第19話 「遅れたら人が死ぬ」と言われたので、断りました
「はぁ?」
鵜飼さんが、一歩下がった。
「あたし、何か変なこと言った?」
「言いました」
「どこが」
「遅れたら人が死ぬ、というところです」
俺は台車の取っ手から手を離した。
「そう言われると、無理をします」
「無理してよ。人が死ぬんだから」
「無理をすると、落とします」
鵜飼さんの口が、途中で止まった。
「落とすと、届きません」
鵜飼さんが口を開きかけて、閉じた。
「届かないほうが、困ります」
*
上屋の下で、しばらく二人とも黙っていた。
朝の風が抜けていく。誰かが階段を降りていく音がした。
「あんた」
「はい」
「あたしが言いたかったのは、そういうことじゃなくて」
「わかります」
「わかってんのかよ」
「急いでほしい、ということだと思います」
「そう」
「急ぎます。ただ、無理はしません」
鵜飼さんは腕を組んで、上屋の梁を見上げた。
この人が言葉を探すときの癖だ。
「わかった。言い方は悪かった」
「いえ」
「で、条件は」
*
「積載を、一割減らします」
「はぁ?」
「八十キロを、七十二キロに」
「減らすの? 増やすんじゃなくて?」
「減らします」
「なんで!」
鵜飼さんが声を上げた。
「二十一層だよ? 遠いんだよ? 一回で全部持ってきてほしいんだけど!」
「降り口が、三つあります」
「知ってる」
「降り口では、荷を二回に分けて降ろします。一回あたり三十六キロなら、片手で支えられます」
「時間かかるでしょ」
「三十分、余計にかかります」
「それ本末転倒じゃない?」
「跳ねたので」
鵜飼さんの動きが止まった。
「跳ねた?」
「一昨日、十八層の降り口で、荷が三センチ浮きました。ベルトが止めました」
「ベルトがなかったら」
「飛んでました」
*
鵜飼さんは、長いこと何も言わなかった。
それから、短く息を吐いた。
「わかった。七十二で」
「足りないぶんは、二便に分けます」
「二便?」
「明後日と、その次の日です」
「薬は?」
「薬は、一便目に全部入れます。軽いので」
「ああ」
鵜飼さんが、目を伏せた。
「そっか。あんた、最初からそれ考えてたんだ」
「はい」
「先に言えよ」
「訊かれなかったので」
「訊かなきゃ言わないのかよ!」
*
その日の午後、荷を作った。
千代さんの工場を借りて、床に全部並べる。
薬の瓶が十二本。携行食が三十食。水が四十リットル。替えの手袋と、照明用の電池。
まず、薬から。
瓶を一本ずつ、緩衝材で包む。それを六本ずつ、木箱に入れる。木箱の中で動かないよう、隙間に詰め物をする。箱を振ってみて、音がしないことを確かめる。
「音がしたら、駄目なんだな」
千代さんが横で見ていた。
「動くと、割れなくても中身が変わるので」
「変わる?」
「沈むんです。振動で」
「あんた、薬も運んでたのか」
「三年ほど」
*
木箱を二つ、台車のいちばん下に置いた。
その上に水。水は重いが、割れない。
いちばん上が、携行食と手袋と電池。軽くて、潰れやすいもの。
重心は、腰より下。
ベルトを三本かけた。二本ではなく、三本。
最後に、養生シートをかけた。
「それもか」
「かけます」
「二十一層に雨が降るのか」
「降りません」
「じゃあなんでだ」
「濡れると、困るので」
千代さんは、それ以上聞かなかった。
代わりに、工具箱からベルトをもう一本出して、俺の鞄に入れた。
「四本目だ」
「三本で足ります」
「持ってけ」
*
夕方、売店に寄った。
「田淵さん」
「おう」
「明後日、九層を飛ばします」
田淵さんが、湯呑を置いた。
「一日だけか」
「一日だけです」
「戻るんか」
「四十八時間以内なら、薄れるだけで済みます」
「そうか」
田淵さんは、それ以上何も聞かなかった。
聞かずに、奥から何かを持ってきた。
線香の束だった。
「持っていけ」
「今月は、済んでます」
「これは今月のやない」
「では」
「来月ぶんの、前金や」
俺は受け取って、鞄に入れた。
「運賃は、来月に頂きます」
「かまわん」
「田淵さん」
「なんや」
「なぜ、今日渡すんですか」
田淵さんは、椅子に座り直した。
「荷を持っとる人間は、帰ってくるからや」
*
その夜、俺は模造紙の前に座った。
明後日の時刻表を、一行ずつ引き直す。
五時〇〇分、入場。
六時〇〇分、第五層。
六時四十分、第七層。
七時四十分、第九層。
八時二十分、第十六層。
――
ここで、手が止まった。
第二十一層の到着時刻を、八時ちょうどで約束している。
第十六層が八時二十分だ。
順番が、逆だった。
*
俺は鉛筆を持ち直して、順番を組み替えた。
第二十一層を先に。第十六層を後に。
そうすると、第十六層が九時四十分になる。一ノ瀬さんの薬が、一時間二十分遅くなる。
一ノ瀬さんの薬は、毎日だ。今日切らしても、明日がある。
二十一層は、一回きりだ。
俺は組み替えた。
*
組み替えてから、もう一度見た。
第二十一層は八時ちょうど。逆算すると、第十八層の降り口に入るのが七時十分。
降り口で、二回に分ける。三十分。
七時四十分に降り終わる。
そこから第二十一層まで、二十分。
八時ちょうど。
余裕が、ゼロだった。
*
俺は鉛筆を置いて、しばらく紙を見ていた。
余裕を入れると、八時十分になる。
十分遅れる。
遅れたら、人が死ぬ。
言うな、と言ったのは自分だ。
*
もう一度、組み直した。
入場を、四時にできないか。
できない。受付は五時からだ。三日前に申請しないと変えられない。明後日には間に合わない。
第五層を飛ばせないか。
飛ばすと、道が崩れる。今日と明日で四十八時間だ。
第七層は。
同じだ。
*
最後に残った一行を、俺は消した。
第九層。
田淵さんの線香は、今月ぶんが既に済んでいる。月次の納品はない。
ただ、通らないと道が消える。
一日だけだ。四十八時間以内に戻れば、薄れるだけで済む。
俺は第九層の行に、細い線を引いた。
*
時刻表を書き終えて、壁に貼った。
五時〇〇分、入場。
六時〇〇分、第五層。
六時四十分、第七層。
七時十分、第十八層降り口。
七時四十分、降り終わり。
八時〇〇分、第二十一層。
九時四十分、第十六層。
十七時〇〇分、退場。
余裕は、十分入れた。
できることは、全部やった。
*
目覚ましを、三つかけた。
布団に入って、天井を見た。
明後日、七十二キロを担いで、降り口を二回に分けて降りる。
降りられる。何度もやった。
跳ねた場所を、二回に分けて。
そう思いながら、眠った。




