第13話 礼は言われなかった。缶コーヒーが飛んできた
五月三十日。十五往復目。
第十六層の中継点に着いたのは、八時二十分だった。
広間というほど広くない。天井の低い、四角い空間だ。壁の一面に水が染みていて、床に細い流れができている。
気温は、八度。予想より低かった。
オルカの七人が、装備を解いて休んでいた。
俺は台車を寄せて、ベルトを外した。
「時間どおり、お届けに上がりました」
鵜飼さんが、腕時計を見た。
目が、時計と俺のあいだを二度往復した。
「ちょうど?」
「はい」
「十六層で?」
「はい」
隊員たちが顔を上げた。
「リーダー、ほんとに来ましたね」
「来るとは思ってたよ」
「思ってなかったでしょ。昨日『来なかったら殺す』って言ってました」
「言ってない」
「言いましたよ」
「言ってない」
鵜飼さんが隊員を睨んで、それからこちらを向いた。
*
荷を降ろした。
水、携行食、薬。薬の瓶は二重に包んで、いちばん上に載せてある。
「一ノ瀬さんは」
「あ、はい」
いちばん奥にいた小柄な隊員が立ち上がった。
まだ若い。二十一と聞いていたが、もっと下に見える。
「これ、お薬です」
俺は包みを渡した。
受け取った手が、少し震えていた。切れかけていたのだと思う。
「ありがとうございます」
その子は、そう言って頭を下げた。
深く下げた。
「いえ。お仕事なので」
「いえ、ほんとに。助かりました」
俺は伝票を出した。
「受領のサインを、お願いします」
「わ、私がですか?」
「宛名が一ノ瀬様になっているので」
一ノ瀬さんが、伝票を見た。
品名、薬剤一式。受取人、一ノ瀬楓様。納品時刻、八時二十分。
しばらく見ていた。
「私の名前、書いてあります」
「はい」
「えっと」
一ノ瀬さんは、少し困った顔をした。
「宅配、みたいですね」
「宅配です」
一ノ瀬さんが、小さく笑った。
「あの、新藤さんって」
「はい」
「ずっと、運送のお仕事だったんですか」
「二十年やってました」
「じゃあ、こういうの慣れてるんですね」
「地下は初めてです」
「えっ」
「先月からです」
一ノ瀬さんが、伝票を持ったまま固まった。
「……先月?」
「はい」
「それで十六層に、時間どおり?」
「はい」
隊員たちが、こちらを見た。
誰も、何も言わなかった。
*
鵜飼さんは、礼を言わなかった。
サインが終わって、荷を片付けて、俺が台車を畳んでいるあいだも、何も言わずに壁際に座っていた。
俺は畳み終えて、頭を下げた。
「では、失礼します」
立ち上がりかけたところで、何かが飛んできた。
ガコッ。
台車に当たって、床に落ちた。
缶コーヒーだった。
「これは」
「余ったやつ」
鵜飼さんは、こちらを見ていなかった。
「捨てるのもったいないから」
隊員の一人が、口を挟んだ。
「リーダー、それ今朝買ったやつっすよね」
「うるさい」
「三本買って、二本飲んで、一本残してました」
「うるさいって」
「明らかに残してました」
「黙れ!」
鵜飼さんが立ち上がって、隊員の頭を叩いた。
俺は缶を拾って、埃を払った。
まだ、少し温かかった。
「ありがとうございます」
「礼を言うな」
「はい」
「あんたに礼を言われると、調子が狂う」
*
帰り道。
第十三層の降り口を上がったところで、缶を開けた。
プシュッ。
音が、通路の奥まで響いた。
温いコーヒーだった。甘すぎる。俺はふだんブラックしか飲まない。
それでも、飲んだ。
地の底で缶コーヒーを飲むのは、初めてだった。二十年、飲んでいたのは全部、路肩か車庫か倉庫の前だ。
場所が変わっただけで、やっていることは同じだった。
*
第七層で桑田さんに会った。
「おっ、定時便さん」
「桑田さん」
「十六層行ったんでしょ。聞いたよ」
「はい」
「あんた、掲示板でスレ立ってるよ」
「またですか」
「またっていうか、前のが伸びて2になってる」
桑田さんが携帯を出した。
地下なので通信は来ていない。さっき地上で見たキャプチャを保存してあるらしい。
「読む?」
「はい」
*
【台車】ミナトの運び屋について語るスレ2
88:名無しの探索者
十六層まで台車で来た。嘘じゃない。俺は見た
91:名無しの探索者
何時に着いたか聞いた?
88:名無しの探索者
八時二十分ちょうど
92:名無しの探索者
こわい
95:名無しの探索者
前スレの「関係あるわけないだろ」の人、息してる?
97:名無しの探索者
息はしてる。九層はマジで静かになった
103:名無しの探索者
いや待て。十六層まで台車ってどうやって降りるんだ。降り口あるだろ
105:名無しの探索者
担いでた
106:名無しの探索者
担ぐなよ
109:名無しの探索者
担いでたんだよ
*
「どう?」
「百五番の人が、正確です」
「そこ?」
「担いでます」
「そうじゃなくてさ」
桑田さんが携帯をしまった。
「あんた、有名になってきてるよ」
「そうですか」
「依頼、増えてるでしょ」
「四件です」
「四件で回せてんの?」
「回せてます」
「ほんとに?」
「はい」
「あんた、何時に起きてんの」
「三時半です」
「は?」
「今月からです。先月までは四時でした」
「三十分早くなってんじゃん」
「一本増えたので」
「じゃあ二本増えたら三時?」
「三時です」
「三本増えたら?」
「二時半です」
桑田さんが、携帯を持つ手を下ろした。
「……あんたさ」
「はい」
「そのうち、前の日から起きてることになるよ」
「そうなりますね」
「なるじゃねえよ!」
俺は答えてから、少し考えた。
回せている。今日までは。
ただ、十六層への道は、昨日できたばかりだ。四十八時間で薄れる。三日空ければ消える。
つまり、明日も行く。明後日も行く。その次も。
休めるのは、依頼が減ったときだけだ。
*
地上へ出ると、雨が降っていた。
五月の終わりの、細い雨だ。
入口の上屋の下で、探索者たちが雨宿りをしている。
俺は台車を軒下へ入れて、荷台を確かめた。
濡れていない。
当たり前だ。中は乾いている。地下に雨は降らない。
それでも、確かめた。
売店で田淵さんに報告して、湯を飲んだ。
田淵さんは俺の手を見て、何か言いかけて、やめた。
*
その日の夕方、四件目の連絡が入った。
いや、五件目だった。
第二十一層。
鵜飼さんからだった。




