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【完結】白苑後宮の薬膳女官  作者: 絹乃
三章

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26/32

1、熟睡の星宇

 白苑後宮に戻った瑞雪は、あまりの疲労に寝込んでしまった。

 生薬を過剰に摂取させた宋舞のことも、人となって帰ってきた天雷のことも。一気に物事が起こりすぎて、限界を超えてしまったようだ。


 仕事に行かなければと思うのに、宿舎の寝台から起き上がれない。後宮内は、今は規制がないけれど、さすがに宿舎は男子禁制だ。

 星宇の姿では部屋に入れないので、飛仙の天雷が瑞雪の側についてくれている。


「にゃ、にゃにゃ」


 今日も猫真似が上手だ。


「うんうん、ありがとうね。何もしなくても、こうして一緒にいてくれるだけで嬉しいよ」


 さっきまで天雷は頭を冷やす水はないか、手巾てぬぐいはないかと部屋の中だけでなく、廊下にも出て探し回っていたのだ。


 そのたびに「だめ、捕まるよ」と瑞雪は力なく手を伸ばした。小さいから身を隠すことはできても、飛仙を知っている人がいたら危険だ。その毛皮が貴重品であることに変わりはないのだから。


紅梅ホンメイさまのお食事は、今日は勘弁してもらわなくちゃ」


 まさか紅梅や葉青よりも、自分の方が薬膳料理が必要になるとは思わなかった。


「お腹すいた……」


 けれど食堂まで歩いていく気力もない。部屋に置いていた油条ヨウティヤオは、もうない。

 瑞雪のこぼした言葉を聞いて、天雷が窓から外に出ようとした。


「あ、違うのよ。食事を持ってきてって意味じゃないの」


 女官や宮女が使う食堂には宦官ですら入らない。そこに武官がつかつかと入り「女官の代理で来た。持ち帰りだ」などと告げようものなら、きっと目立つ星宇はぞろぞろと後をつけられてしまう。


 しかも部屋までは持ってこれないし、寝込んでいる瑞雪も紙窓しそうの外に置かれた料理を取りに出るのもきつい。


「ちょっと、起きてるんでしょ! 入るわよ!」


 突然の大声に天雷が尻尾をぶわっと太くした。瑞雪は何事かと入口を見やる。

 開かれた扉の前には、なぜか孫時宜ソンシンイーが立っていた。皇帝の食事を管理する掌膳の時宜は、手に盆を持っている。勤務中なので前掛けである圍裙ウェイチンをつけている。


 天雷はとっさに布団の中に身を隠した。


「えっと、何か用ですかね。今日は体調不良で休んでるんですけど」


 戸口の方を向いて、瑞雪は横たわったまま尋ねた。今は口喧嘩をする気力もない。できれば早々にお引き取り願いたいものだ。


「そんなの知ってるわよ。熱もないし、感染症じゃないから隔離の必要がないってこともね」


 きんきんとした高い声が室内に響く。

 熱がないからと過労を馬鹿にしてはいけない。そう反論したいのだけど、気力がない。瑞雪は腕を上げるのすらつらいのだから。


「ほら、朝食を持って来てあげたわよ。あとでお医者さまも来てくれるわ」


 時宜は持っていた盆を、瑞雪に見える位置に掲げた。あまりにも意外で、瑞雪は目を丸くした。


「……時宜さんが頼んでくれたんですか?」

「そうよ。医局まで行ったの。感謝しなさい」


 小さな卓を取り出して、その上に時宜は盆を置いた。皿には饅頭マントウ、そして青菜と一緒に炒めた玉子料理が載せられている。


「あなたなら自分で薬湯も作れるんでしょうけど。その元気もないでしょ。先生が診断を下したら司薬司が薬湯を作ってくれるから、持ってきてあげる」

「あ、ありがとうございます」


 上体を起こすように、時宜が瑞雪の背中を支える。口調は荒いのに、その手つきは丁寧だ。


「何よ、じっと見て。私の顔にゴミでもついてるの?」

「いえ、明日は暴風雨かと思いまして」


 急に天気のことを言いだしたのが奇妙だったのだろう。時宜は怪訝そうに眉をひそめながら、碗に入ったお茶を手渡してくれた。瑞雪は感謝を述べながら、ぬるくなった碗を受け取る。


「ちゃんと食べなさいよね。あなたの薬膳料理を頼みにしている人もいるんでしょ。医者の不養生とはいうけど、薬命司こそ不養生は教えに反するんじゃないの?」

「まったくです」


 ふふ、と瑞雪は笑いをこぼした。なぜか可笑しくなったのだ。


「時宜さん、仕事を抜けてきてくれたんですよね。わたしのために、ありがとうございます」

「別に……洛神花のお茶の借りを返しただけよ」


 時宜はぶっきらぼうに告げたが、その頰は赤く染まっていた。



「参ったわ」


 時宜が出て行った後、瑞雪はため息をこぼした。

 とっさに布団の中に逃げ込んだ飛仙の天雷が、ぬくもりに包まれてそのまま眠っていたのだ。


 それだけならまだいい。緊張がほどけたのか、あろうことか天雷は星宇に変化しているではないか! 布団をめくると全裸。さすがは武官というべきか、腕や背中に筋肉がついており腰も引き締まっている。さすがにその先は布団をめくるのはやめた。

 安心したように柔らかな表情で、星宇は熟睡している。


「おーい、星宇さん。飛仙に戻ってください」

「にゃ……」


 寝言まで猫の鳴き声だ。徹底している。


「熟睡できないって言ってたのに」


 自分の前だから星宇は気を許してくれているのだろうか。愛くるしい天雷と違い、星宇は不愛想でぶっきらぼうだが。もしそうだとしたら嬉しい。


「帰る時はまた飛仙に戻らないと、服もないからね」


 瑞雪は柔らかな星宇の髪を撫でた。


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