第71話 泰範
帳面に書いた名が、顔を持って山に着いた。
春である。あの灌頂を終えた高雄は、人の増えた山になっていた。受者だった僧の幾人かが住みつき、堂の朝の経は声の数を増している。井戸の釣瓶の鳴る音が、日に何度も聞こえるようになった。参道の山桜が、もう散りかけていた。その山道を、比叡からの一行が登ってきた。少人数で、荷も軽かった。
三月六日、そのうちの三人が金剛界の壇に上がった。比叡の古参の円澄。年若い光定。そして泰範。
雪の日に百四十五人を通した同じ堂で、この日は三人だった。人の数が減ると、覆面の下の息がひとつずつ聞き分けられる。泰範の手を取ったとき、空海は思い出そうとした。冬にもこの手を取っている。歴名の大僧の三番目に書いた名の、その手である。乾いて指の節が太かった。掌は思い出さなかった。
*
円澄と光定は数日で比叡へ帰った。泰範だけが残った。
壇を降りた泰範は、挨拶の長い男だった。
「わが師のお言づけを、まず、お伝え申し上げたく、その」
師の口上を伝え、おのれの未熟を詫び、教えを乞う願いを述べ、また師の口上に戻った。生真面目が言葉の量になって出る型である。空海は最後まで聞いた。聞きながら、耳は別のものを聴いていた。
声である。
泰範の声は、いつもすこし手前で折り返した。言い切る一歩前で語尾がわずかに引き返す。長い挨拶のあいだ、こちらの息のほうが先に止まった。止まってから、続きを待った。その折り返しが幾十度も繰り返された。覆面の下では聞けなかったものだった。
言葉の多い男ではない。言い切れない男なのだった。耳は、そういう声を初めて蔵った。
比叡でいちばんの器と言われる学僧である。歳は空海と幾つも違わない。学は深く、行いは正しく、字も端正だった。師の字によく似た、真面目な字である。似せようとして似たのか、慕ううちに似たのか。おそらく後のほうだろうと、空海は思った。
なぜ語尾が引き返すのかは、分からなかった。
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初めの泰範は、文字の人として学んだ。
問いはいつも、これはどの経典に書いてありますかの形をしていた。行の作法を教えれば、その典拠を問うた。観法の次第を伝えれば、問いを書きつける手が、いつも先に動いた。書き留めてよいかと問うた。比叡の学びの型が骨まで沁みている。書き、写し、整理し、体系のどこに置くかを確かめるまで安心しない。
空海は何も企まなかった。
来た器に注いだだけである。墨を磨る音が、二人ぶんになった。硯をふたつ出した。水を落とす手が、二度傾いた。それがこの山の作法だった。注ぎ方は器に合わせた。書き留めてよいかと問われれば、書いてもよいが今は書くなと答えた。典拠を問われれば、典拠はある、だが典拠より先に明日の朝の水を汲めと答えた。
泰範は戸惑った。
言われたとおりに水を汲んだ。生真面目な男は、納得できないことでも続ける力があった。水を汲み、堂を掃き、朝の経に和し、座を組む。文字の入らない日々が積もった。
変化は、手から来た。
初めのころの泰範の水汲みは、頭でする水汲みだった。桶の持ち方を考え、坂の歩幅を考え、考えるぶんだけ水がこぼれた。十日も経つと、こぼれなくなった。ひと月経つと、考えなくなった。夜明け前、腕が先に桶の重心を覚えた。足が坂の傾きを覚えたのは、それより少し遅れてからである。谷の朝はまだ暗く、桶の水の面に明けの星が残っていることがあった。汲むたびに星は割れて、また水の面に戻った。掌のまめの位置が変わり、やがて固くなった。文字なら幾巻も読める男が、そのことを桶ひとつで知りはじめた。
あるとき泰範が、思い余った顔で問うた。
「拙僧は、学びに参ったはずですが。この日々は、その、学びの前の支度でございましょうか」
「支度ではありません。これが全部です」
空海は言った。
「あなたは比叡で、地図の読み方を余さず学ばれた。ここで学ぶのは、歩き方です。歩き方は、書いてありません。足の裏で覚えるものです」
泰範はしばらく黙った。それから、分かりましたと言った。
その語尾も、すこし手前で折り返していた。分かってはいなかった。それでも、翌朝も桶を提げた。
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夏の初めの、朝だった。
観法の座を組んでいた泰範が、いつもの刻限を過ぎても降りてこなかった。
空海は堂の入り口から、その背中を見た。呼吸が、深いところで揃っていた。肩の力が抜け、背筋だけが立っている。座が、初めて山になっていた。空海は声をかけず、堂の外で待った。軒先の日差しが、少しずつ立ち位置を変えていった。
日が高くなってから、泰範は降りてきた。
しばらく口をきかなかった。言葉を探して見つからず、探すこと自体をやめた顔だった。
「いかがでした」
空海はそれだけ訊いた。
泰範は長いこと黙って、それから言った。
「あちらでは、学びました」
声が、途中で折り返さなかった。この男の声が初めて、まっすぐ最後まで届いた。
「こちらでは、触れてしまったのです」
触れて、しまった。
「触れる前の学びに、拙僧は、戻れるでしょうか」
「戻る要はありません」
空海は答えた。
「地図は、歩いた者が読むと、別の書物になります。触れたことは、学びを壊しません。底を、入れたのです」
泰範は深くうなずいた。うなずきながら、その目が遠くを見ていた。
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その日から、泰範は変わった。
問いが減った。どの経典に書いてありますか、と訊かなくなった。かわりに行の時間が延びた。座は深くなり、護摩の火の前で動かなくなり、朝の経の声が腹から出た。
座を降りるのが、日ごとに遅くなった。
比叡で書と写経に注いできた誠実の全部が、そのまま行に向かった。空海は注ぐ量を増やした。器の口が開いたのだから、注ぐのが道理である。
夏が深くなって、護摩の壇で泰範がひとつ問うた。火を見つめたまま出た、典拠を問う型ではない問いだった。
「拙僧は比叡で、火を、煩悩を焼くものと学びました。ここの火は、違うもののように思えます。何を焼いているのでしょうか」
「焼いてはおりません」
空海は答えた。
「移しているのです。天竺から七人の阿闍梨を経て、いまあなたの目に。あなたの目に映っているその火が、そのまま、伝法です」
泰範は火から目を離さなかった。離せなかったのかもしれない。炎の照り返しの中で、その顔は子どものようだった。
*
空海も、比叡へ文を書いていた。
預かった弟子の近況である。よく学んでおられる、器は聞きしに勝る、行に入られてからの深まりは日ごとである。書くことに、ひとつの偽りもなかった。返ってくる文は、喜びに満ちていた。わが目に狂いはなかった、と。二人の師が、ひとりの弟子の成長を山と山で喜び合っていた。
泰範の身のまわりをめぐる比叡からの文は、二種類あった。
泰範が来る前から、高雄の三綱政所に宛てて文は来ていた。厨子をひとつ、泰範に貸してやってほしいという用向きだった。書物を納める厨子である。弟子より先に、支度のほうが来ていた。寺務の宛先だから空海の目にも入る。実恵が寺の厨子をひとつ、堂の隅の日の当たらぬ壁際を選んで運ばせた。そこなら紙が反らない。
六月、泰範宛の文が来た。
いつもの端正な字が、表書きに見えた。泰範は文を受け取り、使いに礼を言い、袂に入れた。
すぐには、開かなかった。
その仕草を、空海は見なかったことにした。見なかったことにした、ということ自体が残った。文はその夜のうちに読まれたらしく、翌朝の泰範はいつもどおりだった。
数日して、泰範が巻物をひと抱え、使いの僧に渡しているのを見た。比叡から借りていた止観の書だった。返せという文だったのだとそのとき分かった。
厨子は貸してやってくれと書き、書物は返せと書く。同じ人が、同じ年に。
器は、預けた人の思惑を超えて勝手に開く。
最澄の願いは、根から学ばせたい、だった。願いのとおりに、根から学んだ。




