第69話 相見える
文が来てから、ひと月が過ぎた。
近く伺いたい、と書いてあった。その近くが、いつなのかは書いていなかった。空海は待った。柑橘の実が色を濃くし、朝の庭石に霜が降りるようになった。願演が櫃を都へ送り出す日も過ぎた。
比叡は忙しい山である。国の年分度者を預かり、写経の坊が動き、その度者に戒を受けさせるたび、南都の戒壇へ人を下ろさねばならぬ。ひと月は、この人には短いのかもしれなかった。
その日の夕刻、道のほうから人が来た。
輿ではなかった。
三人である。先に立つ人の僧衣の裾が土で汚れ、脛にも泥がついていた。杖を突き、旅装の埃が肩に薄く積もっていた。
空海は門まで出た。
痩せた人だった。整った僧形に、静かな立ち姿。だが空海の目が最初にとらえたのは、その疲れだった。八年前、筑紫の湊で遠くから一度だけ見た顔である。その疲れが、背負ってきた年月のぶんだけ深くなっていた。頬がそげ、目の下に影があった。それでいて目の光だけは少しも濁っていなかった。
目が合った。長い時間ではなかった。
紙では測れなかったところが、そこに立っていた。
最澄は庭先で立ち止まると、僧形の作法の限りまで頭を下げた。空海は同じ深さまで下げようとした。先に声が来た。
「お手を上げられよ。拙僧が、下げに参ったのです」
顔を上げた最澄は、わずかに笑っていた。
「年の上下も、位も、真理の前では塵に等しい。拙僧は今日、内供奉としてではなく、法を求めるひとりの僧として、この門をくぐり申した」
「ならば私も、阿闍梨としてではなく、あなたの文の返事を書いてきた男として、お迎えします」
最澄の笑みが少し広がった。
「頭陀の途次でござる。住吉に詣で、南都の維摩会に列なり、いったん京へ戻って、それから回って参った。文には近くと書き申したが、脚のほうが遅うござった」
後ろに控えた僧が、師の杖を受け取った。
「弟子の光定と申します」
と、その僧が名乗った。声が固かった。
*
堂に上がると、客の衣から山の匂いがした。白湯を挟んで話が始まった。
速かった。
問いを出すと、答えの半ばで最澄の目が既にその先に届いている。答え終える頃には次の問いが、こちらの言い残した箇所を正確に突いて来る。三年の文通で承知していたつもりの器が、目の前では底が見えなかった。話は天台の教判から両部の関係に移り、曼荼羅の構造を経て真言の音義に及んだ。ひとつの問答が済むたびに話は一段ずつ深い層へ降りていった。
生涯で初めて、同じ速さで歩ける人と歩いていた。
師とは違った。師は注ぐ人で、こちらは受ける器だった。この人とは並んで歩く。道の右側と左側から同じ山を語り合う。宴の座興で人を唸らせた夜も、論の座で学僧を退けた昼も、こんなふうに言葉が往き来したことはなかった。あのころの言葉は勝つための道具だった。今夜の言葉は、勝ち負けの道具であることをやめていた。
夜に入って、空海は三部の尊像を出して並べた。
最澄は膝を進めた。指が一体ずつをたどっていった。
両部の曼荼羅も広げた。灯のとどく範囲だけが明るんで、端は闇に沈んだままだった。最澄の指が図の上を動き、止まり、また動いた。どの尊がどこに座るかを確かめていた。
やがて顔を上げ、ひとつ踏み込んだ問いを出した。
「人はこの身このままで仏に成れると、密は説くと聞き申した。まことでござるか」
「まことです」
「劫を経ずに、でござるか」
顕の教えでは、仏に成るには幾劫もの長い修行が要るとされる。南都の学僧に聞けばそう答える。最澄はその答えの全部を知り尽くした上で、その先を問うていた。
「劫は、地図の上の距離です」
空海は答えた。
「地図の上では頂まで幾劫もかかる。それは正しい。ですが足は、ときに地図を折り畳みます」
「折り畳む、とは」
「壇で、お見せします」
最澄はしばらく黙り、それから深くうなずいた。問い詰めなかった。言葉で受け取れる答えと受け取れない答えの区別が、この人には正確についていた。その区別のつく人が、言葉の側の頂に立っているのだった。
光定ともうひとりが先に休んでも、二人は起きていた。
灯の油を一度足した。底冷えのする夜気が板敷を伝って足の下まで忍び上がってくる。話の尽きる気配は夜半を過ぎてもなかった。
*
夜が更けて、話は海に出た。
「八年前」と、最澄が言った。「あの嵐の夜、拙僧は第二船におり申した」
「存じております。私は、第一船に」
「灯を、見ており申した」
最澄は椀を置いた。
「闇の中で、第一船の灯が波の谷に沈んではまた浮かぶのを、数えるように見ておりました。祈りながら。どうか沈むな、あの船が沈めばこの使いの半分が海に消える、と。夜半に風が変わって灯が見えなくなり申した。あの夜ほど長い夜を、拙僧は知りませぬ」
空海はすぐには言葉が出なかった。
「その後、五十四日、波の上を漂い申した。着いてからは拙僧が臥せり、半月動けず、一行とは袂を分かち申した。天台の山に上がれた日には、膝が笑いました」
都でいちばん名の高い僧が、可笑しそうにそれを言った。
「私も、見ておりました。第二船の灯を」
やっとそれだけ言った。
「汲み出しの合間に、舷から。夜半に灯が波間から消えました。沈んだのではない、離れたのだと、おのれに言い聞かせておりました。汲みながら、祈っておりました。息災であれ、と。会ったこともない人の息災を」
言いながら、掌を見た。桶の縁で破れた皮は、とうに癒えている。
最澄がこちらを見た。
二人は少しの間黙った。灯の芯の鳴る音だけがした。
「灯というものは」と、最澄が言った。「祈られていると、知らぬものですな」
「知らぬまま、灯り続けるものです」
答えてから、その言葉がどこから出たのかに気づいた。都の、堂の奥の灯のことが胸の底をかすめていた。
*
夜半、教えの話に戻ったとき、最澄が問うた。
「密の教えは、天台の一乗の上に置くべきものでござろうか。それとも、並べて置くべきものか」
答える前に、喉の奥が小さく詰まった。上か、並びか。
最澄はいつも位置を問うのである。
この教えは体系のどこに置かれるか。天台の一乗と密の教えは、どちらが高いか、それとも同じ頂へ登る別の道か。顕の経と密の経はどう並べれば万人に開けるか。この人はこの国の仏法の全部を、ひとつの大きな地図に描こうとしていた。誰もがそれぞれの入口から登れて、頂でひとつになる地図である。そのために生涯を測っている人だった。
美しい志だった。
海を渡る前の空海が聞いたら、そのまま同じ夢を見ただろう。書物という書物を呑み、世界をひとつの図に収めたいと願ったあの渇きの形によく似ていた。
空海は地図を疑わない。ただ、地図は歩かない。密は、歩いた者の身体にしか宿らない。曼荼羅を千度眺めることと、壇に上がって一度その中へ入ることとは別のことだった。それを知るのに、こちらは山の七年と唐のひと夏を遣った。
この人はこの国でいちばん誠実な求道者である。そして、いちばん深い場所で、私と道が違う。
その二つが同じ夜に分かった。胸に来たのは喜びだった。地図を描く人と、足で歩く人。この国の仏法にとって、これほど幸いな組み合わせはない。
「上も並びも、地図の上の言葉です」
最澄はその言葉を、ゆっくり繰り返した。うなずきはしたが、目はまだその言葉の上に置かれていた。
灯が細くなっていた。二度目の油は、もう足さなかった。
*
朝、発つ前に最澄は居住まいを正した。
「願いが、ござる」
庭に光が入っていた。霜が庭石の際で溶けはじめる刻限だった。光定ともうひとりは既に旅装を整え、隅に控えていた。
「灌頂を、受けたい」
と、その人は言った。
「文字で学べるところまでは学び申した。学ぶほどに分かり申した。ここから先は、文字の外にある。壇に上げていただきたい。内供奉としてではなく、受者として」
三年前、経を借りたいと書いてきた人である。絵から、火へ。
空海は深く頭を下げた。
「高雄に、壇を築きます」
*
客は霜の溶けきらぬうちに発っていった。
門を出るとき、光定が杖を師へ返した。受け取る手も渡す手も、慣れていた。
空海は門前で、一行が坂を下り切るまで見送った。杖を突く後ろ姿が、昨日と変わらぬ歩みで遠ざかっていった。次に会うのは高雄である。あの脚なら、山道も苦にはなるまい。
庭に戻ると、昨夜ふたりで座った堂に白湯の椀がふたつ、冷えたまま並んで残っていた。片づけようとして、手が少しの間ためらった。
同じ速さで歩ける人が、この国にいた。
翌日、空海は乙訓の寺を辞した。
荷は、曼荼羅と尊像の箱のほかに縄を掛けるものもなかった。柑橘の枝が塀を越えたまま残り、願演が門まで送りに出た。櫃の数をそらで言える人が、数えるもののない見送りに立っていた。
高雄へ帰る道は、来たときと同じ道である。
空海はその道を、壇の図を胸の中で引きながら歩いた。土を均す寸法。瓶を置く位置。幕の高さ。
青龍寺で自分が上がった壇の土は、踏むと固かった。




