。
仕方がない。医者は、大概が変人ばかり。
その中、玉藻と玉藻の母は、皆に頼られる、比較的立派な医者だった。治療方法が少し特殊ではあるが。
「いただき、ます」
「いただきますっ!」
分厚い壁は、こちらの音も声も、向こうの部屋へ通さない。
「美味しい!」
「ふふ、蒼葉ちゃん、可愛いわねえ」
玉藻は蒼葉の頭を撫でる。昨日付けたあの簪が揺れた。
琴葉も、一口食べてみて頷く。野菜と玄米とお味噌汁という、庶民に相応しい簡素な献立だ。十四文でこれは嬉しい。
「あ、柾のおっさん。明日の読売、刷り直しになったんだって?」
「おお弓弦くん。それがね、二つ刷ることにしたんだよ。一つは地震、二つ目は竜のことだな。大丈夫だ、上手いこと誤魔化しとくから、葉怪だとばれることはない。おっさんに任しておけ」
隣の机では、髪を伸ばして根結いの垂髪にした男子と、ひょろりとした男が会話している。
男子の方は、確か真矢弓弦と言ったか。
没落寸前の武家の出で、家のために働いているのだと話していた。
「あの男の人は、顔合わせのときにはいなかったわね。柾さんよ、版屋をしてるの。情報屋さん。奥さんがそれはまた美人でね、女髪結なのよ。こないだ私も髪を結ってもらって……」
玉藻の喋りに、相槌を打ちまくる蒼葉。琴葉は垂れてきた横髪を耳にかけ、味噌汁を啜る。
「あぁ、何だよ。やろうってのか?」
「ええ、勝負よ! 味噌汁のお代わりを賭けて!」
聞こえてきた声に、琴葉はお味噌汁を吹き出しそうになった。
琴葉の背後には、燐火と、髪や腕、足を、薄い青に染めた男がいた。
顔合わせのときもいた人だ。名前は常盤で、身体中が青いのは紺屋だったから、と言っていた気がする。
二人は、器を持って慌てている女中の前で、何やら争っていた……お味噌汁のお代わりを賭けているらしい。
「全く、あの二人はいつもこうなの。沢山食べるのは良いんだけれど、怪我しないで欲しいなぁ」
玉藻がおっとりと二人を眺める。
そんな怪我するほどの喧嘩なのかと不安に思いながら、琴葉はお味噌汁を啜り直す。
「よし、今日はお手玉よ!」
琴葉は再度お味噌汁を吹き出しそうになった。
怪我するわけがないと思い、今度は玄米を口にする。
背後から風を切る音が聞こえてきた。
「あれ、始まるとなかなか終わらないの」
隣の蒼葉の手から茶碗がするりと落ちたので、葉怪を捕るときと同じ速度で、琴葉は茶碗を捕まえた。
そして現実を直視。
「おりゃー!」
「うおー!」
「近づかないようにね。あれ、当たると結構痛いから……」
玉藻が怖いことを呟いた。
二人が操るお手玉は、おそらく三個ずつのはず。
しかし、それが物凄い速度で投げられることによって、幾つもの残像が生まれている。
「……玉藻さん、あれ、勝ち負けって何で決まるの?」
「それはあの女中さんが決めるの。芸術? らしいわ。お手玉は」
試合が始まってしばらくして、女中は覚悟を決めたような顔つきになった。
「新入りさんだから、まだ慣れてないんだわ。可哀想に……どちらを選んでも、酷い目に遭うのよ」
結果に何となく想像がつき、琴葉は唾を呑み込んだ。
女中さんが手を上げ、振り下ろす。試合は終わった。
お手玉は、ちゃんと三つずつ、二人の手の中に落ちた。
「……り、燐火さんの勝ちにします!」
「ふふん、常盤、今日のお味噌汁は私が貰うわ」
「何だとぉ! ぜってえ俺の方が上手かったし!」
年下相手に譲らない常盤が悪いのか、いちいち煽る燐火が悪いのか。
「許さねえ!」
常盤の腕が、味噌汁に伸びた瞬間、琴葉はそのお味噌汁が床に広がるのが〝視えた〟
それに合わせて体を跳ばす。
腕を限界まで伸ばし、地面にすれすれになりながら、落ちるお味噌汁の下に、必死に手のひらを合わせていく。
すとん。
奇跡的に、お味噌汁は溢れず、地べたに寝転がる琴葉の手のひらの上に、乗った。
「おおー」
意味のよく分からない拍手が響いた。
「ありがとうござ…え?」
女中が感謝の言葉を紡ぎ切る前に、琴葉は味噌汁を飲む。
「そ、それ私のよ!」
燐火が抗議の声を上げるが、琴葉はお構いなしに全て飲み干していく。
「私が、いなく、ても、燐火は、飲めなかった、でしょ」
呆然とする女中の持つお盆の上に、お椀を乗せた。
「美味し、かった、です」
「……っ~! だからって飲むだなんて、人でなし!」
熱り立つ燐火に、琴葉は眉を顰めて言い返す。
「味噌汁、なんだから、半分こ、すれば、良い、のに。女中さん、困って、た」
こう言われては、燐火も常盤も、ぐうの音もでない様子だった。
琴葉はちょっとすかっとして、元の席に戻る。
蒼葉は、お姉ちゃん時々こういうときあるんだよな、と何やら言いたげな視線で姉を見つめた。
「はは、琴葉ちゃんやるなぁ!」
一拍置いて、柾が大笑いした。他の皆も笑い出す。
溜め込んでいた何かが破裂したように。
総出で探した虎の葉怪が見つからなかった。
一人一人が、自分の至らなさに項垂れていた。
今日はそんな日だったのだ。
燐火と常盤は指を刺されて憤っていた。
観衆たちは二人に、宴会芸としてのお手玉をするように言い始める。
「もう! こうなったら私の実力を今度こそ示してやるわ!」
「喜べ! 今宵は俺の技を二回も見れるぞ!」
二人はやけくそになって、再度お手玉を始めた。
「仲が良いんだか悪いんだか。燐火はいっつもああなんだよ。俺にも突っかかってくるし」
弓弦は燐火の方を見て、溜息を吐く。
「そういうお年頃なのよ。弓弦くんにもあったでしょう?」
「ないです!」
「あらあら、まだ終わってないみたいね」
玉藻が弓弦を揶揄っている様子を横目に、琴葉はふっと息を吸って、吐いた。
今日からここが、普通なのだと、自分自身に言ってみる。
それは案外、すんなりと心に入って、収まるところに収まっていった。
「琴葉ちゃんと蒼葉ちゃんだね。よろしく。柾だ。反射神経が良いんだね」
琴葉は顔を上げ、柾に向き直った。
「そうだ、これは情報屋としての興味もあるんだが、君たちが葉怪のことを知ったのは何時、どこのことだ? 葉怪は、民間人には隠されているだろう。君たちはぱっと見、普通の女子のように見えるからなぁ。気になったんだよ」
蒼葉は琴葉を見た。自分が話すから、話しちゃ駄目なことを教えて、という目をしている。
琴葉は徒世と耳打ちした。蒼葉はそれを受けて、喋り出す。
徒世は、はぐれの草葉師。もうすでに亡い徒世のことを口に出せば、草葉の影ではと勘繰られる可能性がある。大切な故人を、むやみやたらと探られる立場に置くのは憚ったのだ。
「地震の報告をするために二人で走っていたら、道端に落ちていた読売を見つけて、そこで葉怪のことを知りました。そしたら、森で葉怪に出会ってしまって」
柾は、詳しく言及することはなかった。琴葉はそれを不思議に思うと同時に、柾の意図を理解しかねていた。本当に、ただの純粋な興味、なのだろうか。
「しっかし、不思議だ。葉怪についての読売は、限られた人物にしか渡していないんだよ。わざわざ落とすとはね……しかも、大坂の近くだろう?」
あの読売は、今頃旅籠屋の中のはずだ。捨てられているかもしれない。
旅籠屋へ行けるのは吉宗を届けてから。見た人が、葉怪のことを知ってしまう可能性も高い。
また、繰り返されてしまうかもしれない。琴葉に一筋の不安が走る。
「それにしても、大冒険だったねえ。帰ってきたら、明日からの冒険のことも教えてくれよ」
食堂を去っていく柾の背中を、琴葉はじっと見ていた。
何か裏がある、と思ってしまうのは、琴葉の良くないところだ。
しかし、琴葉が慎重であることは、蒼葉の安全にも繋がる。
「どうぞ、こちらへ」
琴葉が考え込んでいたとき、お盆を持ってこの部屋へ入ってくる、二人の影が視界に入った。
誤字脱字報告ありがとうございます。
否定的なコメントはやめてくださると幸いです。




