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拾漆 薄氷

本日もよろしくお願いします。


様子がおかしい。


二人の進行方向から、雪崩れ込むように人々が走ってくる。遅れて、誰かの大声が聞こえる。


「火事だ! 火事だ!」


二人は息を呑んだ。巻き込まれる人の波の中で、しっかりとお互いの手を握った。


「お姉ちゃん!」

「蒼、葉っ!」


二人で右の、呉服屋の方に駆け込む。


呉服屋にもすでに人気はなかった。

家財一式を詰め込んで、逃げ出している人がほとんどのようだ。


「お姉ちゃん、空、見て」


空を、琴葉は見た。

煤竹色に染まった雲が、遅れて押し寄せている。

二人が地震の風景を思い出すには、十分だった。


「ねえ、逃げよう、竜で逃げようよ!」


道の方に琴葉は身を乗り出した。

まさに燎原の火。

家を隅から隅まで燃やしていく。


「お姉ちゃん……」


火の手は近いと肌で分かった。


「助けてくれ! 誰か!」


そのとき、近くで聞こえた悲鳴。咳き込む音。

二人より火に近い一軒の家の前で、瓦礫に足を取られて動けない人がいた。


「蒼、葉!」


意図は、名前を呼ぶだけで通じた。

蒼葉は一目散に、悲鳴の元へ走っていく。


「大丈夫です。私が体を持ち上げます!」


琴葉は道に出て、竜の葉怪を取り出した。


「竜」


琴葉の声に応えて、竜がその姿を表した。今日は、その背には乗らない。


「瓦礫を、退かし、て」


火に負けず劣らず真っ赤な顔で力む、瓦礫の下の男。

蒼葉がその腕を力の限り引っ張っているが、相当の重さらしく動けないようだ。


男を封じる瓦礫を、竜は硬い鱗を打ち付けて跳ね飛ばした。

あっという間に体から離れていく瓦礫に、男は唖然とする。


しかし、男の足は潰れて出血していて、骨も折れているようだった。

二人は竜の背に男を乗せようとするが、上手くいかない。

そうする間に、火の最前線が近づいていく。


「水」


透明感のある清らかな声。


その声の持ち主の手から、水が(たぎ)り、滾々(こんこん)と焔へ流れ出す。


「燐火……?」


水の葉怪で、消火を行っていたのは燐火だった。


「怪我人は後。早く竜で家を壊して」


二人は、男を担いだまま尻込みする。

怪我人を救うのか、火の手を食い止めるか。


「で、でも…」

「早く!」


後ろ姿だけだというのに、燐火には、蒼葉の言葉を消す抑圧感があった。


蒼葉は、呻く男を竜から下ろして、傷口を風呂敷で塞いで止血した。


「周りの家、を、壊して」


竜はその尻尾で、簡単に家々を崩していった。


燐火の水と竜によって、猛威を振るっていた炎はあっさり消し止められた。

二人は再び竜の上に男を乗せて、ありったけの布で男の体を竜の背に固定する。


「奉行、所、まで、運んで」


遠くの方へ消えていく影を見送って、二人は胸を撫で下ろした。


「なん、で、ここに」


燐火は鼻息一つで問いを一蹴し、二人を上から目線で見下した。


「まずは先に、ありがとうじゃないの?」

「ありが、とう」

「お姉ちゃん……」


率直に感謝した琴葉に、蒼葉は呆れた。琴葉は素直だった。

昨日会ったときとは打って変わった高飛車ぶり。大人のいるときとは態度も何もかもが違う。そういう子、そういう周囲なのだろう。


「まあ、良いわ。答えてあげましょう。私たち草葉の光は、葉怪の力で人々を救う自警団の割も持っている。これもその一環……ここまで大きな火災は、初めてだけど。大抵は小火で済むの」


燐火も少し不安げだった。


琴葉は、昨日の帰り際のことを思い出した。


確か、影に動きあり。至急、見張りを動かすように、だったか。

あれも謎だ。今回の火災と何か関係があるのだろうか。


「竜、そろそろ戻ってくるんじゃない? 具現変化の葉怪は、使役者の命令を終えた後、自動的に使役者の元に帰ってくるから……ほら、来た」


燐火が指差した先には、竜がいた。


ゆっくりとこちらに向かってくる。

そして三人の目の前で止まる。


言わずとも、こちらの意図を理解してくれているようだ。

二人は竜の背に跨って、背後を振り返った。


「燐火、乗って」


燐火は、ばつが悪そうに竜に騎乗した。他人に世話になるのを、極端に嫌がっているようだ。


「竜、奉行所の、庭、に、降ろして」


竜は小さめに咆哮を上げて、すっと目的地へ移動していく。

風が頬を撫でて、どこか遠くへ消えていく。後には、仄暗さが残った。


「ねえ、貴女、この竜って名前とかあるの?」


話題に困ったのか、燐火が絞り出すように質問した。


「特に、は」

「昨日手に入れたばっかりだし……」


二人は頷き合う。

手に入れた経緯が経緯だ。二人は、竜を可愛がろうとはしていなかった。


「でも、名前無しは確かに可哀想かも」


蒼葉は、竜を見遣る。

今は竜のおかげでここにいるとはいえ、徒世の仇でもあるということを、簡単に忘れたわけではない。


「じゃあ私が名前を付けてあげる。えっと……(ともえ)!」


巴は、喜んでいるのか小さく鳴いた。


「良いね。よろしく、巴」


蒼葉は巴に白い歯を見せて笑った。


「あ、そこ。降ろし、て」


巴はゆったりと浮遊し、奉行所の庭に降り立つ。


「……燐火。着きましたか。火事は鎮まったかしら?」


庭で待っていたのは、燈火。


「はい、多少梃子摺りましたが、負傷はしておりません。ただ、残念ながら、倉庫は燃えてしていました。詳しくは、後に調査が入ると思いますが、見る限り、全ての葉怪が見当たりませんでした。もちろん、虎も」


琴葉は、燐火の急に変わった雰囲気と、倉庫という言葉に首を傾げた。


「そうですか……怪我人はこちらで看病をおこなっていますよ。家元は、急ぎ別の倉庫へ」


燈火の表情は固まっている。一見柔和に見えるが、その裏に何かを隠したような、硬い笑み。


「琴葉さん、蒼葉さん、お疲れでしょう。今回のこととは余り関係がないのに、手伝わせてしまって申し訳ないです。お詫びに、此度のこと、お茶と一緒にお話しさせていただきますね。どちらにせよ、知ってしまうのは避けては通れぬ道です」


燈火はゆっくりと三人に背を向け、歩き出した。

燐火もそれに続く。

琴葉は蒼葉の手を握った。

庭の戸から廊下に出て、広間へと歩く。

一つの机の前に座ると、お茶が運ばれてくる。


「私たちは、組織が出来た当初から、何かと戦っています。それを、私たちは『草葉の影』と呼んでいるのです」


お茶を飲みながら話された内容は、思ったよりも壮絶だった。


「影はこの江戸に混乱を招いています。振袖火事や、川の氾濫、沢山のことが影の行なったことだと言われています。正体、動機共に不明。事故として処理される事件にも、影の暗躍があると噂されています。明らかに人為的工作が無理とされる事柄でも、葉怪が使われているとすれば、何ら不思議はありませんからね」


お茶を一口飲んだ燐火も、口を挟んだ。


「影は葉怪を使っています。だからこそ、草葉の光に所属しない草葉師は、影の一員ではないかと噂されてしまう。それで、私たちは草葉師の勧誘も行っているんです」


母の前だからか、やはり敬語だ。

燐火がそこまでするとは、燈火はもしかして、相当おっかない人なのではと琴葉は勘ぐる。


「これを見てください」


燈火が持ってきた地図には、江戸周辺の全体像が書いてあった。

そして、ところどころに塗料で点が打たれている。


「これらの点は、怪奇さんに視てもらって、報告も無く葉怪が使役、または失せた場所です」


燐火がその点に、少しずらして新しく黄色を上書きする。一、二、三個。


「今回の火事は放火です。火の葉怪が、ここ一年で三枚消えています。今回の事件は、一年で準備し、計画的に行われた、影による放火。私たち草葉の光は、そう考えています」


放火の罪は物凄く重い。生きたまま火炙りにされる。

それほどの悪事をやってのけた草葉の影、一体誰が、どんな目的で、この江戸中を敵に回しているのか。

考えるだけで、琴葉は途方に暮れてしまいそうになる。

確かに、あのような試験は、草葉の影かどうか見極めるために重要だろう。


四人の元に、頼んでいた茶菓子が届いた。大坂にいた頃は手が届かなかった、高級菓子だ。


「今回は、本当に重大な事件です。葉怪を詰めていた、倉庫の一つが狙われました。そこには、虎の葉怪がありました。虎は、竜と比肩するのではと言われている葉怪です」

「え……」


琴葉と蒼葉の表情が、驚愕に染まる。


「虎を捕った利乙(りおつ)さんは、その戦いで左足を失い、今は引退しています。利乙さんが、後世に残そうと使役を辞退したので、その倉庫に置かれていました。人通りも多く、警備も厳重に置いていたはずでしたが、こうも簡単に取られてしまうとは……」


重い事態に、琴葉は頭がくらくらしてきた。


竜は、人の命など一瞬で奪い去れるほどの大きな力を持つ。

そのような力が、敵に渡ったのだと、そして、それに対抗する力を持つ自分が、明日からこの地を去るのだと思うと。


「無事に琴葉さんが組織に加わってくれて良かった。荒々しいことは、したくはないですからね」


燈火の唇が、綺麗な弧を描く。


「葉怪とは人智を超えた力を持ちます。幕府はそんな葉怪というものを、統制しておきたいのです。こちらもそのつもりです。そうでないとあっという間に、この国は戦国に逆戻り」


そう、この組織の力は、国を左右している。


「草葉の光に反することをなさったら、放火よりも重い罪が下ります。裏切り者が一度生まれてしまうと、情報を縦にも横にも流すということが難しくなってしまうのですよ」


琴葉は、燈火の冷え冷えとした声に、この組織に入ったことを一瞬後悔した。

裏切り者を許さないその在り方は、言い換えれば、絶対服従を強いる姿勢が垣間見られる。


「琴葉さん、蒼葉さん、この組織にいる上で、不必要なのは勝手な行動です。何か重大なことが起きたら、すぐに報告してください。大丈夫、私たちは一人一人を大切にいたします」


燐火がこの人に敬語を使う理由が、琴葉は分かった。この人は芯から冷えている。


「必ず今日中に虎を取り戻します。ご心配には及びません……燐火、お二人を修業場へ」


二人はまたもや、追い出されるように奉行所を出た。

燈火もまた、虎を探しに行くのだろう。自分たちは部外者に近い。

大人しく、修業場という場所へ、燐火の案内で向かう。


「最近、色々努のこととかで慌ただしかったの。それに、こんな火事騒ぎも重なって。十分働いてくれたから、息抜きしろってことなんでしょ。全く、あの人優しいんだか厳しいんだか分からないわ」


燐火が、奉行所を出た瞬間に愚痴を言うものだから、二人は苦笑した。やはり、こちらが素のようだった。


「ねえ、燐火。修業場って何?」

「戦闘の練習をする場所、みたいな? 葉怪を一般の人に見せたら、怖がられちゃうでしょ。だから、江戸の辺境にある場所で訓練するの。ま、私にとっては遊び場よ」


燐火は居丈高に鼻で笑った。蒼葉は呆れて溜息を吐きながら、感謝の言葉を述べる。


「……ありがとう」

「この組織に入ったのなら、貴女たちは私の妹よ。何でも聞いて」

「へえ、燐火って何歳?」


蒼葉がちょっと怪訝そうに、燐火にまたしても問うた。


「お、女の子に年齢を訊くなんて、無作法ね!」


燐火は頬を膨らませる。背から考えて、琴葉よりは幼いと自分で理解しているようだった。


「……よし、もう人目につかないと思うから、巴を使っていいわよ」


空き地が目立つ道。当然、人もいない。そこで燐火は立ち止まり、琴葉の方を振り返った。


「竜」


小さく、竜を出現させる。早速三人はその背に乗って、江戸を抜けていく。


江戸城の裏手、一面田んぼの場所の高台に、神社があった。どうやらそこが目的地らしい。


琴葉は高台の麓で、巴を葉に戻した。

斜面に沿うように伸びる石段の先に、緋色が見える。

鳥居だ。


「げっ、こんなに登るの……」


蒼葉は石段を見て、顔をしかめた。


「背、乗る?」

「うん!」


姉の誘いにありがたく頷き、蒼葉はその背中に乗ろうとしたが、ここで燐火が余計な一言。


「へえ、蒼葉は琴葉に頼りっきりなのね」


蒼葉は頬を膨らませた。


「自分で登れるし!」


琴葉は、頭を抱えるしかなかった。


― ― ―


「さぁて、錦ちゃん、帰りましょ~」


獣は、焦げた木片を踏みつけ、その音と共に振り返る。


「彼女ナラ、虎を持ってイッテしまいマシタ」


男は、籠いっぱいに入った葉怪に、舌なめずりをしながらそう言った。


「……へえ。やる気ってわけ……なるなる。じゃ、こっちもその気で行こっか」


可憐な獣は、静かに刃を煌めかせた。

誤字脱字報告ありがとうございます。

否定的なコメントはやめてくださると幸いです。

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