6、重い衣
もし本当に葉青に毒が盛られたのなら、証拠はこの南邸に残っているはず。
葉青の具合が悪くなったのが昨夜のこと。遅効性の毒であっても、二時辰ほどで症状は現れるだろう。
「天雷、炊事場に忍び込みましょう」
「……星宇だ」
むっとした表情を星宇は浮かべた。そこは大事なところなんだ? と思ったけれど瑞雪は口にはしない。
「じゃあ星宇さん、行きましょう」
瑞雪は星宇に手を差し伸べる。南邸の離れならば、自分の方が間取りは詳しい。
訊きたいことはたくさんある。叔母に瑞雪の手紙を届け、返事を託されたこと。いつ人の姿をとれるようになったのか。なぜ皇帝の護衛になれたのか。
星宇は瑞雪の手をじっと見つめている。手を伸ばして、瑞雪の指先に触れた。だが、すぐに弾かれたように手を放す。
「誰かいるぞ!」
庭に出ていた警護の男が叫んだ。
疑いのかかっている薬命司が忍び込んでいるとばれたら、もう後がない。
「瑞雪、炊事場で落ち合おう。私が残した物を持って行ってくれ」
そう告げると、ふっと星宇の姿が消えた。
まとっていた黒衣が、一瞬遅れて草の上に残される。蟒の佩玉に、武骨な剣、そして革でできた沓も。
黒衣の上に飛仙がいた。黒水晶の濡れた瞳は大きく、その姿はとても愛らしいのに。白銀の緻密な被毛は、木立の間からこぼれる光を受けて神々しいほどだ。
「天雷……」
一度瑞雪を振り返ると、天雷は跳んだ。ざざっと草が音を立ててなびく。そのまま使用人のいる方へと天雷は跳ねるように走る。
「なんだ、あの動物は」と困惑する声。それに反応したのか、離れの中から「あれを捕まえなさい!」と宋舞の叫ぶ声が聞こえた。
瑞雪はぬくもりの残る星宇の衣を抱えて、炊事場へと走った。鞘に入った剣は重く、下草の生い茂った道なき場所は走るのも難儀する。
(天雷はこんな重い物を身に着けて、陛下をお護りしてずっと一人で生きてきたんだ)
叔母が暮らす南方は遠く広い。その針の先ほどの場所を的確に見つけて到達するまでに、どれほどの時間が必要だったのだろう。
ガチャガチャと剣が金属音を立てる。炊事場まではあと少し。瑞雪は息を切らせながら足を進めた。小石が多いせいで、足の裏が痛む。
炊事場の通用口は幸運なことに鍵がかかっていなかった。辺りを確認し、瑞雪はするりと中に忍び込む。
(毒……きっと毒そのものではない。大量に服用することで二時辰後に体調を崩すもの)
もともと虚弱な葉青にとっては、普通の人が問題ないものでも体に障る。
瑞雪はゴミを入れる籠を除いた。そこには使った後のくず野菜が残っている。
「空心菜。これはむくみを改善するけれど、食べすぎると体を冷やしてしまう」
たぶんこれは違う。
「羊肉は、葉青さまは一口しか召し上がらなかった。だとすれば粥に問題が?」
昨夜の粥が残っているかもしれない。瑞雪は調理台に置いてある土鍋の蓋を開けた。
癖のある匂いがした。粥が悪くなった臭いではない、生薬のものだ。
「これはわたしが以前作った当帰と川芎を入れた粥?」
鶏の出汁の匂いはしない。白粥と生薬を煮込んだのだろう。昨夜の残りをもう誰も食べないだろうから、粥を指ですくって口に運ぶ。
すぐに瑞雪は眉をひそめた。
生薬が多すぎる。瑞雪が使用人に渡した調理法とは別物だ。こんな粥は食べづらいだろうに、体にいいからと葉青は頑張ったのかもしれない。
「葉青さま……」
瑞雪は土鍋の蓋を戻した。
葉青の不調の原因は分かった。適量であれば薬になるものを、瑞雪が来ない日に大量に与えられ続けたのだ。
「当帰も川芎も中品。血を補い眩暈にも効くけれど、服用の期間と量を間違えば危ない薬」
瑞雪はしゃがんで、食材の入っている籠や棚を探した。藭芎の中の品質の良いものを、産地の名を冠して川芎と呼んでいる。
葉青には簡単に手に入る藭芎ではなく、川芎を購入している。城市で取り扱っているのを瑞雪は見たことがない。ただ一軒、実家の薬舗の他には。
「この家に薬膳に詳しい人がいるならば、わたしが派遣される必要もないのに」
瑞雪はごつごつとした川芎の塊を握りしめ、細い根の集まった当帰と共に懐に入れた。
どこまでも叔母の行方を求めてさすらった天雷。そして今は星宇という人の姿を取り、戻ってきた。皇帝の護衛として。
ただの偶然ではない。天雷……星宇は意味があって、今自分の前に現れたのだ。
(でも、ちょっと待って)
黒い衣を持ったまま瑞雪は思案した。
さっき、星宇さんが天雷に変化した時、宋舞さんは「あれを捕まえなさい」と命じていた。
「もしかして天雷が危ない?」
星宇との約束を忘れたわけではない。この炊事場に潜んで、彼が戻ってくるのを待つべきだ。
けれど、今ここで天雷を追わなければ、助けなければ。きっと大変なことになってしまう。
炊事場の土間から段を上がり、瑞雪は廊下を駆けた。




