第79話 返事なき返事
人の言葉で書く夜は、その人の声から始まる。
二十歳の頃からの代筆の作法である。目を閉じ、頼み主の声を胸に入れる。声の高さ、言葉の選び方、言い淀む場所。人の文とはけっきょく声の写しだからである。声の入らないまま書けば、どれほど整った文でも頼み主の顔をした他人が立つ。
筆を執ったまま、空海は長いこと目を閉じていた。
伸ばした反故が、机の端にあった。拙僧は、の三字。あとは白い。その白さのところに、あの男の声を入れた。低い声。短い答え。言い切りの前のあの一拍。三年のあいだ間近で聞いてきた声である。入れながら決めていた。あの男が書けるはずだった文だけを書く。あの男の義理が許す言葉だけで、あの男の真実が立つ文を。書けないはずのものを書けば、それはもう泰範の文でなくなる。
代筆とはその人になり替わることと違う。
その人がいちばん深いところでは言えているのに口と筆が追いつかないでいる言葉を、先に紙へ降ろしてやることである。頼み主の声より先におのれの言葉が出そうになったら、筆を置く。それもあの頃の作法だった。恋文の夜々、筆が勝手に上手なことを書きたがるたびに置いた。上手な言葉は筆の自慢にはなっても、頼み主の顔にならないからである。その作法を今夜ほど正確に使う夜は、生涯で初めてだった。
文は一夜で書かなかった。三夜かけた。一夜目に骨を組み、二夜目に泰範の声で肉を付け、三夜目は削った。灯の芯を替えるたび、房の墨の香が濃くなっていった。削るほど泰範に近づいた。あの男の言葉はいつも短い。短さまで写して、初めてあの男の文になる。
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拙僧は、と書いた。
泰範が幾晩も止まった三字である。止まった先を、そのまま続けた。豆と麦の見分けもつかぬ身にて、どうして玉と石をわきまえられましょう。あえて高きお問いに当たるは、深く恐れ入るばかりにございまする、と。
泰範なら、こう書く。
あの男は分からぬことを分からぬと言う。比叡でいちばんの器と呼ばれながら、高雄の壇の下では毎度そこから始めた。分からぬと言える者の言葉だけが、次のひとことで信じてもらえる。低いところから入ったのは、次の一句を立てるためだった。
最初の難所は、そのあとに来た。
法華の一乗と真言の一乗に、何の優劣があろうか。
あの一句に答えなければこの返事は断りにならない。優劣がないのなら、真言の山に留まる理由がないからである。帰らないと言うためには、留まる理が要る。理を書けば、比叡と高雄を比べることになる。泰範が三年書けなかった場所がここだった。
穂先の墨を、硯の縁で二度落とした。この一句だけは、太く見えてはならなかった。
空海は筆を下ろした。
顕密の教に、どうして浅深がないことがありましょうか、と。
書きながら、これはおのれの立場だと知っていた。弁の書に組み、拒絶の書の底に敷いた生涯の立場である。だが泰範の言葉として嘘でなかった。あの男は浅深を頭で立てたのと違う。身で知ってしまった。壇の上で、観法の底で分かるということの先に触れて戻れなくなった。浅深はあの男にとって骨の記憶である。
だからこう続けた。
拙僧は、その深きに就くことを選び申した。浅きを捨てるのと違いまする。深きに身を置かねば修せられぬ法があり、拙僧の身はすでにその法の内にありまする、と。
理屈はおのれのものである。声は泰範のものである。理屈を泰範の声の高さまで降ろし、泰範の生真面目な言葉遣いの中に一句ずつ組み直していく。恋文の代筆と同じ手つきだった。想いは頼み主のもの、言葉の組みは筆のもの。二十歳の頃に灯の下でしたことを、四十三の夜にもう一度していた。
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最後の一句の前で筆が止まった。
断りだけではこの文は終われない。あの手紙は共に法を興そうと頼んでいた。頼みへの答えを書かなければ、返事にならない。共に興せませぬと書けば、あまりに冷たい。手伝いまする、と書けば嘘になる。
夜半を過ぎて、一句が来た。
利他の事は、悉く大師に譲りたてまつる。
天台を興し人々を導く業は、すべて師に譲ります。書き終えて、空海はその一句を見ていた。墨が乾くまで、見ていた。
弟子としての最大の敬意である。あなたこそが人々を導く方です、と言っている。そして決定的な決別である。譲るとは、もう共に担わないということだからである。荷をふたりで担いできた者が、荷の全部を相手の肩に置き直して離れる。
この一句だけは泰範の声で来たのだと、あとで思った。
おのれの理屈からは出ない言葉である。譲るという言い方は、担いだことのある者にしか書けない。比叡で法の荷を担いだ男の、担いだ月日への礼だった。あの男のいちばん深いところでは言えていた言葉が、他人の筆を借りて紙に降りた。
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書き上げてから、机の端の反故をもう一度見た。拙僧は、の三字。この一通のうち、あの男の手で書かれた字はその三字だけだった。
空海は字を検分した。
泰範の字に似せなかった。
似せることはできた。人の字を写す技は若い頃に覚えている。石に字を刻む子どもだった頃から、手はどんな字でも真似た。技ができなかったのではない。似せれば欺きになるからである。
この文は嘘をひとつも書いていない。中身は泰範のまことで、声は泰範の声である。ただ筆だけが、泰範のものではない。そこまで含めてまことなのだった。書けない男が書ける男に頼んだ。頼んだことごと、この文である。だから字はおのれの字で書く。泰範の名で、空海の字で。隠さずに代筆する。
分かる人には分かる形で。
あの人は分かる。字が人であることを、この世でいちばん深く知る人である。四年、月にふたつこの字を読んできた人である。一行目で知る。知って、あの人はこの文の作りの全部を読み解くはずだった。泰範はついに自分の筆で答えなかった。答えられない弟子の代わりに、高雄の山主が書いた。それが何を意味するか。
返事なき返事である。
泰範は答えず、空海の字が答えた。弟子の沈黙と友の断りが、一通の中に重なって届く。二重の拒絶である。この形の残酷さを、書いている本人が誰よりも知っていた。知っていて、なお選んだ。泰範に書かせず、あの人を待たせず、嘘をひとつも作らない形はこれしかなかったのである。
不答というものなら、おのれはよく知っている。答えの置き場所を相手の側に残しておくのが不答である。他人の言葉で答えるこれは、置き場所ごと閉じる。不答より重い。
読み終えたあの人が何をするかも、見えるようだった。文を置き、灯を見て、長いこと動かない。それからいつもの端正な字で政の帳面を開く。痛みの処理だけが、また少し上手になる。
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朝になって泰範を房に呼び、文を渡した。
泰範は初めから終わりまで、二度読んだ。読み終えて、長いこと動かなかった。それから畳に手をついて、頭を深く下げた。
「これは……拙僧の、言葉にございます」
声が揺れていた。
「拙僧が三年、言えなかった言葉にございます」
それから、顔を上げずに続けた。
「浅深のところだけは、拙僧が申してよいものにございましょうか」
空海は黙ってうなずいた。それが代筆というものである、とは言わなかった。言えば、技の話になる。
代わりにひとつだけ言った。
「あなたが身で知ったことです。頭で立てたのなら、書きませんでした」
泰範は下げた頭をさらに深くした。上げたとき、この男の目は三年ぶりにまっすぐだった。
言わなかったことが、ひとつある。
あの一句は、比叡の問いへのこちらの答えでもあった。泰範の名で出るかぎり、高雄が答えたことにはならない。答えずに済む場所を、この一通の中に一箇所だけ作った。三夜のあいだ、それは泰範のための場所だった。
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文は泰範の名で封じた。
比叡へは、経珍に持たせた。使いには文を持たせず、返事が出来た、とだけ伝えさせた。二日で、経珍が坂を上ってきた。返事を持ち帰れと言われて来て、手ぶらで下りた坂である。渡すとき、泰範が両手を添えた。経珍は押し戴いて、懐に入れた。中身は訊かなかった。
「お預かりいたします」
それだけ言って、坂を下りていった。
経珍の背が山門を出るのを、ふたりで見送った。朝の山道は青葉の匂いに満ちて、姿はやがて坂の下の緑に紛れた。どちらも口をきかなかった。あの背に載っているものが何であるかを、ふたりとも知っていた。運んでいる男は、たぶん察している。察して、訊かない。七年、この男はそうやって運んできた。
金蘭の終わりである。
斬るために書いた文と違う。だが断ちがたいものを断つとき、人はいちばん丁寧な刃を選ぶ。丁寧に断たれた金は、もう繋がらない。
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その夜から、泰範の房の反故は消えた。灯もいつもの刻限に消えるようになった。食が戻るにはまだ月日が要ったけれど、沈む行は少しずつ向かう行に戻っていった。重荷は消えたのと違う。名がついたのである。名がつけば、担げる。
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頼まれて書いた文が、生涯にどれだけあったろう。
恋文は人と人を結んだ。詫び状は沈む人を掬った。福州の書は閉じた柵を開いた。師を送る碑は彼の岸への橋になった。その筆はいつも、何かを繋ぐ側にいた。
この一通だけが、結ばれていたものを解いた。
繋ぐ筆と解く筆が同じ筆であることを、その夏に空海は初めて知った。
ひと月が過ぎ、ふた月が過ぎた。
秋が来て、山の楓が色を変えた。紅は谷川の水面に散って流れ、流れの先で見えなくなった。風の朝には、紅が堂の階にまで散り込んだ。掃くと、箒の先で乾いた音を立てた。文の来ない山はそれでも回る。南の紀伊の山を賜る沙汰が下り、若い弟子は育ち、堂の普請は進んだ。回る山のどこかが少しだけ軽く、どこかが取り返しなく重かった。軽いのは泰範の背で、重いのは誰も名を言わない場所だった。
文机の上の、いつも次の文を置いていた場所は空いたままだった。三年前に一度、そこに埃がたまるのを指で拭ったことがある。あのときは、また置くつもりでいた。いまは拭わない。拭わずに空けておくことだけが、この山であの四年の証だった。
冬の初めに雪が来て、谷を白くした。雪は山の音をひとつずつ消していき、消えた音の分だけ夜が深くなった。朝の勤めに出ると、履物の下で新しい雪が鳴った。吐く息が白く、白いまま闇に溶けた。灯の下で経を写す手だけが、いつもの速さで動いた。
比叡からの文は、二度と来なかった。




