拾捌 彩雲
本日もよろしくお願いします。
日差しは強い。多少葉っぱで遮られていたとしても、からっとした暑さが身を刺す。
「蒼葉、本当、に、大丈夫……?」
膝に手を突き、ぜえぜえと息を吐く蒼葉の肩を、琴葉は摩った。
「だ、大丈夫だから! 後もうちょっとだし!」
燐火は、もう一足先に上にいってしまった。薄情だ。
「無理、しないで、ね」
二人は、何とか頂上へ辿り着いた。
視界に広がるのは、こぢんまりとした神社。
神主も特にいない。拝殿の手すりにもたれかかる、燐火の姿が見えるだけ。
「遅かったわね。早速遊びましょうよ」
蒼葉は歯ぎしりをするが、燐火は無自覚に嫌味を言っているようで、特に気に留めている様子は無かった。
「遊ぶ、って……?」
「鬼わたしよ! ……燕!」
燐火の手にあった葉怪は、変化して、小さくて可愛い燕となった。
「何その遊び?」
「え、鬼わたし知らないの? ほら、追いかける人と逃げる人に別れて……」
「あ、それなら知ってる」
「じゃ、おはねが鬼ね! 捕まったら、拝殿の中で待ってて!」
おはねが燕の名前と推測して、二人は一目散に、拝殿から離れた。
「神社から出ないでね! 物も壊しちゃ駄目だからね! それ以外なら何でもあり!」
燐火は、二人とは別方向に逃げている。声も、徐々に遠くなっていく。
「あ、巴は禁止よ!」
禁止事項が増えていくことに、琴葉は苦笑しながらも、思案する。
「お姉ちゃんまたね!」
「ん、気を付け、て」
蒼葉は茂みに隠れるようだ。
蒼葉にとって、遊ぶのは久しぶりのことになるはず。楽しんでくれたら何よりだ。
久しぶりであることは、琴葉もそうだ。家の手伝いをするようになった七歳頃から、ずっと、琴葉にとって走ることは義務で仕事。
「ぴーぴー! ぴちゅ!」
大空を羽ばたく燕、おはねが、琴葉に向かって突撃してくる。
体は小さいので、避けるのは簡単だった。
しかし、おはねはすぐ方向転換して、また激突してくる。
琴葉は近くの柏木に登り、そこから拝殿の屋根に飛び乗った。
のち、罰当たりなことをしたと後悔した。
「ちゅー! ちゅー! ぴー!」
埒が明かない。
琴葉は、おはねの目標を燐火にずらそうと、先ほど燐火が行った方向へ走り出した。
速さならば誰にも負けない。鳥にだって。
すぐにおはねと琴葉の距離は離れていき、燐火に辿り着く前に、おはねは琴葉を諦めた。
哀しい。
「ちゅぴ!」
「ひゃぁっ!」
遠くで蒼葉の声が聞こえた。どうやら捕まってしまったらしい。
「ふふ、そうでしょう。おはねは強いのよ……って、ちょっとおはねこっち来ないで! あ、いや、動き止めなくて良いんだけど……ああもう、葉怪相手だとこうなっちゃうのよね」
燐火の元へ行くと、境内社の一つに追い詰められていた燐火の目の前で、おはねが動きを止めていた。
使役者の「こっち来ないで」という命令に、反応したのだろう。
「仕方ないわ……一旦、水でも飲みましょ」
勝手に機嫌を悪くして、燐火は青筋を立てながら拝殿に戻っていった。
「嫌な奴!」
口を尖らせる蒼葉を見て、こっちもかと、琴葉はまた頭を抱えながら言う。
「……私た、ちも、休もう、か」
二人は、燐火の隣に座り込んだ。
燐火は地面に何かを描いている。木の棒と玉砂利の擦れる音が響く。
「ねーねー、さっきから気になってたんだけどさ、ここってどういうとこなの?」
「そうね。なんて説明したら良いかしら……元の名前は確か、暁闇神社。随分前に、神主一家が行方不明になって、それ以来ろくに整備もされてこなかった所。十年前ぐらいかな、組織の草葉師の一人が、ここを訪れたの。雪が降ってたから、仕方なく泊ったのね。そこで、巻物を見つけた。そこには、葉替えの替え歌のことが書いてあって……」
「葉替え? 替え歌?」
燐火は、地面に葉を描き、消して、また描いてを繰り返していた。
「そんなことも知らないの? 好きな葉怪を出現させる、葉替えを起こす歌よ。この暁闇神社は、葉守りの神である言姫様を祀る神社。葉怪は、言姫様の眷属だと伝えられているわ」
好きな葉怪を出現させる歌と聞いて、二人は目を点にした。
「葉替えの悪いところは、森から逃げられなくなるってところ。それに、確定で思い通りの葉怪が出るとは限らないの。うちには怪奇がいるから、そっちの方が安全よ」
逃げられなくなる。
それを聞いて、蒼葉は無意識に、刀の葉怪を思い浮かべた。あのとき、蒼葉が逃げなかったら、琴葉の命も無かった。
逃げるのは、命を守るために大切なこと。それができなければ、確かに安全とは言えない。
「話を戻すわね。巻物を持って帰った人は、組織に暁闇神社を守るように進言したの。でも、葉怪を知らない神職に任せるわけにはいかない。江戸に近かったから、じゃあここを修業場にしようってなったのよ。管理は、私の母が行っていたらしいわ。母がいなくなってからは、名目上、私が管理者ってことになってる」
「え、母? 燐火のお母さんって、燈火さんでしょ?」
そうだと思っていた二人は、思わず燐火の方に身を乗り出した。
燐火は静かに首を振った。
「……私が生まれて四年後に、父と一緒に、夫婦で行方不明になってしまったの。燈火さんは、母の妹よ」
「そう、だったんだ。ごめんね」
琴葉も蒼葉も、眉を三角形にして、ぺこりと頭を下げた。
「いや、良いのよ……ここだけの話、父母の顔も声も、私はもう覚えてないの――必ず、父母を取り戻すと誓ってくれた燈火さんには、このことは言わないでね」
燐火は、人差し指を唇に当てて、切なげに笑った。その様子は、燈火に似ていた。
「お母さんとお父さん、戻ってくると良いね」
「ふふ、貴女たちも、早く里帰りできると良いわね」
「……うん」
蒼葉は、言いにくそうに頷いた。
自分たちの父母が戻ってくる可能性は、零に等しかった。
「じゃ、今度は琴葉が鬼で……」
ぐぅ。燐火のお腹が大きな音を立てた。
それを蒼葉が笑うものだから、燐火の顔が火を噴く。
「燐火、私も、お腹、空いた。おすすめの、食べ物とか、ある?」
「……少し北の方になるけど、紹介できるわ」
燐火は神社から逃げるように、凄い力で二人を引っ張って、見晴らしの良い高台へ行く。
「どうせ、ばれやしないわ。巴に乗っていきましょう」
よほど腹が空いていたらしい。
今にも何かを食べたいという気持ちが、手に取るように分かる。
琴葉は仕方なく巴を出して、二人を乗せた。
― ― ―
竜が空を飛んでいる。
東北の宙に浮かぶ、昼間の流れ星。
「あの子、たち……」
錦、いや、葉月は、走っていた。
逃げていた。
化け物たちから。
江戸を抜けた辺りで、自分の足で走ることは止めた。
「虎」
本当は、二人で逃げようとしたのに。
― ― ―
燐火が案内したのは、一膳飯屋だった。
「三つ頂戴」
「はいよ、そこの座敷で待ってな」
昼頃だが、他の客は数名しかいない。落ち着きのある、知る人ぞ知る名店なのだろう。
「お待ちどおさま」
一つ二十四文の定食。大根菜飯、魚、お味噌汁。鉄板の組み合わせ。
「いただ、き、ます」
「いただきます」
「いただきます」
三人は箸を手に取り、食べ始めた。
「美味しいっ!」
蒼葉は思わず舌鼓を打った。
燐火はほっぺたをぱんぱんにして、無心に大根菜飯を食べている。
「……へへ、ふはひあ、あひはへふっはふふほ?」
琴葉は全く分からなかった。
「そうだよ。明日で出発。またすぐに帰ってくるけどね」
「ほー…」
蒼葉は分かったらしい。
何故。
琴葉が、その後も続く燐火と蒼葉の会話を、小首を傾げながら聞いている内に、もうお膳の上は空になっていた。
「ご馳走様」
「ご馳走様でした」
「ご馳走、様で、した」
そしてお代を出すというとき。
燐火はやけに、がさごそと懐を探っている。
「……」
何やら言いたげだ。
琴葉は嫌な予感がして、とりあえず溜息を吐いておく。
「……お金、忘れた」
燐火はその場で崩れ落ちた。
「声ちっちゃ」
そこに蒼葉が追撃を入れるものだから、燐火は落ち込みに落ち込んだ。
「こら、蒼葉。燐火、今は、私が、出す。この後、奉行所、に、帰ったら、いい」
「……ありがとう」
その顔に紅葉を散らしながら、燐火はそう言う。
素直じゃないなと琴葉は思いつつ、昔は蒼葉もこんなだったと感慨深くなる。
地震の所為で、随分大人っぽくなった。
でもそうすると、蒼葉の方が精神的に姉なのか。やはり燐火は妹か。
「気前良いね、嬢ちゃん。お代は七十二文だ」
じゃらじゃらと音を立てる小銭を、琴葉は店主に渡した。
お釣りは必要ないと言う。数えるのが面倒だった。
「また来てな!」
人がいない通りへと抜けると、燐火は二人を振り返る。
「……奉行所へは私だけで戻るわ。今は皆、気が立ってるから、できるだけ二人は顔を出さない方が良いと思うの」
「分かった。私たちはあの神社で待ってたらいい?」
「ええ……また後で」
燐火は犬に飛び乗って、遠くの方へ消えていった。
陽は傾き、山々に差し掛かっている。
二人は、今度は歩いて、暁闇神社へ帰った。
燐火がいなくなった後の神社は、少し味気ないようにも感じた。
「お姉ちゃん、何する?」
蒼葉が姉の方を振り向く。
柏の木から、葉っぱがふわりと落ちていく。
臙脂と山吹が重なり、美しい赤朽ち葉を作り出していく。
そして、その葉は、石畳に触れ――
一人の、少女となった。
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