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拾弐 誰の為に

本日もよろしくお願いします。


北町奉行所の中に入ると、そこでは役人たちが窓口となって、次々と来る訴訟に対処していた。少し、関所に似ている。皆、忙しなく動いていて、ぼうっとしている者など誰一人いない。


「それで、何の話かな?すまないが、警備のために、これ以上人が少ない場所には行けないんだ」

「いえいえ、こちらこそ話す機会を作ってくださり、ありがとうございます。それでですが…… 流光様は、吉久様という方をご存知ですか?」


それを聞いて、流光は目を見開いた。


「な、何故、その名を…… 」


吉久に裏の顔があることは、その表情から明白だった。


「紹介が遅れました、吉久様からの手紙を伝令しに参りました。継飛脚の娘である琴葉と、妹の蒼葉です」

「そうか。吉久は何と?」

「この手紙をご覧ください。継飛脚の名に賭けて、決して中身は見ておりません」


琴葉は巾着袋の中から、丁寧に折り畳まれた沢山の書簡を渡した。


「そのようだな…… 」


流光は慎重に、書簡を読む。

字を追っていくと共に、その顔が驚愕に染まっていく。


そして、全てを読み切った後、流光様は手紙を、大切に袋にしまった。


「地震について、現状は分かった」

「流光様、あの…… 」


蒼葉は、沈黙に耐えられなかったのか、弾けるように流光の名前を呼んだ後、言葉を探すように目線を漂わせた。琴葉は、蒼葉の言いたいことが手に取るように分かった。


「事態、は、深刻、です。一刻も、早く、将軍様に、渡し、て、ください」

「分かった。急ぎ上様に報告する。琴葉、蒼葉、お前たちも重要な証人だ。来い」


流光の後をとぼとぼと追って、二人は奉行所を出て、江戸城を目指した。

まさか、本当に将軍と会うことになるとは、二人とも思っていなかった。


理解が追い付かない。


意識が細切れに飛んでいる感覚を味わいながら、武家屋敷の通りと江戸城を結ぶ橋、下馬橋に着いた。


「ここを渡る。江戸城は入り組んでいるから、遅れずに着いてきなさい」


下馬橋から堀を眺める。蓮の葉が浮いていたり、鯉が泳いでいたりと華やかだ。


中雀門を経由して、ようやく表に着く。

表は、政を行う御屋敷。もちろん、二人のような庶民が来る場所ではない。

それはただの与力である流光でも同じはずだが、躊躇いなく中に入っていく。

それを見て、二人は尻込みしたものの、お咎め無しを信じ、中へ足を踏み入れた。


しばらく歩くと、奥に広い部屋が見えた。周りを襖で囲まれている。


それも、見るのさえ憚られるような上等の物。肌で、ここは別格なのだと解った。


「蒼葉、じっと、して」

「うん…… ?」


琴葉は、懐から母の形見の(かんざし)を取り出した。


津波が引いた後、家が在った場所に、奇跡的に残っていた物だ。


二人の母は、花よりも葉が好きな変わった人だった。

だから、二人の名前にも葉があるし、かんざしは柏の葉を象った物だ。

琴葉は詳しく知らないが、母は武家の生まれで、蝶よ花よと育てられていた姫君だった。

しかし、没落してしまい、商家に奉公することに。その最中、商家に父が手紙を届けたとき、二人は初めて出会ったらしい。


このかんざしは、母が、自分たちの祖母に当たる人物から譲り受けた物。

武家に相応しい、細部までこだわった作りになっている。


「お母さんのだ!」

「こら、静か、に」


本来、格の違う場であるが故、いつ追い出されてもおかしくない。

琴葉は、声を上げた蒼葉に注意した。


そして、さっと蒼葉の髪に、簪を挿すのだった。


「上様! 入ってもよろしいでしょうか」


返答は無い。


そのまましばらく待つと、部屋から一人の女性が出てきた。


みずぼらしいに程遠い格好をしている。とても綺麗だ。

大奥にお勤めの、高貴な女性だろうと琴葉は推測した。


「すみませぬ。少々お時間を頂きたく。上様はご高齢であられます。今は、しばし眠られております…… それにしても、珍しいこと。流光殿のお子様かしら?」

「これはこれは百合(ゆり)様。この子供等は飛脚でございます。上方で起きた大地震の証人です」


百合様と呼ばれた大奥の女性は、じっくりと二人を検分した。


「ほぉ、可愛らしいこと」


どうやら及第点だったらしい。

琴葉はかんざしを残してくれた母に、心の中で感謝した。


「大坂近くのことなら、どうです?先に、吉宗様に御目通りしておくのは」

「ああ、紀州徳川家の。確かにそうですね。地震の復興の第一人者となるでしょうから、早めに伝えておいた方が良いかもしれません」


着いてきて頂戴、と言う百合に連れられ、将軍の部屋の横、二番目に広い部屋の前に座った。


「吉宗様は江戸の視察中で、現在はこのお部屋にてお休みされています…… 失礼します」


中にいたのは、吉久より五歳ぐらい年下、二十前半の青年だった。

身なりは、やはり徳川家に名を連ねる者というところか。

青年、吉宗は、机に向かって何か書き物をしていた。


「もう、お休みくださいと言ったではありませんか」

「ああ。婆。今良いことを思いついたもので、書き留めていたのだ。おや、そちらの者は?」


百合は婆と言われて、目くじらを立てて吉宗に近づく。


「婆は、おやめください。怒りますよ!」

「全く、すでに怒っているではないか。ほら、そこの者、入りなさい。廊下は寒いから」


綺麗な畳を汚してしまうと琴葉は二の足を踏むが、お誘いを断るのも申し訳ないと思い、諦めて中に入った。


「こちらは琴葉。その妹の蒼葉でございます。二人とも、上方で起きた地震の被災者であり、吉久様からの文書を届けた飛脚でございます」


流光が、二人の代わりに詳細を話す。


「ほう。それは、どこからどこまでの地震だ? どれぐらいの被害がある?」


流光が押し黙ったのを見て、吉宗は二人の発言を許可した。


「不明瞭でございますが、少なくとも大坂の多くは被害を受けました。大坂の沢山の人々が、津波に呑まれたり、火災に巻き込まれたりして亡くなりました。東は、駿河や伊豆まで、家の倒壊、火事、土砂崩れの跡が見られました」


吉宗は書簡に目を通した。読み進めるたびに、顔はどんどん険しくなっていった。


「どうやら、その地震の被害は甘いものではないようだ。琴葉、蒼葉よ。随分と早い到着だったな。素晴らしい…… 疲れているというのに申し訳ないが、私を私の城、和歌山城に連れて行ってはくれないだろうか。こんなに早いのだ、何か抜け道があるのだろう? この際、関所も通らなくて良い。できるだけ早く向かいたい」


琴葉は、想像通りの展開に眉を伏せた。

本来なら一生見ることが無いような高貴な身分の方にこうも頼まれては、琴葉が断ることなどできない。


問題は、竜について―― この人が、葉怪を受け止めて、理解してくれるかどうか。


琴葉はとりあえず、蒼葉に向けて可と伝えた。


「分かりました。私たちもできるだけ、早く大坂に戻りたいと考えていました。その仕事、お引き受けいたします」

「感謝する。出発は明後日の虎の刻にしよう。下級武士の部屋が余っているから、出発までそこを貸す。ここまで来てくれたお礼として、金を婆から受け取ってくれ」


またもや婆と言われた百合が、きっと吉宗を睨んだ。


部屋を貸してくれるとは、大いに助かった。

正直、神の代弁者として江戸にいるのは、誤魔化し辛いと琴葉は思っていたのだ。


二人は吉宗に頭を下げて、部屋を出た。


「こういった形でしか、力になれませんけれど、頑張ってくださいね」


百合が渡したのは小判。十個もある。眼が飛び出る額だ。


「私も、前は町人でした。今はこれでも、昔はお転婆だったのよ」


百合は、最初とは比べ物にならないほど、柔らかな笑みを浮かべた。

母に似ているように、琴葉は思った。


「空いている部屋まで案内しよう。こちらへ」


― ― ―

「徒世、お前に縁談の申し込みが来た」


二人の父が現世を去ってから、初めて叔父に声を掛けられた。


「相手はなんと御武家の方だ、何があろうと、失礼の無いように」


徒世はただ頭を下げるだけだった。


こちらは居候の身。家主の命令を聞くのは当然で、今まで何回も繰り返してきたことだ。


「徒世…… 叔父さん、何か、言ってた?」


結婚することになった。

そう言うと、葉月は顔を驚愕に染め上げた。


「そっか…… 好い人だと、良いね。でも…… うん、じゃあ、もう、狂利様の、お手伝い、とか、やらない方が、良いの、かな…… 」


友は、不安げに微笑んだ。


徒世にとって、葉月はいつだって、自分の命綱だった。


自らの選択の影にあるものを知らない、無垢で純真な少女。

自らの、唯一の人らしさ。


「大丈夫。傍にいる。いざとなったら、二人で辞めよう。結婚も、何もかも捨てて…… お伊勢参りにでも行こうか。今度は、任務関係なく」

― ― ―

「お前は、昔馴染みに似てるんだよなァ…… 綺麗な目だ…… ハハ、俺の嫁になったこと、後悔するのは今のうちだぞォ?」


武士。これが武士なのだろうか。

古ぼけて、汚れて、やつれている。

礼儀の一欠片も無い。

そんな男だというのに。


でも、嗚呼、失礼がないようにしなくては。

大丈夫、きっと、きっと耐えれば。


「…… アイツもそうだった…… 珍しくまともな夜鷹だと思って引っ掛けたら…… 飛んだ筋違いだった…… あのとき間違えなければ…… あのお方に捨てられずに済んだのによォ…… ああ虚仮威(こけおど)しがァ…… 虫唾が走る」


男の様子は段々とおかしくなっていく。


自分と誰かを重ねているのか。

一体誰を。


そう考えた徒世は、眠っていた記憶を呼び起こした。


夜鷹。

自分の実母は夜鷹だ。


間違いで生み落とされた子供、それが自分。


もしこの仮説が正しいなら、この男は。


男は、手を徒世の頬に置いた。


心の奥底から、金切り声が湧き上がる。

気味が悪い。


こんなところで、一生を終えなくてはいけないのか。

それほどまで、自分には価値がないのか。


息が、上がっていた。


気が付くと、男は壁にぶつかり、ずざざと崩れ落ちていた。


徒世の経験から言える。


間違いなく、男は死んでいる。


人殺しは重罪だ。しかも、武士。


葉月に……迷惑が掛かる。


徒世の顔は真っ青になって、視界は揺れて……


そして走った。


結局、何もかも捨てることはできなかった。

誤字脱字報告ありがとうございます。

否定的なコメントはやめてくださると幸いです。

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