第1話 クビになった日も、荷物は時間どおりに着く
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ギチギチギチッ!
荷締めベルトが鳴いた。
この音が鳴れば、荷は動かない。二十年、俺はこの音だけを信じてきた。
「新藤さん、それ締めすぎっすよ」
隣の車両から、同僚の長野が顔を出した。二十八歳。入って三年になる。
「段ボールが凹むんで」
「うわ、また出た。締めすぎ警察」
「警察じゃないです」
「じゃあ何なんすか」
「運転手です」
長野が肩を落とした。
俺は新藤保、四十歳。湊川陸運の路線トラック運転手だ。高校を出てからずっと、同じ路線を走っている。
四時に起きて、七時四十分に荷を締めて、八時三十分に出る。降ろすのは十四時ちょうど。
遅れたことは、一度もない。
積み荷を端から確認していく。段ボールの角、パレットの隙間、緩衝材の入り方。荷台の中には朝の冷気が残っていて、吐く息がうっすら白い。
最後に養生シート(荷を覆う防水の布)を引き出して、荷の上にかけた。
長野が空を見上げた。
「今日、晴れっすよ」
「はい」
「一週間ずっと晴れって予報っすよ」
「はい」
「かけるんすか」
「かけます」
長野が何か言いかけて、諦めた。
*
「新藤さん」
事務所のほうから、若い配車係が小走りに来た。
「専務が、呼んでます」
「はい」
俺はベルトをもう一本締めてから、荷台を降りた。
配車係は、俺と目を合わせなかった。
*
専務室は、俺が入るには少し広すぎる。
「新藤さん。お座りください」
芝崎専務は、五十を過ぎてから一度も声を荒げたことがない。今日も穏やかだった。
「単刀直入に申し上げます。路線部門を、縮小します」
机の上に、書類が一枚。
「うちは探索事業へ移ります。迷宮が開いて十四年です。荷物を運ぶだけでは、会社が保ちません」
「はい」
「これからは、潜れる人間が要るんです」
芝崎専務は、書類をこちらへ滑らせた。
「運ぶだけの人間は、もう」
最後まで言わなかったのは、たぶん親切のつもりだ。
退職の日付が、今日になっている。
「……そうですか」
「新藤さんの仕事ぶりは、承知しています。二十年、無事故無違反でした」
「はい」
「ですが、うちは装置産業です。人が替わっても回る仕組みにしないと、会社が死ぬ」
仕組み。この人は、その言葉を何度も使う。
「属人的な職人は、切らせていただく。申し訳ないと思っています」
「はい」
芝崎専務が、机の上で指を組んだ。
「何か、仰りたいことは」
言いたいことを探してみた。
二十年、遅れたことは一度もない。それは言える。ただ、言ったところで、この人の言う仕組みの話とは噛み合わない。俺が二十年やってきたのは、まさに仕組みにならないことだ。
「いえ」
書類を折って、作業着の胸に入れた。立ち上がりかけて、一つだけ思い出す。
「専務」
「はい」
「今日の便だけ、行かせてください」
芝崎専務の手が、書類の上で止まった。
「今日は、もう」
「荷締め、終わってるので」
部屋が静かになった。エアコンの風の音が、やけに大きく聞こえる。
「わかりました」と、芝崎専務は言った。「鍵は、夕方に」
*
八時三十分に出た。
国道を北へ、それから県道に折れて、山沿いを三十分。二十年走った道だ。どの信号がどう変わるか、全部頭に入っている。
窓を少し開けると、田んぼの水の匂いが入ってきた。
一軒目、九時五十分。二軒目、十一時二十分。
三軒目へ向かう途中で、携帯が鳴った。長野だった。
『新藤さん、今どこすか』
「県道の、トンネル手前です」
『渋滞は』
「今日は空いてます。十二時五十二分に着きます」
『えっ、早くないすか』
「早いです」
『じゃあ得じゃないすか』
「損です」
『えぇ』
俺は路肩のコンビニに寄った。
プシュッ。
缶コーヒーを開けて、飲まずにダッシュボードへ置く。
「先方は十三時で段取りしてます。八分早く行くと、置く場所がない」
『あー、荷受けの人が立って待つやつっすね』
「そうです」
『新藤さん、それで毎回コーヒー買ってるんすか』
「買ってます」
『飲まないのに?』
「飲むと、トイレに行きたくなるので」
『この人ほんとに』
電話が切れた。
結局、コーヒーは冷めた。
十二時五十八分に店を出て、十三時ちょうどに荷を降ろした。
*
最後の一軒は、市場の裏手の食品倉庫だ。
ガコン。
ハッチを開けると、荷台から冷気が流れ出て、コンクリートの床を這った。
「新藤さーん!」
奥から台車を押して出てきたのは、ここの主任だ。付き合いはもう十年になる。
「十四時ちょうどかい」
「はい」
「うわ、出たよ。この人ほんと怖いんだよな」
「怖いですか」
「怖いだろ。先月うちの時計が三分狂っててさ。新藤さんが三分早く来たんだよ」
「はい」
「でも俺、思ったわけ。新藤さんが早く来るわけない。じゃあ何だ。――うちの時計が壊れてる!」
主任が自分の腕時計を掲げて笑った。
「あんた、時報だよ。人間時報」
「荷物も運んでます」
「知ってるよ! それが本業なのは知ってるよ!」
「はい」
「でもな、時報が本業でもいけると思うんだよ俺は」
「時報に運賃は出ないので」
「出ねえのかよ」
冷凍の箱を、奥から順に。重いものは台車の下段へ。主任が横で数を読み上げる。
降ろし終わって、伝票を出した。ボールペンのサインが返ってくる。
品名、数量、納品時刻。十四時〇〇分。
「新藤さん」
「はい」
「また来週な」
「……はい」
嘘をついた。口の中が、少し乾いた。
*
車庫に戻って、鍵を返した。
ロッカーを空にすると、思ったより荷物が少なかった。軍手と、替えの安全靴と、古い地図帳。二十年ぶん、段ボール一箱にも満たない。
「新藤さん、それマジすか」
長野が走ってきた。息が上がっている。
「マジっす」
「なんでそんな平気な顔してんすか!」
「荷は降ろしたので」
「そういう話じゃないでしょ!」
長野は何か言いたそうに口を開いて、結局、俺のロッカーを閉めた。
*
駅までの道は、旧倉庫街を通る。
三番倉庫の前に、行列ができていた。二十代の連中が装備を背負って並んでいる。錆びた上屋の下で、地下へ降りる縦穴が口を開けていた。冷えた風が吹き上がってくる。鉄と埃の匂いがした。
湊川迷宮。この街の地下に、十四年前から開いている穴だ。
誰も、俺を見ない。
通り過ぎる一瞬、階段が目に入った。
幅が狭い。途中で一度折れていて、踊り場に段差がある。あれだと台車は通らない。担ぐにしても、折れの手前で一度持ち替えることになる。
そこまで考えて、自分で可笑しくなった。
降ろす荷なんて、もうない。
*
その夜。
誰も見ていない掲示板の、誰も返信しないスレッドに、一つだけ書き込みがあった。
813:名無しの探索者
今日ミナトの入口に作業着のおっさんが立ってたんだけど何あれ。装備も持ってなかった
返信は、ついていない。




