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僕らの夏には虹があった  作者: 海月繭


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第6章 夏のデート

第6章 夏のデート


 翌朝、エナは鳥の声で目を覚ました。


 障子の向こうから、やわらかな光が差し込んでいる。


 昨夜、幸子さんに借りた布団は、日に干した綿の匂いがした。


 スマホで時刻を確認すると、午前6時を少し過ぎたところだった。


 東京にいるときなら、もう1度目を閉じていた時間だ。


 けれど、庭から聞こえてくる水の音と鳥の声が気になり、エナは布団を抜け出した。


 縁側へ出ると、幸子さんが庭へ水をまいていた。


「おはようございます」


「あら、おはよう。よく眠れた?」


「はい。虫とカエルの大合唱でしたけど、不思議とよく眠れました」


「うるさくなかった?」


「静かなのに、にぎやかでした」


 幸子さんは、少し不思議そうな顔をしたあと、笑った。


「それなら、田舎の夜に気に入られたのね」


 縁側の風鈴が、ちりん、と鳴った。


 そのとき、庭の奥から晴彦が戻ってきた。


 麦わら帽子をかぶり、両手で竹籠を抱えている。


「おはよう。よく眠れた?」


「晴彦さんも、同じことを聞くんですね」


「ばあちゃんと暮らしてると、質問まで似てくるんだよ」


 晴彦が縁側へ籠を置いた。


 中には、トマト、茄子、きゅうり、ピーマン、枝豆が詰まっている。


 どれも朝露に濡れ、光っていた。


「これ、今採ってきたんですか?」


「うん。朝の野菜が、1番元気だから」


 エナは真っ赤なトマトへ顔を近づけた。


「本当に生きているみたい」


「野菜だから、生きてるよ」


「そうでした」


「未来の野菜は、生きてないの?」


「生きていますけど、スーパーで並んでいると、商品に見えてしまうんです」


 晴彦はトマトを1つ取り、服の裾で軽く拭いた。


「食べてみる?」


「このまま?」


「このまま」


 手渡されたトマトを、エナは恐る恐るかじった。


 薄い皮が弾け、甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。


「甘い!」


「でしょ?」


「これ、トマトですよね?」


「今のところは」


「未来では、果物として売れます」


「50年後は、トマトも出世するんだな」


 晴彦が得意そうに笑った。



 庭先のラジオから、軽快なピアノの音が流れ始めた。


「ラジオ体操、できる?」


「小学生の頃にやりました」


「じゃあ、体は覚えてるよ」


 晴彦が庭へ出て、両腕を大きく上げた。


 エナも隣に並ぶ。


 音楽に合わせて体を伸ばすと、肩から、ぽきっ、と音がした。


 晴彦がこちらを見る。


「今の、何の音?」


「私の肩です」


「17歳の音じゃないね」


「2025年の高校生は、肩も疲れてるんです」


「未来、大丈夫かな」


「私も少し心配になってきました」


 2人は顔を見合わせて笑った。



 朝食には、昨夜の塩むすびを焼いたものと、採れたばかりの野菜が並んだ。


 焼きむすびの表面には、香ばしい焦げ目がついている。


「昨日の塩むすびが、朝になったら焼きむすびに出世してる」


 エナが言うと、幸子さんは笑った。


「食べ物は、残ったんじゃないの。次の楽しみになったのよ」


 味噌汁には茄子とオクラが入り、きゅうりは浅漬けになっていた。


 エナが焼きむすびをかじると、表面はぱりっと香ばしく、中には昨日の米の甘みが残っていた。


「幸子さんの家にいると、ずっと食べている気がします」


「食べられるときに食べるのが1番よ」


「エナは、昨日からずっとおいしそうに食べてるね」


「それは、ずっとおいしいものが出てくるからです」


「作り甲斐があるわ」


 幸子さんは満足そうにうなずいた。



 食事が終わる頃、幸子さんが言った。


「今日は、町の夏祭りよ」


「夏祭り?」


「夕方から神社に屋台が出て、盆踊りもあるの。エナさんも行くでしょう?」


「行きたいです」


「それなら、浴衣を出してあげるわね」


 幸子さんは箪笥から、淡い水色の浴衣を取り出した。


 白い朝顔の模様が、涼しげに咲いている。


「こんなきれいな浴衣、借りてもいいんですか?」


「しまっておくより、着てもらったほうが浴衣も喜ぶわ」


 エナは、布地を傷めないよう、そっと受け取った。


「お祭りは夕方からだから、昼間は晴彦に町を案内してもらいなさい」


「昨日も案内したよ」


「昨日はお礼。今日はデート」


「ばあちゃん」


「若い男女が2人で出かけたら、昔からデートって言うのよ」


 晴彦は困ったようにエナを見た。


「町を案内するだけだから」


「わかっています」


「そんなにきっぱり言われると、それはそれで傷つくな」


「では、少しだけデートということにしますか?」


 晴彦の耳が、みるみる赤くなった。


「エナさんまで、ばあちゃんの味方をしないでよ」


 幸子さんは楽しそうに笑っていた。



 最初に向かったのは、商店街の角にある駄菓子屋だった。


 木の引き戸を開けると、甘い匂いと紙袋の匂いが混ざった空気が流れてきた。


 狭い店内に、色とりどりの菓子が所狭しと並んでいる。


「わあ」


 エナは棚の前で立ち止まった。


「どれもパッケージがかわいい」


「味より袋を見てるの?」


「映像を作る人間は、見た目も大事なんです」


「食べる人間は、味も大事です」


 晴彦がラムネの瓶を2本取った。


 栓を押すと、ビー玉が落ち、シュワッと炭酸が泡立った。


 エナは、瓶を傾けるたびに動くビー玉を見つめた。


「飲むたびに、ビー玉に邪魔されます」


「角度があるんだよ」


「飲み物なのに、技術が必要なんですね」


「ラムネも工学だから」


「それは絶対に違います」


 店番のおばさんが、2人のやり取りを聞いて笑った。


「仲がいいねえ。くじも引いていく?」


 エナが箱から紙を1枚選ぶと、赤い丸が描かれていた。


「当たりだよ」


 おばさんが景品の箱から、小さな指輪を取り出した。


 赤いガラス玉がついた、おもちゃの指輪だった。


「かわいい」


「晴彦くん、つけてあげな」


「どうして僕が?」


「デートなんでしょう?」


「町じゅうに、もう伝わってるんですか?」


「朝のうちに幸子さんから聞いたよ」


「ばあちゃん、新聞より早いな」


 エナが笑っていると、晴彦が手を差し出した。


「指、貸して」


「本当につけるんですか?」


「ここまで来て断ったら、おばさんに怒られる」


「私は怒らないよ。ただ、ずっと覚えてるだけ」


「そのほうが怖いです」


 エナが右手を差し出すと、晴彦は赤い指輪を薬指にはめた。


「少し大きいね」


「おもちゃですから」


 指輪は、夏の光を受けて赤くきらめいた。


 エナは自分の手を見つめた。


 高価なものではない。


 けれど、2025年へ帰っても、ずっと覚えているような気がした。



 駄菓子屋を出た2人は、商店街の奥にあるレコード店へ向かった。


 扉を開けると、紙とインクと、古い木の匂いがした。


 壁一面の棚に、レコードが並んでいる。


 店内に流れていた音楽は、スマホから聴く音よりも、少しやわらかく聞こえた。


 入口近くの目立つ場所に、布施明の『シクラメンのかほり』が飾られている。


 タイトルを見た瞬間、エナは笑ってしまった。


「どうしたの?」


「学校の先生から、『昭和のかほりを見つけてこい』と言われたんです」


「その先生、ちょっと変わってるね」


「かなり変わっています。でも、尊敬しています」


「変わってるところも?」


「そこを含めてです」


 レコード店の主人が、カウンターから顔を上げた。


「昭和のかほりなら、この店には染みついてるよ」


「洗っても落ちないですね」


 晴彦が言う。


「落とすつもりもないけどね」


 主人は笑い、レコードの針を落とした。


 小さな雑音のあと、華やかな音楽が店内へ広がった。


 エナは、スピーカーの前で立ち止まった。


「音が、丸い」


「丸い?」


「スマホで聴く音より、角がない感じがします」


 晴彦は、エナの横顔を見た。


「エナは、音に形が見えるんだね」


「ピアノを弾いているからかもしれません」


「ピアノ?」


「音楽科のある高校に通っていて、ピアノコースなんです」


「映画も作って、ピアノも弾くの?」


「どちらも中途半端ですけど」


「そんなことないと思う」


 晴彦は棚から1枚のレコードを抜き出した。


「映画と音楽って、全然違うように見えるけど」


「似ています。映像に音が加わると、画面に映っていない気持ちまで見えることがあるんです」


「見えない気持ちが、見える?」


「うれしい場面に悲しい音楽をつけると、その幸せがいつか終わることがわかったり。何も起きていない場面でも、音が入ると、誰かを待っている時間に見えたり」


 晴彦は、しばらく何も言わなかった。


「変なことを言いました?」


「いや」


 晴彦は、少し照れたように笑った。


「エナって、音楽の中に住んでるみたいだなと思って」


 思いがけない言葉に、エナの頬が熱くなった。


「そんなことを言われたの、初めてです」


「変だった?」


「少しだけ。でも、うれしいです」


 レコード店の主人が、カウンターの奥から言った。


「レコードは、音を残すことができる。でも、誰と聴いたかまでは、盤には残らないんだ」


 エナと晴彦は、同時に主人を見た。


「それは、人間の中にしか残らない」


 針が盤の上を進み、音楽が流れ続けている。


 エナは、赤い指輪のついた手をそっと握った。


 この曲を2025年で聴くことがあったら、きっと今日の店の匂いと、晴彦の声を思い出す。


「このレコード、買っていこうか」


 晴彦が『シクラメンのかほり』を手に取った。


「私、持って帰れないかもしれません」


「うちに置いておくよ」


「でも」


「いつでも聴きに来ればいい」


 晴彦は、ごく自然に言った。


 エナはすぐに返事ができなかった。


 自分がこの時代に、いつまでいられるのかはわからない。


 それでも、


「はい」


 と答えた。


 その約束だけは、信じてみたかった。



 レコード店を出ると、町のあちこちで祭りの準備が始まっていた。


 商店街の軒先には提灯がつるされ、遠くから太鼓の音が聞こえてくる。


「夜になると、この通りが人でいっぱいになるよ」


「屋台も出るんですよね?」


「焼きそば、かき氷、金魚すくい、射的」


「全部やりたいです」


「忙しい祭りになりそうだね」


 2人は、神社へ続く石段を上った。


 境内では、町の人たちが赤と白の提灯をつるしている。


 太鼓を練習する音が、夏の空へ響いていた。


 エナは、浴衣を着て、この場所を歩く自分を想像した。


「楽しみです」


「夜は、もっときれいだよ」


 宮司が境内へ水をまいた。


 陽の光が水しぶきに当たり、空中に小さな虹が浮かんだ。


「エナ」


 晴彦が虹を指さした。


「虹、見えた?」


 エナの胸が、大きく鳴った。


 未来の乗り物のモニターに表示された言葉。


『虹、見えた?』


「晴彦、今、なんて言ったの?」


 初めて「さん」をつけずに呼んだことにも、気づかなかった。


「虹、見えた?って」


 晴彦は不思議そうに答えた。


 エナがもう1度空を見上げたとき、虹はすでに消えかけていた。


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