第21話 荷がない台車は、こんな音がする
カラカラ。
空の台車は、こんな音がする。
荷を積むと、車輪が沈んで音が低くなる。何も積まないと、軽くて、高くて、跳ねるような音になる。
二十年で、初めて聞いた音だった。
*
六月二十六日。五時に入場した。
届けるものは、何もない。
*
第五層で、新人四人組に会った。
「あ、新藤さん」
「おはようございます」
「今日、荷は」
「ありません」
「じゃあ、なんで」
四人のうち、一人が言いかけてやめた。
俺は台車を押して、その横を通り過ぎた。
「通らないと、道が消えるので」
「あ」
背中で、そう聞こえた。
*
第七層で、桑田さんが待っていた。
水のケースが、足元に一つ置いてある。
「これ、昨日のぶん」
「今日は、荷を預かっていません」
「知ってる。俺が自分で担いできた」
桑田さんは、ケースを蹴って寄越した。
「だから、置いてくだけでいい」
「どういう意味ですか」
「あんたが今日ここを通ったっていう証拠」
俺は、ケースを見た。
「運賃は」
「いらねえよ。俺が担いできたんだから」
「では、受け取れません」
「受け取れよ!」
桑田さんが、初めて声を荒げた。
「あのさ。あんた、昨日、うちに謝りに来たよな」
「はい」
「空の台車で、わざわざ七層まで降りてきて」
「はい」
「ふつう来ねえよ。連絡すりゃいいだろ、地上で」
「地下に、電波が来ないので」
「知ってるよ! そうじゃなくて!」
桑田さんが、頭を掻いた。
「あー、もういい。置いてくから」
*
第十層の降り口で、一度立ち止まった。
ここから下は、深層への入口だ。
空の台車で降りる意味があるのか、と一瞬だけ考えた。
考えて、降りた。
道に、荷があるかどうかは関係ない。通るか、通らないかだけだ。
トラックでも同じだった。帰りは空車になる。空車でも、同じ道を同じ時刻に帰る。
空車の便に意味がないなら、二十年ぶんの帰り道は全部、無意味だったことになる。
そんなわけがない。
*
第九層に寄った。
線香は、前渡しぶんがある。今月は済んでいるが、火をつけた。
カチ。
一度でついた。
*
第十六層を、通り抜けた。
誰もいない。オルカは第二十一層にいる。
中継点の隅に、木箱の破片が片付けられて積んであった。
俺が持っていった木箱だ。
誰かが、集めて積んでおいてくれたらしい。
*
第二十一層へは、行かなかった。
行っても、荷がない。
行っても、受け取る人がいない。
*
十七時に上がった。
窓口で、真木さんが記録をつけた。
「十七時ちょうどです」
「はい」
「新藤さん」
「はい」
真木さんは、記録簿を閉じなかった。
「今日、入場から退場まで十二時間、何をされていましたか」
「歩いていました」
「荷物は」
「ありません」
「荷物なしで、十二時間」
「はい」
真木さんは、ペンを置いた。
「なぜ、続けるんですか」
初めて訊かれた。
この人が、業務以外のことを訊いたのも初めてだった。
「止めると、七十二時間で消えるので」
「何が、ですか」
「道が」
真木さんが、少し黙った。
真木さんが、口の中で繰り返した。
「道」
「毎日同じ時刻に通ったところだけ、静かになります。止めると、戻ります」
「それは、記録に残っていますか」
「俺の紙に書いてあります」
「公社の記録では」
俺は、首を振った。
「わかりません」
*
真木さんは、引き出しから何かを出した。
薄い冊子だった。
「入退場記録の写しです」
「はい」
「四月十二日から、本日まで。七十六日分」
俺は受け取って、開いた。
日付と、入場時刻と、退場時刻が並んでいる。
四月十二日、六時〇〇分、十時〇〇分。
四月十三日、六時〇〇分、十時〇〇分。
四月十四日、六時〇〇分、十時〇〇分。
ずっと、同じ数字が続いている。
途中から入場が五時に変わって、退場が十七時になって、それからまた同じ数字が続く。
六月十三日だけ、五時十二分。
六月二十五日だけ、十四時五十分。
それ以外は、全部同じだった。
「七十六日で、ずれたのは二日です」
「はい」
「こんな記録を、わたしは見たことがありません」
*
俺は冊子を閉じて、返した。
「いえ、差し上げます」
「いいんですか」
「写しなので」
真木さんは、そう言って記録簿を開き直した。
それから、もう一度手を止めた。
「新藤さん」
「はい」
「依頼が、ゼロになったと伺いました」
「はい」
「明日も、来られますか」
「来ます」
「明後日も」
「来ます」
真木さんはペンを取って、今日の欄に何かを書き足した。
何を書いたのかは、見えなかった。
*
入口を出たところで、大和と広瀬に会った。
二人とも、装備を背負っている。これから入るらしい。
「あ、新藤さん」
「おはようございます」
「今から上がりっすか。早くないすか、まだ」
「十七時です」
「いや、朝から十二時間いたってことっすよね」
「はい」
「今日、何運んだんすか」
俺は、台車を見た。
「何も」
二人が、顔を見合わせた。
「えっと」
大和が言いにくそうにした。
「掲示板、荒れてますけど」
「そうですか」
「見てないんすか」
「見てません」
広瀬が、口を開いた。
「俺ら、二十層まで行けるようになったんすよ」
「そうですか」
「新藤さんの道、使わせてもらってます」
「どうぞ」
「あの」
広瀬が、背負子のベルトを握った。
「腰で背負うやつ、あれのおかげっす」
*
売店に寄った。
田淵さんは、湯ではなく飯を出してきた。
茶碗に飯と、味噌汁と、焼いた魚が一切れ。
「食え」
「代金は」
「取らん」
「では」
「取らんと言うたら、取らん!」
田淵さんが茶碗を押し付けた。
俺は箸を取った。
味噌汁が、熱かった。
*
食べ終わってから、田淵さんが訊いた。
「やめるか」
「やめません」
「なんでや」
「まだ、九層に通ってるので」
田淵さんは、それ以上何も言わなかった。
*
夜、長野から電話があった。
『新藤さん、依頼ゼロって本当すか』
「本当です」
『でも毎日潜ってるって』
「潜ってます」
『それ、タダ働きじゃないすか』
「タダです」
『いやいやいや』
「止めると、七日でゼロになるので」
『七日?』
「七十二時間で消えて、作り直すのに七往復です」
『じゃあ、七日休んだら、また七日かかるってことすか』
「五本あります」
『五本で、三十五日』
「はい」
長野が、電話の向こうで計算し直している気配がした。
『新藤さん』
「はい」
『それ、休めないってことじゃないすか』
「そうです」
『ずっと?』
「ずっとです」
『一生?』
「誰かが代わりに通れば、休めます」
『誰が通るんすか』
俺は、答えられなかった。
今、俺の道を毎日歩いているのは、俺しかいない。
*
その週、依頼は一件も来なかった。
掲示板では、俺の道の話がまだ続いている。
誰かが道を使っている。誰かが楽だと言っている。
ただ、俺のところには、誰も来なかった。




