第14話 紙に時刻を書き出したら、一本はみ出した
『二十一層。できる?』
電話の向こうで、鵜飼さんが単刀直入に言った。
「十六層まで、昨日できたところです」
『知ってる。だから言ってる』
「二十一層は、また十五往復です」
『ひと月?』
「ひと月です」
息を吸う音が、受話器越しに聞こえた。
『ひと月、待てない』
声の調子が、昨日までと違った。
「何かありましたか」
『三十四層で止まってんの、うち』
「はい」
『三年。五年やって、三十四層で三年止まってる』
「補給ですか」
『そう。担げる量で日数が決まって、日数で行ける深さが決まる』
鵜飼さんが息を吸った。
『あんたが二十一層まで来れたら、うちは二十六層まで行ける。たぶん』
「たぶん、ですか」
『やってみないと分からない。誰もやったことないから』
*
俺は電話を持ったまま、部屋の壁を見た。
紙が、五枚貼ってある。
第五層。第七層。第九層。第十六層。そして今、六枚目の話をしている。
「一つ、伺います」
『何』
「オルカさんは、いつ潜りますか」
『は?』
「毎日ですか。それとも、週に何日ですか」
『週四。月火木金』
「時刻は」
『朝。六時か七時』
「六時か七時、だと幅があります」
『そこまで決めてないよ、ふつう』
「はい」
俺は紙に書いた。
オルカ・月火木金・六時か七時。
『それ、なんの意味があんの』
「こちらが合わせるので」
電話の向こうが、少し静かになった。
『合わせるって、あんたの都合は』
「俺の都合は、時刻を決めることだけです」
*
その夜、俺は紙を全部剥がして、一枚の大きな紙に書き直した。
模造紙を買ってきた。百二十円だった。
縦に線を引いて、時刻の目盛りを入れる。三時半から十時半まで、十分刻み。
横に、系統を並べた。
第五層。第七層。第九層。第十六層。第二十一層。
五本。
*
まず、所要時間を書き入れた。
第一層から第五層まで、四十分。第七層まで、さらに二十五分。第九層まで、四十分。
第十層から第十六層は、降り口が三つある。担ぐ時間を含めて、一時間十分。
第十六層から第二十一層は、まだ通っていない。地図から推定して、五十分。
合計を出す。
往路だけで、三時間三十五分。
復路は、下りが上りに変わる。荷がない分は軽いが、疲労がある。差し引きで、ほぼ同じ。
三時間三十五分を、二倍する。
七時間十分。
*
俺は鉛筆を置いた。
公社の入場は六時。退場の門限は十八時だ。守ろうと思えば、十二時間ある。
七時間十分なら、入る。
ただし、それは一本道を往復する場合だ。
実際には、第五層で枝に入り、第七層で枝に入り、第九層で本道を外れ、第十六層へ降り、第二十一層まで行く。
枝に入るたびに、戻る。
俺は枝の分を足した。
九時間四十分。
*
もう一つ、足りないものがあった。
荷積みと、荷降ろしだ。
一件につき、十五分から二十分。五件で、一時間半。
十一時間十分。
そこに、区間ごとの余裕十分を足す。区間は十二ある。
十三時間十分。
門限が、十二時間。
*
一時間十分、はみ出した。
俺は模造紙を見下ろして、しばらく動かなかった。
三十分早く起きても、入場が六時なら意味がない。門限は延びない。
選択肢は三つだ。
一つ、どれかを断る。
二つ、余裕を削る。
三つ、第二十一層を諦める。
*
余裕を削るのは、やってはいけない。
余裕がないと、一つ遅れたときに全部が遅れる。二十年、それで潰れた運行表を何本も見てきた。
余裕を削って回した会社は、最後に事故を起こす。
断るのが、正しい。
*
俺は模造紙の前に座ったまま、鉛筆の尻で机を叩いていた。
どれを断るか。
第五層は、新人の四人組。運賃は一番安い。
第七層は、桑田さん。最初に名指しで頼んできた人だ。
第九層は、田淵さん。月一回、線香一本、三千円。
第十六層は、一ノ瀬さんの薬。
第二十一層は、まだ受けていない。
*
断るなら、第二十一層だ。
まだ受けていない。断っても、誰も困らない。
そう思って、鉛筆を持ち直した。
そして、もう一度、数字を見た。
九時間四十分。
この数字の中で、一番大きいのは移動時間だ。荷積みでも荷降ろしでもない。
移動時間は、距離では決まらない。
速度で決まる。
*
俺は別の紙を出して、計算をやり直した。
第一層から第五層まで、四十分。これは初日の数字ではない。今の数字だ。
初日は、一時間十分かかっていた。
道ができたから、四十分になった。
では、十五往復したあとの第二十一層は、何分になるのか。
地図から推定した五十分は、道ができる前の数字だ。
*
鉛筆で、五十分を消した。
代わりに、三十五分と書いた。
もう一度、合計を出す。
十二時間四十分。
まだ、四十分はみ出していた。
*
俺は模造紙を丸めて、押し入れにしまった。
それから、新しい紙を出して、一行だけ書いた。
・入場を早める方法を調べる。
公社の門限は、誰が決めたのか。
規則だとしたら、条文がある。
条文があるなら、読める。
*
その足で、鉄工所に寄った。
四時二十分。今日はシャッターが開いていた。
「またあんたか」
「おはようございます」
「今日は何だ」
「台車を、軽くできませんか」
千代さんが手を止めた。
「重さか」
「はい」
「何キロ削りたい」
「三キロです」
「三キロ削って、何が変わる」
「一日で、十二分です」
千代さんが眉を寄せた。
「……十二分?」
「台車が三キロ軽くなると、坂で押す力が減ります。一区間あたり一分。十二区間で十二分です」
「あんた、それ計ったのか」
「計りました」
千代さんは台車を持ち上げて、底を見た。それから車輪を回した。
「無理だ」
「はい」
「削れるのは、あと一キロ。それ以上削ると、荷を載せたとき歪む」
「一キロだと、四分です」
「四分で足りるのか」
「足りません」
「じゃあ削る意味ねえだろ」
「四分は、四分です」
千代さんは、俺の顔をしばらく見ていた。
「……あんた、今なんか変な顔してるぞ」
「そうですか」
「焦ってるだろ」
「焦ってません」
「焦ってる」
*
翌朝、六時。
窓口で、真木さんに訊いた。
「入場開始は、六時ですね」
「そうです」
「これは、何で決まっていますか」
真木さんが、手を止めた。
「どういう意味ですか」
「条文で決まっているのか、運用で決まっているのかを、伺っています」
真木さんは、しばらく俺を見ていた。
それから、引き出しから規則集を出した。
分厚い。相変わらず、付箋は一枚も貼られていない。
「新藤さん」
「はい」
「あなた、何をするつもりですか」
「五本、回します」
「五本」
「今は四本です。明日から、五本にします」
真木さんが、規則集を開いた手を止めた。
「時間が、足りないのでは」
「足りません」
「では、どうするんですか」
「だから、伺っています」




