拾壱 竜馬翔る空
本日もよろしくお願いします。
「あそこ、に」
琴葉が指差すと、竜は緩やかに降下していく。
森の外れ、少し開けたところに狙いを定め、そこに無事着地した。
「終わったぁ…… 」
蒼葉は伸びをして息を吐いた。
しかし、余韻に浸るほどの暇は無かった。
竜がここに飛び込んだと聞いたら、いずれは誰かが来る。
そのとき、吉久から渡された手紙を、その人に渡さなくてはならない。
目の前にいるのは竜を従える子供。神と崇めて、その人はきっと将軍に手紙を渡してくれると、琴葉は確証もなく考えた。
とりあえず、今は味方が欲しいのだ。
「蒼、葉、聞いて…… 」
― ― ―
「おい、竜だ!竜だ!」
外の騒めきが聞こえて、男は髪結床の暖簾をくぐり、空を仰いでみた。
口の中に風が入ってくるのを、成すすべもなく感じた。
昔日、屏風に描かれた姿を見て、何度も夢の中で相対していた、あの竜が、そこにいた。
「人が乗ってるぞ!」
誰かの声を聴いて、男は目を凝らして。
そして。
自分でもよく分からないまま、男は走り出していた。
竜は近くの森に落ちた。
落ちた、と言うより、着地した。
そこに向かって一目散に走る。遠くから女房の声が聞こえたが、男は止まることを忘れた。
これは、一世一代の勝負だと、勝手に考えた。
いつかの日の童心のままに、ただ、見てみたいと、男は思った。
竜を。
旅はもうすぐ、折り返しへ。
― ― ―
「お、お前たちは…… 」
江戸に到着してからまもなくして、二人の元に辿り着いた男。
三十路には、もう一つ手が足りないぐらいの歳だろうか。いたって普通の町人に見える。
「私たちは、竜を従える者。今、この日の本に、災いが訪れています」
蒼葉は、琴葉が事前に伝えておいた台詞を喋る。
「な、なんだってぇ?」
男は、まるでお手本のような、素っ頓狂な声を出した。
余りにも素直過ぎると琴葉は思うのだが、江戸の人間は信心深いのだろうか。いいや、こうも竜がいたら、信じざるを得ないか。
「西の広い範囲で、天地が揺れ、多くの者が死の淵に立っています。山祇様のお怒りは深い
ようです。まもなく、この地を覆い尽くすでしょう」
「あの時の地震は、西の…… ?やべえじゃねえか、そんな」
男は、物分かりが良いようだ。
頭を抱え、その場に崩れ落ちる。またもやお手本の嘆き。
「起こってしまったことは仕方ありません。貴方たちは一刻も早く、死を無くすべきです。
この日の本で、一番、民を動かせる者の場所に連れて行きなさい。これは、山祇様からのご
命令です」
「この国で、一番…… つまり、将軍様のこと…… す、すぐお連れします!」
男は、顔を青くさせて走り出した。
「葉」
琴葉は、急いで竜を葉に戻した。
竜が使い切りの可能性を考えて、一瞬心が跳び跳ねたが、幸い竜は葉に戻った。
急ぎ、蒼葉の手を引いて男の後を追った。
二人は、その町の全貌を見た。
「お姉ちゃん、江戸だよっ」
蒼葉が、こっそりと琴葉に耳打ちする。
二人の胸の中は感動でいっぱいだった。
大都市、江戸。
父母を失ってから、ここに着くため、必死になって向かった場所。
遂に、やり遂げたのだ。
達成感と同時に、琴葉に睡魔が襲うが、目を見開いて耐える。
まだ終わっていない、だから。
江戸は、想像より沢山、人がいた。
石屋が石を削るのが聞こえたかと思うと、甘酒屋の声が聞こえ、それがまた心太売の声に掻き消されていく。
騒がしいが、楽しい。
声と人で溢れているこの街に住めば、退屈とは縁なく過ごせそうだ。
「おいおい、あんた、どこ行ってたんだい…… って、そこの子はなんだい!あんた、まさ
か攫ってきたんじゃないだろうね?」
暖簾をくぐって出てきたのは、若い男の妻だろうという女性。
どうやら出産直後らしく、歯を黒に染めている。
「違うんだよ、菜月。この子たちは竜に乗っていた子で…… 」
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ、何が竜だい」
「ほら、店先で大騒ぎしてたじゃないか」
「こっちは子供の世話で大変なんだ。竜だが何だか、知らないね」
尻に敷かれているようだ。
仕方ない、竜なんて実際に見なければ、信じるなんて万に一人だろう。
しかし、今回は沢山の人が目撃している。
そして、その中には、吉久が挙げていた武士の名がきっとある。
その者に書簡を渡せば、やがて将軍の元へ行く。
仕事は終わりだ。
「すみません、俺には荷が勝ちすぎたようです…… 」
男は叱られただけで肩を落とした。
だが、ここで諦めてもらっては困る。
琴葉は蒼葉に囁いた。
「分かりました。実は、蛇星という武士を探しているのです。その者ならば、将軍とやらに会えるでしょう」
「蛇星流光様ですか? その方ならば、一度会ったことがございますよぉ。北町奉行所で与力をされている方ではないですかねぇ?」
「そうです。その者のところに連れて行きなさい」
「はい!」
男は街の中心に向かって走り出した。
すれ違う人々は皆、じろじろとこちらを見ている。
「お姉ちゃん、ちょっとやりすぎじゃない? もしこれで、使いだとか神だとかじゃないってばれたら大変だよ」
蒼葉がこっそりと耳打ちする。
「大丈、夫」
こればっかりは賭けるしかないのだ。
自分たちがもたらす情報を信じてくれるかどうか、重要だと思ってくれるかどうかは、全て将軍にかかっている。
将軍、綱吉公に。
呉服橋門を潜ると、一回り大きく、目立つ屋敷があった。奉行所だ。
「流光様!流光様!」
男が大声でその名を呼ぶと、一人の武士が現れた。
中性的な顔立ち。髷と服が綺麗に整えられ、その位の高さを示していた。
頭には笠があり、これからどこかへ出発するようだ。
「私が蛇星流光だ。どうした、何かあったか」
声が思ったよりも高いことに、二人は少し驚いたが、表情には出さない。
「へへえ、こ、この方が流光様に謁見したいとの希望で…… 」
「この子供がか?迷い子か?」
流光は屈み、蒼葉と目線を合わせ、心配そうに眉を寄せた。
「つ、伝えたい話があるのです。中で話しても構いませんか?」
「…… ああ、良いだろう」
琴葉は蒼葉の手をしっかり握って、北奉行所の門を潜った。
― ― ―
「見て見て、猫ちゃんやで、姉さん」
「…… 大家さんに見せに行けば? 鼠、困ってるって言ってたから」
― ― ―
「見て見て、猫ちゃんだよ、お姉ちゃん」
「ん、可愛、い。蒼葉に、似てる」
本当は、あの子に似ていると、琴葉は思っていた。
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