第2話 「規則です」と言われた。俺には、その規則がなかった
朝の六時に、俺は行列の最後尾に並んでいた。
周りは二十代ばかりだ。軽い金属の装備に、ロゴの入ったバックパック。作業着に安全靴の四十歳は、俺だけだった。
「おっさん」
前の二人組の、背の高いほうが振り返った。
「それ、間違えてんぞ。こっちは探索者の列」
「はい」
「はい、じゃなくて。見学はあっちの窓口」
「荷物を運びに来ました」
「誰の」
「これから、探します」
二人が顔を見合わせた。
「兄ちゃん、これヤバいやつだ」
「行こう行こう」
前を向かれた。
聞こえないふりをした。聞こえないふりは得意だ。二十年、荷降ろしの待機所でやってきた。
列が一歩進む。地下から風が吹き上がってきた。鉄と埃と、少し湿った匂い。
並んでいるうちに、気になることがあった。
列が、詰まっている。窓口は二つあるのに、片方に全員が集まっている。空いているほうは装備登録専用で、そっちに並ぶべき連中まで全部こっちに来ているからだ。
それと、階段が狭い。降りる人間と上がってくる人間が、同じ幅を使っている。
二十年やってきた癖で、そういうものが目につく。
言っても、俺は部外者だ。
*
「非戦闘員の、単独入場ですか」
窓口の職員は、書類から顔も上げずにそう言った。名札に「真木」とある。
「はい。荷物を、届けるだけです」
「どなたに」
答えが、少し遅れた。
「これから、探します」
真木さんが、初めて顔を上げた。
「規則です。非戦闘員の単独入場は、認められません」
「戦うつもりはないんです。第一層でも」
「第一層で、去年十一人亡くなっています」
ファイルをめくる音がした。乾いた、事務的な音だ。
「そのうち七人が非戦闘員です。荷運びが三人、報道が二人、見学が二人」
「荷運びの三人は、何で亡くなったんですか」
真木さんの手が止まった。
「……なぜ、そこを」
「同じ仕事なので」
しばらく沈黙があった。
「両手が塞がっていたからです」と真木さんは言った。「荷を持った人間は、逃げられません」
「わかりました」
「わかった、というのは」
「両手を空ける方法を考えます」
真木さんは規則集を引き出しから出して、机に置いた。分厚い。付箋が一枚も貼られていない。
ページをめくる指が、途中で一瞬だけ止まった。
――第十七条の四 認定区間内定期輸送
俺の目には、そう見えた。
真木さんはその見出しを通り過ぎて、別のページを開く。
「第九条の二。非戦闘員は、登録探索者の同行がある場合に限り、一日入場券の交付を受けられます」
「同行者がいれば、入れますか」
「入れます」
「どこで探せばいいですか」
真木さんは、書類の角を揃えた。
「ご自分で、お探しください」
「はい」
「新藤さん。伺ってもよろしいですか」
「はい」
「どなたに、何を届けるおつもりですか」
答えられなかった。
荷主がいない。届け先もない。品名も数量も納期も決まっていない。伝票の欄が全部空白のまま、俺はここに立っている。
二十年で、初めてだった。
「決まってから、また来ます」
「そうしてください」
「一つ、伺っても」
「どうぞ」
「同行者がいる日は、何時から入れますか」
「六時です。毎日同じです」
「毎日、同じ」
「ええ。何か」
「いえ。助かります」
真木さんが、書類を持つ手を止めた。
「助かる、というのは」
「時刻が決まっていれば、逆算できるので」
俺は書類を受け取って、頭を下げた。
「ありがとうございました」
真木さんが、少し黙った。
断られた人間に礼を言われるのは、慣れていないのかもしれない。
*
外に出ると、朝日が上屋を斜めに切っていた。
胸ポケットの書類が、昨日から折り目のまま入っている。退職日、四月十日。
行列はもう半分になっている。次々と縦穴へ降りていく連中を、少し離れたところから眺めた。
自販機の前で、しばらく立っていた。小銭は入れなかった。
今日、何をするか決めていない。
二十年、決まっていなかった日がない。四時に起きて、七時四十分に締めて、八時三十分に出る。それが全部消えると、身体が行き場をなくす。
「あんた」
声のほうを見ると、上屋の隅に小さな売店があった。プレハブに毛が生えたような造りで、煙草とパンと缶コーヒーを売っている。
白髪の老人が、中から顔を出していた。
「何か買うんか」
「いえ」
「買わんのに二十分も立っとったやろ」
「そうです」
「気になるやろが!」
老人はタオルで手を拭きながら出てきた。背は低いが、肩から腕にかけてが厚い。
そして、俺の手を見た。顔でも装備でもなく、手のひらを。
「あんた、荷役の手をしとるな」
思わず、自分の手を見た。
指の付け根に潰れた皮が残っている。爪の脇に黒い筋。パレットの角とベルトの金具で、二十年かけてついたものだ。
「二十年、運送を」
「そうか」
老人は自分の手も出して、並べて見せた。俺のより、ずっと厚い。指が全部、少し曲がったまま伸びきらなくなっている。
「わしはここで四十年、荷を上げ下ろししとった。穴が開く前の話や」
「荷役の」
「そう。船から降ろして、あそこへ入れて、また出す。それだけを四十年」
「あの上屋の下、レールが通ってますね」
老人の眉が動いた。
「見たんか」
「さっき、通ったときに」
「あんた、あれが何か分かるか」
「荷役レールです。まだ生きてます。錆びてますが、歪んではいない」
老人が黙った。
それから、笑った。声はほとんど出ていない。
「……誰も気づかんのよ、あれ」
「そうですか」
「三十年、誰も。みんな穴のほうしか見とらん」
老人は少し考えるような顔をして、店の奥へ引っ込んだ。
「ちょっと待っとれ」
待つことになった。行く当てがなかったので、ちょうどよかった。
待っているあいだ、売店の中が少し見えた。
棚の缶が、全部同じ向きにラベルを立てて並んでいる。売れ筋を手前に出すでもなく、ただ真っ直ぐに。
この人は、ものを置くのが仕事だった人だ。何となく、そう思った。
ガタン、と奥で何かが落ちた。
「じいさん、大丈夫すか」
「うるさい! 探しとるんや!」
やがて老人が出てきた。手に持っていたのは、掌に乗るほどの小さな束だった。
紙に包まれて、端が少し焼けている。ずいぶん古い。
線香だった。
「第九層に、一本だけ供えてきてくれんか」
風が上屋を抜けて、線香の紙がかさりと鳴った。




